これだけ教育コンテンツが充実している現代でも結局OJTが最強の学習法である理由
現代は、教育が民主化し、オンラインかつ低価格でありとあらゆる種類の教育が受けられる時代にある。しかしそんな時代でも、OJTはなくならない。どんなに教育コンテンツが充実しても、OJTが最強の学習法であることは変わりないからだ。その理由を説明する。
理由その①:成果を出している人は教えない
成果を出している人は他人にその技術やコツを教えない。
これは、他人に教えると自分の競争力が落ちるということが理由の1つだが、それだけではない。自分の培ってきた力を他人に伝えていきたいと考える人は実は大勢いる。
ではなぜ教えないのかというと、単純に教える暇がないからだ。成果を出している人は、成果を出すことに時間を使うのが最も効率が良い。教えるよりも成果を出すために頑張った方がよいよね、と考える人が大半だ。
成果を出している人が積極的に教えないのであれば、その人と一緒に働いて学ぶしかない。故にOJTが必要になるのだ。
理由その②:教育コンテンツで教えられること=形式知は氷山の一角
教育コンテンツは、どんなに実践的な内容であろうと「作られたもの」、つまり予定調和であり、道筋が用意されている。こういったコンテンツでは、形式知しか伝えられない。
一方で、実際の仕事は不確実性に塗れ、予想外のハプニングが発生したりする。その中で、明確に言語化はされないが不確実性を生き抜く「知恵」のようなものが身につく。これを暗黙知と呼ぶとしたら、暗黙知は実践を通じてでしか体得できない。
仕事において本質的に重要なのは暗黙知であり、形式知化されない知識は形式知よりも遥かに多く存在する。故に、OJTを経験しないと重要な知識の殆どが得られない。
理由その③:直接経験は独自性を生み出す
教育コンテンツは、それを学んだ人は誰もがほとんど同じように知識やスキルを身につけることができる。これは素晴らしいことだが、誰もが身につけられるということは、独自性がゼロということだ。
一方でOJTでは、全く同じ職場で同じ仕事をしていたとしても、身につけられることは人によって変わってくる。実際の仕事では、教育コンテンツのように学ぶべき対象がお膳立てされていないので、経験する人によってそこから学び取れることが異なる。
学び取れることが人によって異なるということは、独自性があるということだ。独自性は競争力につながる。故にOJTは個人の競争戦略上も大きな価値がある。