経営に活かしたい先人の知恵…その48
◆「より多くの人民を救うこと」こそ経済活動の意義◆
「人類の教師」(和辻哲郎命名)とも称される孔子は、経済活動にどのような見解を持っていたのか。「最初に利を考えるのは、評価のできない小人」との言葉が「論語」にあることから、お金儲けを否定していると思われがちだが、決してそうではない。それは同じく「論語」に見られる、「富貴は人情の欲するところだから、これを求めて悪いことはない。しかし、道理に叶った方法によって手にした富でなければいけない。貧賤を憎み、嫌がるのは人情だから、それを去ろうとするのはいい」との言葉から理解できる。
ただし、孔子はお金儲けのすべてを単純に容認している訳ではない。問題はお金持ちになった後の行動にある。孔子は「あまねく人民に施し、より多くを救う人があれば、それは仁と言えましょうか」と訊かれ、「それは仁どころではない。堯舜(名君の代名詞)のような聖人でもできなかったことだ」と答えている。要は、手にした富でより多くの人を救えばいいと考えていたのだ。
孔子のこの教えを心の拠り所として経済活動に励んだのが、一万円札に描かれている渋沢栄一であり、次の言葉を遺している。
「広く民に施そうとすれば、財産がなければならず、大衆を救おうとすれば、これまた資本が必要だ。何事をするにも先立つものはやはり金銭である。いかに民に施し、大衆を救おうとしても、富がなければその希望を達し得ない。ない袖は振れない。今日の文明政治を行なうには、ますます富の必要があるのだ。しかし、算盤をとって富を図るのは決して悪いことではないが、算盤の基礎を仁義の上においていなければならない。私は明治6年に役人を辞め、民間で実業に従事してから50年、この信念はいささかも変わらない。あたかもマホメットが片手に剣、片手に経典を振りかざして世界に臨んだように、片手に論語、片手に算盤を振りかざして今日に及んでいる」。
明治維新が掲げた「富国強兵」は、お金がなければ成し遂げることはできないが、農業主体の日本では、税収にも限りがある。欧米を視察してきた渋沢には、企業活動が活発になることが富を手にする一番の近道だと理解できた。しかし、当時の商人の地位は低かった。そこで、企業人に転身する際、自分自身と周囲を納得させるために、渋沢が持ち出したのが、孔子の教えだった。
そんな渋沢と同じ考えを持っていたのが、明治時代のキリスト教徒・内村鑑三だ。自著『後世への最大遺物』に大意、次のように書いている。
「何も残さずに死にたくない、記念物を残したい。一番大切なものは『お金』で、これを社会に残していきたい。しかし、富をひとつに集めるのは一大事業で、それができる人は、神の助けを受ける人で、才能があり、それなりの地位にいなければできない。ジラード(フランスの商人でアメリカで事業)は、世界一の孤児院を建てるためにお金を貯めた。清き目的を持ってお金を貯め、それを清きことのために用いることが国益になる。私には、お金を貯める才能がない。そこで、才能がなくても、地位がなくても、残せる最大遺物は『高尚なる生涯』だと考えている」。
キリスト教徒の内村が、最初に「お金」を残したいと言っているのだから驚く。ただし、渋沢、内村ともに、施すことを主目的として、お金を貯めることを推奨している点は忘れてはならない。
中国・後漢時代、光武帝に仕えた武将・馬援は、「財産を増やすということは、人に施しができるところがよいのだ。そうでなければ、ただの守銭奴ではないか」(『後漢書』)と言ったと伝わるが、なんとスマートなことか。
江戸時代に米沢藩を再興した上杉鷹山も、質素、倹約ばかりを説いていたように思われがちだが、それは違う。鷹山のモットーは、「施して浪費することなかれ」、だったと言われている。