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誰もがマイノリティで独りぼっち/ワタシの一部 #1

 正直第2作目からテーマが重たすぎる気もします。
 まあ、いっか。今日くらい好きに思想を語らせてください。
 このシリーズ 'ワタシの一部' では、こんな感じで好き勝手に私が考えたことを発信していく予定ですので、どうぞよしなに。

第1作はこちらから⤵️

 今の時代はどう呼ばれているか、思いを巡らせてみてください。
 私の場合、ぱっと思いつくのは「多様性の時代」です。
 障害や性別、国籍、職業、学歴etc…
 色々な人が存在することを認めて、共存していく時代。
 共存することができるようになった時代。
 私はそういう意味の言葉であると認識しています。

 私が最近問題視しているのは、この言葉が軽視されていることです。
 具体的な例を挙げるのは難しいですが、なんだか冗談の混じったニュアンスでこの言葉が発される場合が多いように感じるのです。
 私が思うに、きっとそういう人達はまだ多様性を身近なものとして捉えていない。
 自分はマジョリティだと思っているから、自分ごととして受け止めていない。
 だから、そんな風に「多様性の時代」という言葉を遣ってしまうのだと思います。

 私が今回言いたいのは「誰もがマイノリティ」、「誰もがマイノリティになる可能性を持っている」ということです。
 誰1人として同じ人間は居ない。
 貴方と同じ人なんて存在しません。
 (存在するとすれば、それはクローン人間です)
 皆んな違う人生を歩んで、違う経験をしているはずです。
 そんな当たり前を、実感を持って感じて欲しい。
 そうすれば、真の意味で「多様性の時代」が訪れるのではないでしょうか。
 まずは、自分の個性から認めてみましょう。

 机上の空論を語っても仕方がないので、私の経験からひとつ。

 私は、小学校時代は所謂「真面目」で「静か」、教師の母に言わせれば「先生が扱いやすいタイプ」の人間でした。
 道徳の授業で班の人に私の良いところを書いてもらうと、前述したような当たり障りのないコメントをつけられました。
 毎年繰り返されるその時間が私は嫌いでした。
 本当は、自分はもっと見どころのある人間だ。
 皆が気づいていないだけで。
 そう思って鏡を見ると、人間として底の浅そうな、コミュ障なオタクのテンプレみたいなのが映っていました。
(これは決してオタクを貶している訳ではなく、本当にオタクど真ん中な見た目だったというだけです)

 それから、私なりに努力し始めました。
 原動力は、「自分を変える」こと。
 その思いだけに突き動かされて頑張りました。
 とりあえず、何でもリーダーに立候補してみました。
 しかし、いきなり陰キャが出てきたとて、今までリーダーをやってきた人達に勝てる訳もなく。
 それでもどうにか挑戦を重ねて。
 小学校時代の委員長選で負けた相手が、先に生徒会選挙に当選したときは悔しかった。
 でも彼には、私にはないカリスマ性があった。悔しいけれど、仕方ない。
 とりあえずはハリボテでも自分を変えてみました。
 「学校が大好き」で、「学校を変えたい!」という野望を持った明るい子。
 攻めすぎたスローガンで1度先生に叱られかけたこともあり。笑
 ハリボテを経て、2回目の挑戦で生徒会選挙当選。

 徐々に小学校時代とは、周りの評判が変わっていきました。
 「頼れる」「何でもできる」「寛大」なんて、「それ本当に私か?」と思うような評判になっていきました。
 道徳の時間も、少し楽しみな時間になりました。
 クラスの中でも、生徒会繋がりから仲の良い人が増えていって。

 とにかく、私が言いたいのは「自分が無個性だと思うなら、まず変わる努力をしよう!」ということです。
 本当は、無個性な人なんて居ないのでしょうが、そうとしか思えない人もいると思います。そんな人は是非、まず当たって砕けましょう。そして、自分を認めてあげましょう。
 本質的には人間は変われません。
 しかし、周りの評判で心持ちは変わるんじゃないかな、と思います。
 私たちは、「多様性の時代」が登場する前から、元から全員マイノリティで、独りぼっちで生きている人間です。
 皆でこの多様性の時代を生き抜いていきましょう。

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