AMH検査#4_母は偉大
急遽実家に帰ることに決め、その日の晩に母に話をした。
「お母さん、私子どもができないかもしれない。」
母は、一瞬「えー!?」と少し残念そうな声を出した。
「卵巣の検査を受けたら、もしかしたら30代で閉経するかもしれない数値だった。」
そう伝えると、「そんな検査があるんだね。というか、そもそもあなた子ども欲しかったの?」と。
約3年前に今の彼と付き合い始め、その後子宮内膜症が発覚。
生理を止めるホルモン剤を飲み始めた。
自分で意思を持たなければ子どもが望めなくなって初めて、子どもができないことを私は残念に思った。
母にその話をかいつまんで話し(母は私に彼がいることを知らない)たところ、ふぅーんと。
そして考えを話し始めた。
「今は色々な検査ができるんだね。検査結果は結果論でしかないよ。
だってこのあたりの田舎でそんな検査受けてる人いないんじゃない?
そういう話も聞かないし。
あなたが都会にいて、いろんな情報があって、調べたらすぐにわかって、そういう検査も受けられる。
検査を受けたからわかっただけで、あなたと同じような人が検査を受けずに知らないままでいることだってある。
そりゃ、計画的に人生決めて家族を作ったり、結婚してなくても子どもを持つような(精子バンクとか)もあるけど、過去を振り返ってああだったら、こうだったらと言っても仕方ないし、その時その時で考えて選んだ結果が今なんだもの。まずはパートナーを見つけて結婚、子どもはそれからでいいんじゃない?」
平成で子育ての終わっている昭和の母なので、今はそういう時代じゃない!って思う部分もあるかもしれないけど、この考えにわたしは救われました。
あ、そっか。
まずは結婚でいいのか、と。
わたしは結婚願望がそれほど強くない。
(結婚だけなら何歳になってもできる!って思ってることがきっと要因。)
けど、子どもを産むには期限があるから、妊娠したいなら急がないと…と30代になって思うようになった。
一昔前に「できちゃった婚」と、ちょっとネガティブな言い方をされていたものもいつのまにか「授かり婚」と呼ばれるようになり、私が社会に出たばかりの頃は、「順序が逆」と言われていたことがこの十数年で様変わりしました。
そんな時代背景もあり、私みたいな仕事人間は妊娠でもしなければ結婚しない、といつの間にか思うようになっていた。
それが気づけば、「妊娠したら結婚かな」って思考に変わり…。
モテない女の言い訳かもしれません(笑)
ずっと仕事が楽しくて、まだまだ仕事への意欲が消えない。
その一方でこのまま走り続けた未来はなんとなくもう見えるから、人生を変えるなら妊娠くらいしかない、みたいな思考になっていたんだと思います。
母と話し一ヶ月が経った今、あの不安定な情緒はどこかへ行きました。
それでもたまに、ほんとにいいのかな?って思いが襲って涙が溢れるけど。
でも、驚くほど気持ちは落ち着きを取り戻しています。
私は母から言葉をもらって「孫を見せないと!」という心の荷物を降ろしました。
だから、突然泣くこともほとんどなくなった。
でも、たまに考えるんです。
母はどんな想いであの言葉を私にかけてくれたんだろう、と。
母は私のことを想って、私が傷つかないように言葉を選んで慰めてくれたんじゃないだろうか。
私が降ろした荷物を、今度は母が背負った…
私に言葉をかけながら、母自身が残念に思う気持ちに慰めの言葉をかけていたんじゃないだろうか。
本心は第一声の「えー!?」にあるんじゃないか……
たぶんその問いかけへの答えは「YES」だと思う。
ごめん。
ごめんね、お母さん。
ありがとう、励ましてくれて。
きっと娘の心を優先してくれた母。
母がいなければ、今の私はいない。
母は偉大です。
ありがとう、お母さん。
いつかちゃんと言葉にして伝えたい。