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1985年〜バックトゥーザフューチャーとデロリアンと自由の国アメリカ

米国第47代大統領にドナルド・トランプ氏が就任した。トランプ政権の発足により、良い悪いは別にして、2025年からの世界は大きく変わると方々で言われているが、どんな方法であれ、この地球がより良い世界になることを期待したい。

トランプ氏には一つ面白い話があって、1989年公開の映画「バックトゥーザヒューチャー2」の悪役ビフと高層カジノビルは、当時のトランプ氏とトランプタワーがモデルとなっているという。昔からアメリカ国民にとっては、決して良いイメージではなかったのだろう。もちろんメディアに作られたイメージもあって本当の人格など知る由もないが。

上記のようにトランプ大統領から映画バックトゥーザフューチャーを連想してしまったのだが、バックトゥーザフューチャーと言えば当然タイムマシーンのベース車「デロリアンDMC-12」であろう。私がデロリアンというクルマの存在を知ったのも、多くの人がそうであるように映画を観たからである。

それは、1985年の昭和時代の古い匂いがする渋谷の映画館だった。当時の映画館は、現代のようにキャラメルポップコーンの甘い香りがただようような垢抜けた環境ではなかった。一度入場したら退出時間も自由で、上映時間の途中から入って、次の回の頭からもう一度鑑賞することもよくあったし、座席指定もなく人気映画は立ち見なんてこともあったのを思い出す。

そんな時代に観たバックトゥーザフューチャーだったが、ストーリーの内容はさておき、その舞台設定に「アメリカっていいな」と思ったものである。

かつて60年代に「奥様は魔女」を観てアメリカに憧れた日本人。タイムスリップした先の1955年にはまさに日本人が憧れた豊かなアメリカが描かれていた。戦後、日本の自動車メーカーが目指したのも憧れの国アメリカのクルマだった。それは60〜70年代の国産車のデザインに随所に表れている。

1985年といえば、日本は既にかなり豊かな経済大国になっていたが、一方でアメリカは財政&貿易赤字の赤字大国になっていた。

映画の中では、時計もクルマも「良いものはみんな日本製」として描かれている。主人公マーティの憧れのクルマは、トヨタのハイラックス4x4であり、トランザムではない。80年代のアメリカの産業は停滞していたのである。

それなのに、なおもまだ80年代のアメリカに憧れたのは、国家の経済状態などではなく、国民生活の豊かさの違いである。

10代の私が映画から感じ取ったのは、子供っぽく単純である。舞台となる郊外と思しき街並みや広い住宅街と、高校生がクルマを運転して女の子とデートに行くような環境だったことや、日本にはない自由さとおおらかさである。

80年代の日本の中高生は学ランを着て、受験戦争、偏差値教育のさなか、校内暴力が横行し、ブラック校則でがんじがらめだった。しまいには盗んだバイクで走り出してしまうのだ(笑)アメリカとは雰囲気が大きく違っていた。

また、日本の法律で高校生が運転できないのは良いとしても、当時の日本人の感覚は例えば「学生の分際でクルマなんかに乗って贅沢だ」とか「楽するな」というような豊かさとはほど遠く、合理性のないケチな感情や風潮が残っていた。何しろブンザイである。とても自由でフラットな社会ではなかった。

そして、苦労と貧乏が美徳という考え方がいつまで経っても抜けない。これは今でもそうなのだろうか?DNAに刻まれてしまっているレベルの話かもしれない。物資は豊かになっていたのに、心の方が豊かになっていなかったのだ。私は、日本がいつまでもイノベーションできずに、一人当たりのGDPが先進国の中で下位になってしまった元凶ではないかと思っている。

それを言い出すと、そもそも日本国政府が、資本主義社会では「豊かさと自由の象徴」である自動車を、経済的には国民に都合良く売りつけたかったが、本音では使わせたくなかった。自由を享受させたくなかったということが根底にあるような気がしてならない。事実、自動車に対する法律もインフラもそれを物語っている。

自由主義の国なのに、自由平等は建前であって、実態は、あらゆるところが権力者にとって都合の良い不自由な縦社会構造なのである。ローン地獄でやっと手に入れた憧れの夢のマイホームも狭い3DKか良くて4DKの昭和時代だ。

工業製品でアメリカを追い越したくらいでは、アメリカへの憧れは変わらないわけである。

そういう意味では、まだまだ未来を夢見た発展途上の勢いがあったということである。その後すぐに日本はバブル期という狂乱ともルネッサンスとも言える時代を迎えるが、これは別の記事で書きたいと思う。

さて、ここでやっと劇中のデロリアンDMC12の話である。

デザインはイタルデザインのジウジアーロ。言われてみればすぐにジウジアーロと納得する直線基調のデザインである。

特徴は、無塗装のステンレスボディ、ガルウィングドア、わずか1140mmの低い車高。もう1点、当時のスーパーカーフォルムのスポーツカーは、ヘッドライトをリトラクタブルにするのが時流であったが、先端は薄くも普通のヘッドライトである。フロントマスクも特徴と言えるかもしれない。

駆動方式はRR。これにより低くエッジの効いたスポーツカーらしいデザインが可能になるが、搭載されたエンジンは、DOHCでもターボでもない2.8LのSOHC。出力はわずか130馬力程度の残念なエンジンである。

リアエンジンのスーパーカーフォルムのスポーツカーであれば、もう少し高出力なエンジンを期待してしまうが、要するにデロリアンは、バブル期のプレリュードやシルビアと同じようなスペシャリティカーGTということなのだろう。

確かにエンジン搭載位置がミッドシップでなくRRであったのは、運動性能よりも居住スペースを優先したからではないだろうか?そうであれば、やはりカッコウを重視したスペシャティーGTなのである。

当時、これで一流ホテルのパーティーに乗り付けたら、華やかなベンツSLのカブリオレよりもずっと派手な演出が可能だったはずだ。設計を請け負ったロータスカーズはガルウィングドアの不採用を提案したが、ジョン・デロリアン氏に却下されたという。特別なスペシャリティカーGTは、どうしてもガルウィングドアでなければならなかったのだ。

デロリアン社はわずか1年で倒産するという不運に見舞われ、生産台数も少なくマイナーなクルマであったが、ガルウィングドアでステンレスボディーのDMC-12は、偶然にもタイムマシーンに改造されるのにピッタリのデザインであり、立ち位置だった。結果的にまるで映画のセットのために作られたような数奇な運命のクルマである。

バックトゥーザヒューチャーは、ストーリーの流れとしてもタイムマシーンがデロリアンである必然性があった。そうでなければあのような爽快なストーリーやアクションは生まれずに、そこまでの大ヒットには至らなかったに違いない。

ちなみに140km/hでタイムスリップするのは、当時のアメリカの規制でスピードメーターが時速85マイルまでしか表示できなかったからであろう。キロ表示だと最高値は140まで表示されている。これも制限速度の低いアメリカ車らしい装備である。
ついでに言えば、日本車の速度計やリミッターも140km/hで良かったと思うが、スピードメーターが最高値に達するとタイムスリップする設定に納得である。


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