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知的生産の技術(著:梅棹忠夫、岩波新書)
50年以上前(1969年)に出版された名著。「学校では知識は教えるけれど知識の獲得のしかたはあまり教えてくれない」という問題意識を持った著者が、知的生産のための実践的技術を惜しみなく開陳した内容。出版当時と現代では一般に用いられているテクノロジーが異なり、特にコンピューター(スマートフォンを含む)やインターネットを多くの人が使えるようになったことの影響は大きく、物理的な書類整理の方法やタイプライターによるローマ字・カナ文字表記の議論などは、現代の読者には直接的に役立つことはないだろう。それでも、本書に内在している「考え方」や「技術」は汎用性が高いものが多く、それ故に長期に亘って売れ続けるベストセラーになっているのだろう。
本書が示す知的生産のための考え方
本書を読んで初めて知ったのだが、「知的生産」という言葉はどうやら著者である梅棹氏が作ったものらしい。著者は自身の造語である「知的生産」を次のように定義する。「頭を働かせて、なにかあたらしいことがら - 情報- をひとにわかるかたちで提出すること。」
非常に簡潔な表現なので見逃しがちだが、非常に重要な考え方が隠れている。それは、「自分の考え」が主であり、「人の考え」や「受領した情報」は従であること。もっと現代風に言えば、「アウトプット」が主であり、「インプット」が従であるということだ。以前取り上げた「知的トレーニングの技術」という本でも、冒頭に「知的創造のためには、創造が主、整理は従」という同様の趣旨の言葉がある。本書が語っているのも「知的生産」であるから、主は「生産」「創造」「アウトプット」であり、それを最大化するための技術として「蓄積」「整理」「インプット」がある。つまり、やたらとインプットして、単に整理整頓していても意味がなく、いざ創造となった時に蓄積された情報から適切なピースを取り出せなければそれは「死蔵」となってしまうということだ。
知的活動というと、本を沢山読んだり、得た情報を数多く溜めていくようなことをイメージする人が多い。確かに実態を見れば、知的活動の少なからぬ部分はそういった活動に充てられるだろう。しかし、「知的生産」のためにはこういった視点のコペルニクス的転換が必要だ。つまり、生産を軸にし、そのためのインプットや整理がある、という徹底的に機能的な視点への切り替えである。
今でも使える知的生産の技術
冒頭で、本書が書かれた時代と現代では利用できるテクノロジーが大きく異なるが、それでもなお汎用性の高い技術論が展開されていると書いた。その例を2つ挙げておきたい。
1つ目は「自分の発見を標本にしておく」方法である。著者は「発見の手帳(のちに発見のカード)」を常に持ち歩くことにしており、日常で何か気付きを得たらその場で文章(著者の言葉を借りると豆論文)として書ききっておくことを習慣にしている。これは「日常生活の知的活動の記録」であり、「観察を正確にし、思考を精密にする良い方法だった」と著者は振り返っている。
これは重要な技術で、私はこれを「思考の標本化」と呼んでる。その場、その瞬間でしか生まれない現象である「思考」を、新鮮なうちになるべく文章で書き留めておく。そうすると、その時の思考だけではなく、同時に抱いた驚きや高揚も含めてその文章に折り畳まれ、完全再現とまではいかないが、後日文章を見直すとまるで別人が考えたことを改めて読むかのように過去の自分の思考を追体験することができる。人間の記憶は曖昧であり、コンテキストによって容易に移り変わる。標本のようにバシッとその場で張り付けておくことが肝要だ。
現代であれば、手帳ではなくスマートフォンのメモアプリが便利だろう。フォルダやタグで整理もできるし、あとで検索することも容易だ。今はそういった思考整理に役立つメモアプリが多く展開されているので、いくつか試して自分に合ったものを使うことができる。
2つ目は「規格化」である。本書を読むとよくわかるが、規格化は知的生産のための情報整理において、キーとなる概念であり、技術でもある。多量のインプットをしていったり、日々数多くの発見を書き留めていくと、どうしても情報は雑多になる。知的生産のためには、それを仕分けていつでも取り出せるように規格化することがポイントだ。PCとクラウドの普及で紙の時代と比べて規格化は容易になったが、それを実践するためには技術がいる。
規格化をする上での論点は、「規格化された後にどう整理をつけるか」ということだ。現代では、PCを使えば規格化自体は非常に容易だが、問題は無限に「ハコ」を作れてしまう点にある。PCのフォルダ構造が壊滅的になっていて、どこに何を格納したのか誰にもわからないカオス状態は、誰しも経験があるのではないだろうか。
それを解決するには、フォルダ名に統一性を持たせるなどの「マイルール」作りが必須だ。本書によれば、本居宣長は自宅の書棚から明かりをつけずに必要な本を取り出すことができたという。これができるということは、自分なりに書棚への格納ルールを設けていたはずである。本書は、そんなあるべき姿を見据えながら、テクノロジーの観点では現代より遥かに整理が難しかったはずの時代に賢く規格化し、情報整理するためのポイントが随所で語られている。そういった知恵は、現代でも十分役立つ。
本書を読むと、知的生産の大部分は技術によって支えられていることが良くわかる。知的生産のエッセンスを教えてくれる本書は、現代においても無数の示唆を与えてくれる。