映画『オッペンハイマー』鑑賞
極上のエンターテインメント映画なのだろう
映画は、前半部分と後半部分とに綺麗に分かれる。前半はマンハッタンプロジェクト、後半はストロースとの物語が描かれており、後半は映画として面白く感じられた。
この映画を語る大前提として、「自分が日本人だからという理由で、自動的に、79年前の米国による核攻撃に関して被害者視点で語る資格が付与されるわけではない」ことを肝に銘じたい。この映画を「唯一の被爆国の、同じ日本人として」語ることはむしろ不誠実なことだと感じるし、被害者としては語れないし語ってもいけない。
とはいえ、オッペンハイマーが演説した後に炭化したあるものを踏んでしまうシーン、あるいは最終盤のミサイルが林立しているショットは、米国(人)のお為ごかしのように感じ、ノイズになっている印象を受けた。ああ、こんなものか、彼の国の核兵器観は、と嘆息した。
一方で、トリニティ実験が成功した際に科学者たちが快哉を叫ぶシーンには、(不本意ではあるが)納得した。心血を注いだ仕事が結実したのを目の前で確認できたのだ。そりゃ歓声もあげたくなるだろう。まだ核兵器が実戦で使用される前の出来事である。あそこで苦悶の表情が描かれていたりしたら、それこそ嘘っぽい。
79年前。あの雲の下でどのような惨禍が展開し、それを人類がどう省みるかと、人類初の核実験の現場で科学者がどう反応したかを描くことは、別問題だから。
後半は、時間を頻繁に行き来し、当時の出来事を2つの視点から交互に描いているので、話を追っていくのに時間がかかり、映画の中の描写と自分の理解との間にタイムラグが発生しているのを感じた。それでも、話が進むに連れ引き込まれていった。
英雄となったオッペンハイマーは、より強力な核兵器の開発に反対し、一転して追い詰められていく。国家(の一握りの権力者)がその気になりさえすれば、たとえ第二次世界大戦を終わらせた英雄であっても、あっという間に公職を追われ、尊厳さえも奪われていく様を克明に描いており、圧倒させられる。
それでも、結局ストロースの野望は打ち砕かれ、観るものは溜飲を下げることになるのだが、この後半部分は、自国の歴史を知る米国人にとっては「胸熱」の展開なのかも知れない。
結局、米国人にとってこの映画は「極上のエンターテインメント」なのだろう。ひどく冷めた感覚で映画を観終わり、出てきた結論はそれだった。
本編とは関係なく、一つ気になったことがあった。
今作品はTOHOシネマズで鑑賞したが、入り口前に「ご鑑賞にあたってのご注意」と記された注意喚起のボードが掲示されていた(下写真)。
R15+に指定されているので、小中学生は観られないが、高校生が友達同士で、あるいは親御さんと一緒に観にくることはあるかも知れない。その際、あの大音響やその核兵器に関連する描写にびっくりして、ショックを受けることもあるかも知れない。
しかし、第96回アカデミー賞作品賞も受賞し、日本での上映についてあれだけ話題になった本作である。そんな映画にお金を払ってわざわざ観にくる層を相手に、この注意喚起はどうなんだろう。
観るものにショックを与えるというなら、むしろ、オッペンハイマーが尋問の中で文字通り丸裸にされてるシーンの方が問題があるように思える(あの演出、本当に必要だったのだろうか?)。そこはR15+指定しているから問題ないとの判断かも知れないが。
もう少し、観客を信用してくれてもいいのにと思い、少なからぬ違和感が残った。
鑑賞日:2024年4月[劇場]
評 価:☆☆☆☆☆☆☆★★★(7/10)