1年算数「ひきざん」と2年算数「かさ」
昨日は、別の学校で1年算数「ひきざん」と2年算数「かさ」の授業も参観した。
1年生の算数の授業は、丁寧な指示、きれいな字、構造的な板書からすると、力量の高い教員の授業だった。手遊びしている子ども、集中が途切れている子ども、ノートが出せていない子ども、姿勢が崩れる子ども、指示が分からずブロックを2個しか出せていない子ども、上靴が一度も洗っていないことがわかるような、ネグレクトの渦中にいるであろう子どもなど、どこから手を付けようかというぐらい、育ちが崩れている子どもたちがたくさんいる学級だった。日々の苦労が息遣いから伝わってくる。怒ることもあきらめることもなく、一人ひとりにていねいにていねいに対応している。
たとえば、ノートを開けて下敷きを挟むことが一人ではできない子どもが複数いて、教師が子ども一人ひとりに対応せざるを得なくなっている。ノートに書くということのスタートすら揃わない子どももいるのである。一人に教師がかかわると、別の子どもが違うことをし始める。教室にいることそのものをほめることから始めるような子どもたちである。たとえて言うならば、かわいいけれど気ままな猫のような子どもがいっぱいなのだ。
「3秒止まって」という指示や「今からは自分で頑張る時間にしよう」という指示、「〇〇さんが言ったことをもう一度どうぞ」という指示から考えると、教室環境そのものから検討してみてもいいように思えた。机が要らない授業なら、机を下げて椅子だけにして狭い範囲で授業をしてみるとか、学年末の遠足で宮崎で一番高い山に登ることを目標に、一日一回は散歩をしたり、走ってみたり、体力をつけることを毎日取り入れるとか、身体を動かしたりするような授業や息の長い声を出す授業を取り入れたりして、姿勢をコントロールし続ける身体をつくることが必要に思えた。計算カードが常時活動になっていたが、教師の指示のもと指示された数のブロックを出したり、教師が一瞬しか見えせなかった形と同じ形をブロックでつくったりするような常時活動でもいいように思えた。
授業は、8-5=3となる引き算の問題「すずめが8わいます。はとが5わいます。ちがいは何わですか?」を解くものだった。手順は、①おれんじのぶろっくを8こ、②あおのぶろっくを5こ、③手つなぎすると、④ちがいは3こ、というものである。操作で言うと、①おれんじのぶろっく8こをだしてならべる、②あおのぶろっくを5こだしてならべる、③ならべたぶろっくのはしをそろえて、ならんだぶろっくをくっつける、④てつなぎしたかたまりと、あまっているかたまりをてできりはなす、というものになる。操作が自分一人でできたり、手順を一人で言えたりすることが、計算ができることであり、操作と手順を同時にできることが計算がわかることになっている。
そうだとしたら、子どもたちがペアを組んで、操作ができるか、手順が言えるか、手順を言いながら操作ができるかを互いに確認しながら学ぶことができる。教師ひとりが子どもたち全員を相手にして教える授業ではなく、子どもたちの助けを借りながら、子どもたち全員とできる‐わかる授業をつくっていくことができるのではないかと考えたのである。
2年生の算数の授業は、ノートを全員がひらいているし、みんなで揃って問題が読めるし、教師の口頭指示で子どもが行動ができている。1年間の育ちに頭が下がる思いが心にひろがった。子どもたちが人間になっている。いい顔をしている。どのように育て上げたのかを1年生のときの担任にも聴いてみたくなった。
LとdLがまざったかさのけいさんのし方を考える授業である。LとdLがどちらか一つあるのではなく、どちらもあるけいさんである。「まざった」とは、同じ量の二種類の単位が交じることである。1L5dL+1L=2L5dLといった式と答えになる。かさのけいさんをするときは、同じたんいを足したり引いたりするというまとめになる。授業の構成は、①もんだい、②めあて、③かつどう、④まとめ、⑤れんしゅう、⑥ふりかえりと子どもたちに示されていたが、①もんだい、②めあてとまとめ(もはんかいとうのれいじ)、③グループでかつどう、④一人でれんしゅう、⑤ふりかえりという順がいいように思えた。というのも、「ノートを見せ合いなさい」や「わからんところはねえおしえてと聴くんだよ」といったペア学習の指示があったり、子どもたち自身が細かい1指示1行動から脱却することが課題のように見えたからである。けいさんが、教師の説明でできる子どもは説明することが「かつどう」の課題であり、できない子どもは質問することが「かつどう」の課題であるのだ。練習問題で取り組んでいた①2L3dL+4dL、②5L1dL+3L、③1L8dL+2dL、④7L9dLー5dL、⑤8L2dLー4L、⑥2L3dLー3dLをペアやグループで分担して取り組み、教師が最初に示したように、だれもが説明できるようになるなかで、③1L8dL+2dL=1L10dLや⑥2L3dLー3dL=2L0dLではないのかという疑問が出てきて、みんなで共有していくような授業が構成できるのではないかと考えたのである。子どもが理解する授業ではなく、子どもが表現する中で理解が深まっていく授業の構成が求められているのである。
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