仕事の常識を疑う 〜そもそも仕事ってなんでやんなきゃいけない??〜
コロナ禍で浮き彫りになった"仕事のムダ"に関する記事を読んで、思ったことを書きます。
記事を要約すると、仕事上のムダとして、
・電車が遅れようが台風が来ようが、毎朝9時に全員が出社すべきという精神。
・「報告」「連絡」だけの会議をしていて、その資料作りに時間をかけまくる。
・毎日会社に行く。そして与えられた作業をただこなす。
が挙げられていました。
なるほど今の日本企業には、一円の利益にもならないのに全員が必死で守っている悪習が山ほどあります。
withコロナの時代で生き残るには、仕事のあり方を根本的に変える必要があります。
そしてそのためには、"自分の頭で考えず慣習だからやっているだけ"の無駄な仕事にまず気付くことが重要です。
当たり前を疑え、ということです。
去年、コロナ禍なのに、どこぞの役人が職場の忘年会をやって大炎上してましたが、こういう"毎年やってるからやる"という思考停止が、職場の責任者・管理職層に根深く蔓延しているという事実の表れでしょう。
今や、これまでの当たり前は通用しないのです。
私は一つ、もっと根本的な部分で"当たり前"に疑問を持ったのでここで発表します。
そもそも仕事、しなきゃいけないって、誰が決めた???
仕事は、私達が生まれた時から当たり前にある社会の機構です。
つまり、大人になったら働くのが当たり前という時代にたまたま生まれたからみんな仕方なく働いているだけなのです。
(「いいや、オレは好きでやっている。仕事が生き甲斐なんだ!!」と言う人がいたら、ぜひ私の分まで働いてお金だけ下さい)
「あぁそうだ💡オレ……誰かのために動こう! え、なになに、へーそれをこの世界では"しごと"って呼ぶの?」
自然に生きていて、ある日こんな"仕事の概念"を思いついた人なんて、この世に一人もいないでしょう。
つまり、仕事をしていることは不自然なのです。
不自然なことをやれば、ストレスが溜まります。鬱になります。
鬱になる生物は、人間と、飼われてる動物だけと言われています。
大自然に生きる生物は鬱にはなりません。それは、彼らがまさに"自然に"生きているからです。
理想論だけ言うと、例えば歌が好きで、上手くなっていくうちに、気付けば色んな人がその歌声に励まされ、いつしかそれが仕事と呼べるものになっていた、という過程は自然であると言えるかもしれません。
しかし、現在はそう甘くないので、皆が少しずつ無理を分担して、夢を諦め、世の中がなんとか成り立ってるんですよね。
その、少しの無理が、人によっては全然無理でなかったり、死ぬほど無理だったりするんです。
私は、死ぬほど無理な側の人間だったので、今こうして仕事をずっと休んでいます。
しかしそんな私も、最初から死ぬほど無理だったのではなく、
「いくら無理なんて言っても、世界の機構なんだから仕方がない。オレは頑張れるハズや!」
と、無意識のうちに"しごと無理"という自分の本当の気持ちを押し殺して生きていて、それに慣れすぎたために本当に体調を崩すまで全くそれに気付かずにいたのです。
自分との対話を避けてきた結果です。
ここらで、自分の本当の気持ちと向き合い、それを一方的に抑えつけるのではなく、現実とどう折り合いをつけるべきか、真剣に考える必要があります。
その手段の一つが、究極の自己対話法である"催眠療法"なのです。
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