映画『ロッキー』鑑賞
何度観ても、色褪せない
「原点にして頂点」という言葉がマッチする映画、『ロッキー』。
シリーズとの初めての出会いは『ロッキー4』で、同作を子どもの頃にを観て以来、シリーズ作品がTVで放映される度に繰り返し夢中に観ていた。今回、第1作を初めて字幕版で通して観て、あの頃とはずいぶん感覚に違いがあるけれども、「ああ、やっぱり面白い」と思わずにいられなかった。
物語の前半、ペットショップのケージ越しに映るロッキー、同じくペットショップのケージに入れられて小さくなっているブルマスティフのバッカスの姿が映し出される。ひどく象徴的なシーンで、観ていると心がヒリヒリ痛くなるような描写だ。
そんな境遇にありながら、降って湧いてきたかのようなチャンスを目の前にした時。去り行くミッキーを追いかけて声を掛けた彼の選択に、胸打たれる。自分を腐してきた人物に助けを求めメンタリングを乞うことができるのが、ロッキーの本当の強さなのだろう。あのシークエンスを観て、ふと自らの胸に手を当て、自らの過去の「選択」を省みた人もきっといると思う。
ミッキーと握手を交わし、「再生」への道を歩み始める姿は圧巻だ。まだ暗い4時に起きてトレーニングに打ち込むものの、朝陽を浴びながら脇腹を抱えるロッキーの姿が痛々しい。そんな切なくなるような描写を経てのトレーニングモンタージュのシークエンス、何度見ても待ってました!と喝采したくなる。フィラデルフィアの港に係留された帆船Moshuluの横を通り抜けるシーンはとりわけ印象的だった。
荻昌弘氏の解説にある「するという方を選んだ、勇気ある人々の物語」は至言だ。また見たくなるであろう映画だった。
※ 画像は映画.comから。
鑑賞日:2024年7月[Amazon Prime Video]
評 価:☆☆☆☆☆☆☆☆★★(8/10)