3.明けの霞に
風の匂いが、ふと遠い記憶を呼び覚ますことがあります。
故郷を離れて暮らす人はとくにそういった感覚に見舞われることが多いのかもしれません。
時間や空間を隔てると記憶は薄れていきます。
細部まで鮮明に記憶する短期記憶から、情報を取捨選択して自分にとって価値のあるものに絞って記憶しておく長期記憶に移行しているのだということを聞いたことがあります。
「琉球詩壇」に掲載された詩を紹介する「詩の轍(わだち)」。今回は松井拓海さんの「霞に消える彼方」という詩をご紹介します。
夏の早朝でしょうか。
阪急梅田駅はとても大きな駅ですが、早朝なら人いきれもなく、風のにおいを感じられるのかもしれません。
霞がかった朝の空気はひんやりと冷たいのでしょうが、かなりの湿気を含んでいるはずです。その湿度の高さが、故郷の潮の香りを思い出させたのかもしれません。
松井さんは1991年に石垣市で生まれた書き手です。石垣島を含む八重山諸島は、沖縄県で最も南に位置する島々です。沖縄は一年を通して高温多湿な気候です。日差しがあまりに強いのでそれほど湿っぽく感じないかもしれませんが、湿度が高いのが日常です。
目に見えるもの、視覚だけでなく、嗅覚や聴覚、肌感覚など、五感を通して記憶を呼び覚まされたときの衝撃は、記憶をたどって意識的に思い出したときよりも強いものです。
時空を越えて、記憶の先の土地に瞬間移動したような感覚になることもあります。
「一昔前のメガネ」が登場するのも素敵です。風がにおいを運び、メガネが情景を運んでくる。今は使っていない古いメガネを掛けてみたとき、レンズを通して見える情景はそのメガネを掛けていたときの世界かもしれない。それはメガネを長年かけた人にはとても共感できる感覚ではないでしょうか。
詩に一つの道具を登場させることによって、書き手と読み手を、共感によってつなぐ力を持たせています。
故郷を離れた生活のなかで、毎日のように故郷を思い出していればギャップは少ないのかもしれません(そればホームシックの状態かもしれません)。必死に今を生きて、思い出す暇もない日々であれば、ふと五感によって故郷に引き戻されたときの衝撃は、より増幅するのだと思います。
故郷について考えるとき、いるも思い浮かぶ作品があります。伊東静雄の「帰郷者」という詩です。
この詩で伊東は帰郷しているのでしょうが、どうして、と思うほどネガティブです。故郷への思いは愛郷心、ホームシックなど人によってさまざまにあるでしょうが、それぞれの人が抱くイメージの背景には、故郷での生い立ちがあるはずです。
故郷を出て暮らしたひとには、故郷を出た理由があるはず。夢を追うため、という人も多いでしょうが、同じぐらい、故郷を出た理由は「故郷を出るため」という人もいるのではないでしょうか。そういった人にとっては、故郷は伊東の描くような、不平と辛苦のなかに生きる姿なのだろうと思います。
松井さんの詩にはそういった要素はありません。むしろ肯定的な文脈で故郷の記憶が登場します。ただ、引き続き視線が外に向いている点では共通していると言ってもいいのではないでしょうか。
自分がこれから紡いでいく物語の中で、故郷の記憶やいま暮らしている土地の記憶がどれほど残っていくか。残していけるのか。未来志向です。そうやって前向きに歩む土台に故郷の記憶があるのだとすれば、生きることに正面から向き合う力強いイメージを受け取ることができます。
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