睡眠障害と冒険
寂しかった時
父母が忙しくて一人ぼっちだった時、夏休みにすごく眠った。自分はいつも二親に愛されてとても幸せだと思っていたから、なぜ心のどこかにぽっかりと穴が空いた気持ちがするのかわからなかった。そして、心が痺れてその穴の存在が感じられなくなるまで眠ったが、そのことを僕は知らなかった。
いずれ、その穴は存在感を増し、眠ると夢を見て冒険したり本の世界に入るようになって、僕は自分の意思で目覚めることができなくなった。心が麻痺し始めたのだろう。
ある日僕に話しかけていた父が、感情までも麻痺した僕を見て涙を流した。
僕をアメリカに出してくれたのは、そのしばらく後だった。母の友人が招待してくれていたのを両親が承諾したのだ。
冒険の始まり
僕は、17でありながら、人生を一からやり直すつもりで飛行機で飛び立った。自分の心に穴があるのは、自分の責任だと思ったからだ。
相変わらず、睡眠が僕を捕虜にしてはいたが、授業の聞き取りができない僕は目覚めている間、必死で教科書に赤線を引いて辞書をくりながら読み続けた。教科書は全て赤線で真っ赤になった。最初の2年間の授業は日本の高校の内容と大差なかったので、そうこうしているうちに、教科書がまるまる頭に入って、テストは満点になった。
一ヶ月もしないうちに、会話ができるようになって、一人の人が僕がアメリカで生まれた移民の子供だと思ったと言った。
自分は何もできない人間だと思っていた自分に想像もできない能力があるのかもしれないと感じたのはその時だった。それは僕の空想ではなく、高校時代に留学した日本人の友人も僕のパフォーマンスを信じられない様子だった。
出るのは難しいが入るのは簡単なアメリカの大学だが、アメリカ中どこの大学に申し込んでも編入できると言われた。アメリカの大学のことなど何も知らなかったが、自分に何かあった時に父母と連絡を取れる人が欲しくて、18年アメリカにいた祖父の友人がいるというミシガン州のミシガン大学に編入した。これが家内との出会いにもつながった。
家内との出会い
家内と出会い、生まれて初めて自分は一人でないと感じられ、僕は家内と学生結婚した。しかし、結婚しても心の穴はなくならず、いつもではなかったが深い睡眠に捕縛される現象はなくならなかった。
帰国して、会社を起業し、翻訳を始めてからも僕には幸せなはずの自分の穴を認識できなかった。
睡眠障害の反転
そのうち、24時間体制で翻訳するようになったら、今度は眠い時に昼寝をしながら父を手伝い続けた母のように、短時間しか眠らなくなるのが当たり前になってしまった。眠りに囚われることを恐怖するようになったのだがそのことさえ当時は認識できなかった。眠らないということは眠ることよりも体に対する影響は大きく、父が亡くなる頃まで色々体調不良になった。体重が増え腎臓結石になったのもこの時期だ。
父が亡くなった後で、僕の苦しみは孤独からきていたことに気がついた。
自由
その27年後、母が亡くなった時に、自分は幸せだと思っていたが、実はずっと苦しんでいたことに気がつくことで、僕は痛みから完全に自由になった。なんと半世紀以上もかかったのだ。
僕は自分の人生を後悔していない。もしこの苦しみがなかったら、もっと平坦な道を何もせずに歩んでいたかもしれない。僕の人生は冒険に溢れて本当に面白かった。
それを父母が生きているうちに伝えることができなかったのがとても残念だ。
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