ギャル・ギャル男文化とマッチョイズムに鉄槌を下し、綾波レイへの愛を叫んだBUMP OF CHICKENは紛れもない邦楽ロックの革命だった。
「スクールカースト」という現象は、その言葉が世に浸透する以前からずっと存在していて、2000年代の日本の学生たちの間ではまだまだその階層性が顕著だった(階層の序列が若干変化しただけで今もそうだろうけど)。
スポーツが得意、腕っぷしが強い、コミュニケーション能力が高い、容姿がいい、ファッションセンスがある、みたいな人たちは階層の上位に、その逆の学生達は階層の下位に位置づけられ、学生時代に一番大事な「友人関係」や「恋愛」において強者層と弱者層が明確に出来上がっていた。なんならその学生達の階層性に乗っかって、イジる生徒を見定めるような下品な先生も結構居た。
2000年代の学校で「アニメが好き」「ゲームが好き」「パソコンが好き」「家で漫画描いてる」なんて言おうもんなら、男子からは「オタク」と揶揄され、女子からは侮蔑され、スクールカーストの最下層に押し込まれ、ほぼ迫害みたいな扱いを受けた。
これは別に日本に限ったことではなく、アメリカの学園ドラマなんかではラグビー部やバスケ部の花形選手の男子学生たちとその彼女のチアリーディング部の女子学生たち、その対極にいるギークやナードやゴスの学生たち、みたいな描写がお決まりの伝統芸能みたいに現在でも描かれることが多い。
カースト上層の若者達は豊満な友人関係と奔放な男女関係で青春を謳歌し、カースト下層の若者達は開き直ってアニメイトに足繁く通い独自の人生の楽しみ方を見つけはじめたりするのだが、そのどちらにも突き抜けきれなかった中間層の若者達は、植え付けられた「自意識と身の程の檻」に苛まされ、ある一定の人たちはニコ動に張り付くようになり、遊ぶ場所も、出会う異性も(なんとなく自分自身で勝手に)制限し、窮屈な青春を送る運命にあった。
こと音楽に関して言えば、
「ヒップホップもユーロビートも “文化としてそもそも” 性に合わない」
「だからってJポップ聴いて涙流すほど素直じゃない」
というタイプの若者達。
そんな若者達を救済したのがBUMP OF CHICKEN、 Syrup16g、ART-SCHOOLらを筆頭とするハイラインレコーズ周辺のバンドカルチャーだったのである。
「HIGHLINE RECORDS(ハイラインレコーズ)」は、老舗のインディーズレーベルとして知られるUKプロジェクトによって1997年に下北沢で設立されたレーベルを兼ねたレコードショップで、まだ何処の馬の骨かもわからないうような新人バンドのデモテープを門前払いすることなく委託販売し、その販売数が多いバンド音源を自社レーベルからリリースするという独自のシステムで運営を行っていた。
そしてそのハイラインレコーズのレーベル第一弾としてリリースされたアーティストこそがBUMP OF CHICKEN(『FLAME VAIE(1999)』)である。
アルエ
グングニル
グロリアスレボリューション
藤原基央およびBUMP OF CHICKENの音楽性については、サザンロックからの影響などが方々で語られているが、個人的な印象としては、旧友のsyrup16g、ART-SCHOOL、BURGER NUDSといった当時のハイラインレコーズ周辺のコミュニティ内での相互影響によるブラッシュアップこそが彼らの「メロパンクでもブリティッシュでもJポップでもない独自のギターロック」を形作ったと考える方が自然な気がする。初期のsyrup16gやART-SCHOOL、BURGER NUDSの楽曲を聴けは、BUMP OF CHICKENとの類似性がよくわかる。
生活 / Syrup16g
foolish / ART-SCHOOL
自己暗示の日 / BURGER NUDS
BUMP OF CHICKENのフロントマンだった藤原基央は、ゲームやアニメや漫画といったオタクカルチャーへの愛を包み隠さずさらけ出す一方で、NハリウッドのUネックにエディ・スリマンlikeなスキニーデニムにコンバースオールスター、みたいな寡黙なシューゲイズスタイルも両立して、ヒップホップ然としたストリートファッションとは別のベクトルでのオシャレの形を提示し、漫画もアニメもゲームもオシャレも程々に愛するカースト中間層を彷徨っていた若者たちをフックし、居場所を与え、2000年代の下北沢界隈の「あの雰囲気」を生み出した。
「あの雰囲気」というのは、「 間接照明とアジアン柄のブランケットでセルフリノベした和室のアパートに住んで、毎日お香炊いて、古着着て、ミニベロ乗ってヴィレヴァン寄って、レコード屋寄って、マッシュボブの彼女とライブハウス行く」みたいなライフスタイルの流行のことで、それは地方の「不良にもパリピにもオタクにも成りきれない」若者たちにとっての「憧れの20代の過ごし方」だった。
少しばかり先輩にあたるエレカシ、ミッシェル、97年デビュー組(ナンバーガール、スーパーカー、くるり)や、同時代のメロコア/スカコア勢の雰囲気と比べると、ハイラインレコーズ界隈のロックシーンはだいぶ独特で、下北沢という地域に根付いた地場産業的な雰囲気が強かった。歌詞はダウナー寄りで、文学的で、いわゆる「NERD(ナード)」なロックでありながら、根底にあるのは「軟派なギャル・ギャル男文化」と「マッチョイズム」と「商業音楽」に対する攻撃的なカウンターカルチャーとしてのアイデンティティだった。
このシーンは良く言えば下北沢という地域を結界にした「中間層の若者達の聖域」として機能していたし、悪く言えば「日サロ通いのギャル・ギャル男お断り」「悪そうなやつは大体友達みたいなヤツお断り」「売れてる音楽お断り」「ダサい人お断り」みたいな排他的な空気感も漂っていた。
ただしそれは「自分たちはお前らがいるピラミッドの外側にいるんだから尊敬も侮蔑もしてくれんなよ」という宣言でもあった。
この地場産業感/結界感は、BUMP OF CHICKENがセールス的に大成功を収めて以降の現在も、彼らから変わらず漂うシニカルな雰囲気の大元のような気がするし、同じく叩き上げのロックバンドとして大成功を収めた先輩達であるミスチルやスピッツには出せない魅力でもある。
近年の米津玄師(彼もBUMPフォロワー)らニコ動出身のアーティストたちの活躍を見ていると、あの当時ニコニコ動画に行き場を求めた中間層の若者達も救済された感じがある。
生主じゃないのに生主ぐらいニコ生に出てたあずまんもめっちゃ本売れたしね。『訂正する力』、買ったよ。まだ読めてないけど。
あとはimoutoidと『ダブルラリアット』の再評価を待つだけです。