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僕の個性は金にならない

先日北九州マラソンに出た
人生初のフルマラソン
ハーフマラソンはおろか10kmマラソンすら出たことないのに無謀な挑戦だった
会社の部活(通称レクリエーション部)で誘われて、練習期間3か月
足を労わりながら練習した

離婚をしたり仕事が上手くいかなくて、死んでしまえば生きなくていい そんなことばかり考えていた(GARNET CROWの歌詞にある言葉)
ときにランニングに出会った。
このブログでも何回か書いているけど、走ることは本当に最高。
脳内にアドレナリンやセロトニン(幸福を感じるやつ)が吹き出てくるのが目に見えるくらい分かる
勿論しんどいけど、じっと家にいるよりずっと楽
身体のしんどさと精神のしんどさはある程度リンクしているけど、動かなすぎるときは別
脳が勝手に嫌なことを考え出すといういじめをしてくるからね
走るときは頭の中がスッキリ無に近くなる
走っている間はポジティブな考えが浮かぶ
終わった後も、走る前より前を向いている自分がいる

以前から少しは走っていて、この練習を通して累計で4,000km
地球一周が4万kmらしいので、地球1/10くらい走った
まさか福岡に転勤してきて自分がフルマラソンを走るとは人生出会う人でどう転ぶか分からんもんだ

結果、4時間40分で完走できました!
その際の思ったことをば

〇人がえぐい。北九州に絶対ない人口密度だった。これで1万人くらいやから東京マラソンとかどうなるんや
〇沿道の声援はめっちゃ力になる。北九州在住の大学の先輩が10km地点、会社の部長が35km地点にいてくれた。しんどいときの声援はめっちゃパワーになる。
〇沿道に無償の声援をくれる人がたくさんいる。友達とか家族じゃなくて普通に市民ランナー全体を応援してくれる人がいる。すごいと思った。僕はようせん。熱心に応援してくれるのは高齢者が多かった印象。チョコや水、サロンパスのスプレーをかけてくれる人もいた。
〇35kmからがエグしんどい。レベチ。1回30km走した時も25kmくらいからしんどかったけど、そのレベチのしんどさやった。息が苦しいとかじゃなくて、足が動かない。痛いとかじゃなくて前に進もうとしない。心配していた膝はもってくれたんだけど。ダルい、のめっちゃすごいやつ?的な?マラソンYouTuberの人が「30kmまでは移動」って言ってたの分かる。
〇水めっちゃ飲む。給水所のたびに飲んだ。
〇給食めっちゃ食う。走るとカロリー消費しまくるので、とにかくエネルギー切れを起こしたら死ぬ。エネルギー補給のゼリーは2個携帯していたけど、そのほかにも給食めちゃ食べた。定番のバナナのほかに、ピザとかお肉まで食べた。
〇シャア(のコスプレ)がいた。実際みんなの3倍速かった。すごい。
〇増野明美とハイタッチした。テレビで見た通りの人だった。
〇終わった後の爽快感というより疲労感。前述の通り最後の7kmで地獄を見たので、何よりもう走らなくていいってことに喜びを覚えた。7kmの間はいつ歩こうかと自問自答していたけど、最後まで歩かないっていう目標を自分で立てたから絶対歩かなかった。マラソンは自分との戦い
〇マラソンを人生に例える人がよくいるけど、最後の7kmガチで動けんかったから、25kmくらいまでの動ける時期に走っとけよ!っていう意味?!
〇会社のメンバー9人タイムはバラバラだけど全員完走。23歳から50歳まで。みんなすごい。ちなみに50歳の部長は初マラソンにしてサブ4(市民ランナーの一つの目標4時間切り)を達成。


マラソンをやったら人生変わるかなって思ったけど案外変わらんね。

って書こうと思ったが、これが自分の勘違いで、人生の転機になるほどの変化があるのかも知れない

今回書きたかったのはそういうことで、自分には、自分のこときちんと認識する能力、所謂メタ認知能力が低いんではないかと思った

マラソンをやったことで自分の中に起こったことや、周りの人の自分の見方、人間関係なんかの変化は確実に起きているはずで、その大小ということの判定が非常に主観的ではないかと思う
人間自分の視点しかないのだから一生主観的でしかいられないのだが、不思議と第三者の目を持っている人は結構いる
それは仕事できる人に多いイメージ
仕事できる人は自分がどうみられているか、1つの行動がどのような影響を及ぼすかを認識する能力が高いと思う
そういう人は変に自分のことを卑下することはないだろう(正当に自分を評価する)し、周りの人がどう思っているか理解できるから、ニーズ先行の行動ができる
ひいては商売でもニーズを掴める人は売れるのでうまくいくだろう


メタ認知能力が低い人は、周りの目線を過度に意識するだけでなく、元々神経質なネガティブな人は自分の評価を極端に低く見積もる傾向にあるので、周りから嫌われているとか役立たずだと思われているとかいう、根拠のない評価をくだしてしまう
それにより自己肯定感が下がり、さらなるアクションが起こせなくなり、実際の評価まで悪くなり・・・という負のスパイラルに陥ってしまうと思う
誰か他人ごとのように言語化しているとなんとなくわかるが、自らを認知するとなるとなかなか厚い壁がある
自分のことは自分が一番わからないのだ

これからの心がけは、きちんと自己評価を確かめるため、相手にギブを与えようと思う
なんの因果が?という感じだが理由がある
ギブを与える、ポジティブなアクションを起こす→人の役に立てる→相手も自分のことを役に立つ人間だと認識してくれる→テイクがもらえる→こちらからもさらなるギブが与えたいインセンティブが働く→さらに役に立つ→評価が上がる→やがてその評価が自分に伝わる→自己肯定感が上がる
という正のスパイラルを生みたいと思うからだ

利己的な人間なので(これも正当な評価ができていないのだろうか)テイクが欲しいわけだけど、今の時代イエス・キリストのように無償の愛を与えてくれる聖人などいないので、実際に実益を与えようと思う

思えば人に認められたい、他の人の仲間に入りたいって思うこれまでだった
親戚の集まりでは親同士の大人の会話に混じっている従姉妹のお姉ちゃんが羨ましかったし
中学ではテニス部女子と大会の話している人が羨ましかったし
大学では軽音で楽器の上手い人同士でしか通じないコミュニケーションで話しているのに入りたかったし
会社に入っても出世の話をしたり経営層と対等に話しているイケイケの人を見て羨ましく思った

みんな同質化したい、自分も同じって思いたかったからだった
ザ・会社員の今の会社に入ったのもそういう理由だ
田舎が嫌だったのも多勢の都会の仲間に入りたかったからだ

僕の個性はお金にならない
一つのことに執着出来る、負けず嫌い、センス、芸術性、おしゃべり、ネアカ、スポーツが得意、体力がある
こういうのは全部お金になる
自分は特筆するものが無くて、センター試験全科目ほぼ75点だったのが象徴のような人間。
そういう人、会社はソルジャーがいるので必要とするんだろうけど、弱いソルジャーに未来はないのです

認められたい
だからギブする

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