この世のルール設定を本気で考察してみた⑪ 終わりに
長々とよくわからん抽象的な話につきあって頂き、ありがとうございました。
以前から私はなんとなく、みんな言う事ってそれぞれ正しいんだろうなって心の奥では感じつつも、こっちの意見をを取るかあっちを取るかの取捨選択と、どれかの意見を採択することに対しての自分の中での一貫性を持とうとする理由付けに時間を使い、納得したつもりでいました。
でもここ数年、その「一貫性を持ってるつもりの自分像」が、全部要らないような気がしてきて、自分や他者を否定しては時間がたつと元に戻りという、ジレンマの毎日を送っていたんです。
抜け出し方も分からなかったですし。
でも、いつもループ状態になっている時、心の支えになった言葉がありました。
それは、アインシュタインの
いかなる問題も、
それが発生したのと同じ次元で
解決することはできない。
という名言です。
今まで何回心の中でリフレインしたか…
AかBのどっちを選ぶしか選択肢を持たないうちは解決するわけもない、と自分に言い聞かせ、どうしたら頭の中が楽で楽しくなるか、人や自分に優しく出来きて自分をちゃんと好きになれるか、そんな事ばっかり考えていました。
それで、人が本気で満足するのってどんな状態なんだろう、皆がエンジョイ勢だったらきっとお互い干渉もしなくなりそうだし争わなそうな気がする。
それってどうやってなれるんだろう?
そんな疑問をいつか解決出来たらいいなぁって思ってたんです。
そもそも自分がなれてないですからね。
何もかもを許し、愛する、とか出来ないし、かといって嫌いなものと争うのとか絶対したくないし、全許容か相反するっていう二元論はどっちも自分の中では採用できないなーって、気づくまでに時間かかりました。
矛盾することを、どっちもOK・どっちもNOにしても良かったんです。
そう決めたらなぜか違う考え方に勝手になっていきました。
本当に、「観測」を変えると、自動的にに思考回路が変わるというのを自分で経験し(今でもですが)、なにこれ面白いって思って試行錯誤して今に至ります。
私なりの今の結論として「みんな自己の原点に近いことに関しては天才的なのではないか」という想いがあり、それを是非試したく、前段階の基本理念として「この世のルール設定」について書かせて頂きました。
皆さんの天才性がめちゃくちゃ見たい!!
という事で、次回からは天才になっていく方法を書いていきたいと思います。