今抱えている違和感たち
▶はじめに
僕は昔からものごとに違和感を持ちやすい。
今もそうだ。
小さい時はりんごをなぜりんごと呼ぶのか分からず母親を困らせた。
学校で開かれる終業式もなんでやるのか分からず先生を困らせた。
表面的に丸く収めるだけの議論をやる意味が分からず仲間を困らせた。
敏感と捉えることもできれば、こだわりが強いと捉えることもできる。
僕はこだわりが強いのだと思う。
ここ最近、それがはっきりと認識できた。
「美しさ」が僕にとっての大切なこだわりだ。
それまでは
「なんかもやもやするなぁ。」
「自分だけが思っているのかなぁ。」
「ほら、口に出してみたら変な空気になった。」
自分が異物だと思われることが怖くて、
とりあえず周りからの期待に応えて、
一般的な指標をそれなりに満たして生きてきた。
でも、自分の心が本当に満たされることはあんまりなかった。
違和感は悪いものではない。もやもやするけど、間接的に自分の輪郭を教えてくれるものだから。
一番最初にあげた例なんて小さいもので、自己紹介にも書いたように僕は小さいころから生きること・死ぬことに大きな疑問を持っていた。
今日は自分のこだわりが「美しさ」だと気付いた話と、
それに気付けたからこそ抱えている今の違和感を備忘録的に遺したい。
いつかこれを見て、こんなこと考えていたなと笑える日が来てほしいし、
同じ違和感を抱えている/抱えていた仲間がいたら話してみたい。
▶たくさんの死と別れ2022
2022年、たくさんの死と別れに触れた。
4月に地元関西に別れを告げ、東京に転勤になって、心機一転頑張ろうと思っていたが人生そんなにうまくいくはずもなかった。
▼祖父の死
僕は生粋のおじいちゃん子だった。
親戚唯一の男の子だった僕は、おじいちゃんにとても愛してもらった。
おじいちゃんの家が実家から車で10分と近かったのでよく遊びに行っていた。
たくさん一緒に笑って、たくさん一緒にご飯を食べて、たくさんおもちゃを買ってもらって、時々けんかもして、毎週のように神戸に連れて行ってもらっていた。
毎日口にしていたおかきとビール以上に、僕のことが好きだったおじいちゃん。最期に会ってあげられなかったことが僕の心を苦しめた。
そんな僕を救ってくれたのもおじいちゃんだった。
おじいちゃんはいつも「今、サイコー」と言っていた。
僕は「馬鹿だなぁ」くらいに思っていたが、この言葉に救われる日が来るなんて思ってもいなかった。
確かに今は心が痛いかもしれないけど、「今、サイコー」ならどんな意味があるんだろうと考えるきっかけになった。
おじいちゃんは生きることの楽しみ方を僕に教えてくれていた。
▼膝の靭帯との別れ
おじいちゃんの死から2か月後。気分転換にスポーツをしていた時だった。
左膝がぐきっと変な方向に曲がった。
「これはやばい」とすぐに分かった。
大学生の時、左膝の前十字靭帯を断裂した時と同じ感覚。
同じ怪我だった。
診断を受けたときは、超痛い手術・1週間入院・1年間のリハビリが確定し、かなり落ち込んだ。
気分転換するだけじゃなくて、何かにしっかりと向き合う時期なんだという気がした。「今、サイコー」なら、アメフトが好きな僕からそれを取り上げるなんてないはずだから。
▼彼女との別れ
病院で診断を受けた15分後に電話が来た。
「別れよう」と。
脳の処理が追い付かなかった。
これをきっかけに愛について考えるようになった。
自分が本当の本音で話していなかったから、すれ違ったことに気付いた。
嘘は終わりを招き、本音には本音が集まることを学んだ。
▼高校の頃のコーチの死
高校の頃の部活のコーチが自殺した。
自殺する直前は、アメフトをしていた。
コーチは怪我が原因で大学生の時は自分でプレーすることができなかった。
自分は誰かの期待に応えるために、見栄を張るためにかっこつけて生きていないか。心が本当に欲しているものは意外と目の前にあるんじゃないか。そう考えるきっかけになった。
▼1週間で2回の全身麻酔(仮死体験)
手術のミスがあり、1週間で2回も手術を受けた。
全身麻酔では、無を体験する。死ぬってこういうことなのかもなと考えざるを得なくなる。
もんもんと過ごす入院中、僕は2つの大切なものに出会えた。
1つは、がんを患っていた患者さん。2回目の手術が決まって落ち込んでいる僕に話しかけてくれて、「手術から帰ってきたら食べてね」とミカンゼリーをくれた。
自分がもし自分の命を脅かす病を患っていたとしたら、こんなに人にやさしくできるのか?と思った。
つい最近まで、会社の業績のためにお客さんとコミュニケーションをとっていた自分が恥ずかしくなった。人を想う気持ちで仕事をしたい。損得勘定なんかで動きたくない。口先だけの圧倒的当事者意識なんていらない。本当はこの患者さんみたいにありたいんじゃないかとそう思った。ミカンゼリーには何円にも変えられない大切なものが詰まっていた。
もう1つは、絵。あまりにもやることがなさ過ぎた僕はスマホの写真フォルダを見て、iPadに絵を描き始めた。大して絵心があるわけはないけど気付いたらそうしていた。自分に対して「こんなことするのか、自分」と意外だった。
それらは不思議と大自然ばかりだった。心が写真のような場所に行くことを求めている気がした。
▼大叔母の死
退院から1か月後、家が近くて僕を愛していくれていた大叔母が急に亡くなった。おじいちゃんの時と同じ。僕はまた最期に顔を見せてあげられなかった。すごい無力感だった。
あまりにも死と別れが続くから、このテーマに徹底的に向き合えと誰かに言われている気がした。
考え始めると本当につらくて、なんで生きているかわからなくなった。
仕事も全く手につかなくなってしまった。人と話したくなくなった。自分以外がものすごい速さで進んでいくように見えた。弱い僕は周りの人がすごく浅はかに見えていた。
人はどうせ死ぬのに、すべて無くなってしまうのに、なぜ輝こうとするのか分からなくなった。
2022年は今までつらいことだけじゃなくて、楽しいこともいっぱいあったけど、いつか無くなってしまうことが怖くて悲しくてすべてを受け入れられない自分がいた。
そんなある日、こんな問いを持った。
「もし1か月後に自分が死ぬ、地球が消し飛ぶと分かっていたらどうするだろう。。。」
▶最近見つけた僕のこだわり
「もし1か月後に自分が死ぬ、地球が消し飛ぶと分かっていたらどうするだろう。。。」
2022年の経験をしたからこそ、純粋にフッと降りてきた。
「ただ美しいものに触れていたい」そう思った。
美しい景色・美しい人の心、美しいつながり・・・・それに全エネルギーを注いで触れに行って、最期の日を迎えるだろうなと。
その時にビビっと来た。
僕のこだわりは「美しさ」にあるんだと。
この言葉はかなり広義だけど、自分の中に確かにある「美しいという感覚」に沿ったときは幸せで、沿わないときには違和感を持ちもやもやしていた。
自分のこの感性を信じられていない自分がいた。
この感性を否定されるのが怖くて隠していた。
その期間が長かったからこそ、この感性の通りに生きる(=何が起きるか分からなくてどれだけ怖くても、美しいと思える方を選び進んでいく)ことこそが自分の人生をありのままにいきることなんだと思えた。
人は無色透明の世界を、自分の価値観という色付きレンズ越しに見て意味を与えて生きている。
これは生きること・死ぬことにも同じことが言えるように思えた。
自分という存在は本来的に意味なんかないけど、そこに何らかの意味をもたらせようとする。
生きている間は自分で自分に意味を与えられる。
けど生まれてくる前と死んだ後は自分ではない誰かから意味をもらっている。
お人好しすぎる父親と、優しいのにどこか素直じゃない母親は僕を想い、誰かを照らす一筋の光(RAY)となってほしいという願いを込めた。
僕はおじいちゃんとコーチと大叔母を想い、意味をもたらした。誰かが「あいつらに生きた意味なんかなかったよな」と言ったら僕は絶対に許さない。
これに気付いてからなんで生きているかわからなくなった僕は
・つらいこともたくさんあるけれど美しいこともたくさんあるから
・誰かを想う気持ちを残し、託し、自分の死に意味があったと言ってみたいから
生きてみようと思えた。
▶こだわりから生まれた今の違和感たち
▼仕事について
美しいかどうかに照らして仕事を見るとつらくなってしまうことが増えた。
僕は人の心からあふれ出た本音と、それら同士のつながりに美しさを感じる。
自分の短期的なメリットしか考えていない人たちの集まり、想いのこもっていない二番煎じ、表面的な思いやり、選択肢がない形だけの合意…そういった空虚なものには美しさを感じない。軽蔑すらしてしまう。
だからこそ
・今の日本社会で、本気で心の底から今の仕事をしたいって人はどれほどいるのだろうか。
・お金儲けが先走って誰かを想う気持ちが置き去りになっていないか。
というところに目が行ってしまって、仕事に前向きになれていない。
まじめに人の期待に応えることをしてきた僕自身が困惑するくらい動けていない。
営業という仕事を僕は、相手の視界に映り、何らかの手段で相手の価値観に干渉し、自分もしくは商品を「これ、いい!」と思ってもらう仕事だと認識している。
よく言えば、価値が届いていない場所に届ける仕事だと思う。
一方で、何らかの手段で相手の価値観に干渉することにはすごく違和感を感じる。なぜか。それは本気で心の底から今の仕事をしたいって人が少なくて、会社から決められた指標をクリアするために動いている人が多い気がするからだ(自分も例外ではない)。要は仕事において心のコンパスを使った判断ができない人が多いからである。
▶何をするのか
まだはっきりとわからないが、24年かけて出会えた美しいという感性は大切にしたい。
美しいという感性で何かを作りたい。
蓋してしまいがちな自分の弱さと向き合うきっかけになるもの?
会社の目標や人からの目線とかの”結果”への恐れを優に超えて本音をあふれださせるもの?
そんなイメージだ。
美しい世界。
これはただの理想なのか。
信じたいけど信じきれない弱さもある。
でも僕が信じないと誰が信じられるだろうか。
その先で僕は誰かを照らす一筋の光(RAY)になれているのだろうか。
ちょっとくらい、仕事をせずに自分の美しいという感性を磨く期間にしてもいいかもしれない。
「職歴に空白の期間があったら大変」そんな声が聞こえてくるかもしれない。僕を心配してくれているのだろう。
でも、そんなことくらいで人生を棒に振らないといけない世界もこれまた美しいとは思えない。
仕事をせずに自分の美しいという感性を磨く期間が終わったときに自分は何を美しいと思うのだろうか、そして何をして美しい世界に近づけようとするのだろうか。
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