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知的機動力の本質 アメリカ海兵隊の組織論的研究(著:野中郁次郎、中公文庫)

アメリカ海兵隊という組織の独自性と複雑性に切り込み、組織全体として暗黙知を取り込み無限の自己革新を実現し続ける「知的機動力モデル」の観点から説明した名著。

海兵隊の最大の特徴:暗黙知を重視し、取り込み、活かす

本書で示されている海兵隊の最大の特徴は、暗黙知を重視した組織設計と改善プロセスが内在している点だ。

「暗黙知を大切にするということは、人間の主体的な信念、価値観、感性、ひらめきを重視するということ」であり、「海兵隊は戦争のアートは科学を包括するとしている」と本書では説明されている。

組織運営のためには、出自が異なる複数の人間を1つに取りまとめ、組織の目的を実現していく必要がある。そのために有効な道具として通常用いられるのは形式知だ。なぜなら、形式知は「見える化された知」であることから、基本的に誰にでも同じように理解されるので、バラバラな人々に情報を伝え、その情報の通りに行動してもらいやすい。ビジネスで言えば、目標、計画、KPI、制度、仕組み、組織図、マニュアル、といったものは全て形式知である。

一方で、暗黙知は組織に取り込み、実装することが難しい。目に見えず、受け手の解釈によって理解やその後の行動が変わってしまうため、標準化されないのだ。しかし、暗黙知は異なる文脈に対しても柔軟に適用可能という強みがある。実装が難しくても、一度実装することができればその後の汎用性が高い。

形式知と暗黙知

このように、アメリカ海兵隊の特徴には暗黙知を組織化していることにあるのだが、そもそも暗黙知とは何だろうか。

暗黙知という概念は、ハンガリー出身の科学哲学者マイケル・ポランニーが提唱した。それまでは、西洋において「知識」といえば「形式知」であり、言語によって説明できないものは正式に「知識」と見做されていなかったところ、ポランニーは「暗黙知こそが知識の源泉」であると主張した。

その前提には、フッサールの現象学がある。フッサールがそれまでの哲学では「客観」に重きが置かれていたところ、「主観」を根本に置いて哲学を発展させたことが、ポランニーが暗黙知という人間の主観に深く根差す知識に着目するきっかけを与えた。

以前紹介した「センスメイキング」も、客観から主観へと軸を移すことで発展した考え方だ。現実という複雑系における変化を捉え、組織が無限の自己革新を続ける上で、現実の複雑さを組織において処理可能なレベルに分解し、取り入れるツールとして「主観的な知識」を用いることが有効である、という点において暗黙知とセンスメイキングは共通している。

暗黙知的統合とabduction(アブダクション)

本書によると、ポランニーは「バラバラの知の要素をボトムアップで推論し、意味を作る力を暗黙知的統合と呼んだ」。著者はこの「暗黙知的統合」をチャールズ・サンダース・パースのいう「アブダクション」と結び付けて解説している。

アブダクションとは、演繹法・帰納法に続く「第三の思考法」だ。アブダクションは、シャーロックホームズのような推論方法だとよく言われる。シャーロックホームズは、とある現場の状況を観察しながら、その現場からは直接導出できない推論を展開する。例えば、相手と握手をして、一言話すだけで、相手の職業や経歴(軍隊に所属していた等)を言い当てるような推論だ。

暗黙知を組織に取り込み活用するSECIモデル

本書の言葉を借りれば、「海兵隊の知的機動力の源泉は個人の暗黙的統合を組織化していること」にある。この知的機動力の本質を説明するモデルが、著者である野中氏らが提唱したSECIモデルである。

「共同化(Socialization)」「表出化(Externalization)」「連結化(Combination)」「内面化(Internalization)」の4つのプロセスで構成されるSECIモデルは、暗黙知を形式知化し、組織に実装して暗黙知を生み出し、それをまた形式知化する、という環境に適応しながら暗黙知を組織実装していくプロセスをわかりやすく分解しているモデルだ。ナレッジマネジメントのモデルとして紹介されることも多いが、組織のケイパビリティ向上に必要なプロセスの本質を言い当てた汎用性の高いモデルである。

海兵隊は、このSECIモデルで示される暗黙知の組織化プロセスを絶え間なく実施し、無限に自己革新を行っている。例えば暗黙知を組織化するための手段として本書で紹介されているものとして、After Action Review (AAR) というものがある。AARは訓練後に必ず行われ、訓練における意思決定や行動に対して、全参加者がよりよい代案を出すことを求められる。他にも基本術科学校の将校クラブでは、教官からなるグループが体験談を共有するために半年で300時間を費やし、戦闘プロセスのパターン認識の数を増やせるようにしているという。

陸海空の軍隊が揃うアメリカにおいて、海兵隊という独自の組織は自己の存在意義と価値を常に省み、自己革新を絶え間なく実施してきた。現実の複雑性に対応し続け、価値を示し続けてきた組織が暗黙知の組織化プロセスを内在化していることは特筆すべきことであり、益々変化の激しくなるビジネス環境においてサバイブしていく企業にとって、得られる示唆は大きい。

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