かつて教導で大失敗したのに失敗から学ばない国があるらしい

日本っていうんですけどね。


第二次世界大戦で日本が無茶をして大負けに負けたのは皆さんご存知の通りでしょう。

今日は日本の失敗の本質を、教導という観点で見ていきます。


まず日本が戦時中にやっていた教導を見ていきます。

分かりやすいのは教育ですね。

男子は詰襟を着てみーんな頭を丸め、お国のために散るこそ美徳、女子は家庭に入るのが女の幸せ、みたいなことを誰も疑わなかったわけです(疑っても言い出せない同調圧力はあったでしょうが)。


これは教育というより洗脳に近いですが、上の指示をまるっと受け入れる人間というのは兵隊(駒)として最適なわけです。

だとしても、上さえ超々有能だったなら、その天才的命令に従っているだけで我々は戦争に勝利できたかもしれません。

しかし結末はご存知の通りのボロ負けですから、日本の悲劇は無能が上に立った(あるいは無能でも上に立ててしまうぐらい人材に乏しかった)点にあると言っていいでしょう。

これだけ資源に乏しい国で、頭脳まで乏しかったら話にならんですね。



では次に、戦争が終わって70年80年が経とうとしている現代の教育を見てみましょう。


学生服、まだ着てますね。

学生服着たら学力向上したり授業への集中力高まったりするんですかね?

もちろん関係ないです(関係ないので、アメリカではパジャマで学校に行く生徒さえいます)。


髪型に関しては、戦時中は全員例外なく丸坊主でしたが、さすがに現代はそんなの野球部剣道部他ぐらいでしょうか。

考えれば当たり前のことですが、坊主にするだけで野球や戦争に勝てれば苦労しないって話ですね。

「いやいや、坊主にすることで苦痛に耐える忍耐力がついて厳しい練習にも耐えられるんだ!」なんていうのは手段の目的化、化石みたいな戦時教育を未だに引きずる、苦労のための苦労、全くもってナンセンスです。

てかメジャーリーガーに坊主いないだろ!QED.


女子に関しては、皆ある程度好きにオシャレしているし、だいぶ緩和傾向にある気はしてます。

未だに、女子の下着は白限定などと定める馬鹿げた校則もあると聞きますが、それもブラック校則とか言われる風潮に最近なってきています(ブラックとかいう言葉でお茶を濁してますが、普通に人権侵害で憲法に触れてそう)。

女の幸せは家庭に入ること、なんてのは常識知らずな考え方と言われて炎上するようになってきました。

戦時中に活躍した女将校や女軍曹なんて一人も聞いたことないですが、今は女性の会社役員もいますからね。


それでもまだまだ、従順な駒を育てる目的しかないだろみたいな規則がいくらでもあるのが現代日本の学校教育です。

「その規則って学力向上に繋がるのか?」と疑問に思う校則はたいてい「昔からあるから今もやってる」という思考停止だったりします。

人を教え導く側の人間が思考停止していたら教育もクソもありませんね。




教導とは、"これをやっていれば正しい"という道を示すことです。

信者からすれば、自分の頭で考える必要がないので、ラクなんです。

でも、言われた通りやったのに、全然上手くいかないじゃないか! となることはいくらでもあります。

そして、そうなっても誰も責任を取ってくれません。

だからこそ、自分の頭で考えて、自分で責任持って行動を選択していくことが、現代を生きる力として強く求められているのであります。



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