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053_Buena Vista Social Club「Lost and Found」

昔から、電車に乗るのが好きだ。なにぶんと、自分は車の運転は得意ではない。同じ乗り物であるとは言え、車のように能動的に自分で動かさなければいけないものよりも、基本的にずっと座ってさえいればいい電車の方が自分の性に合っているのだと思う。車窓から見える景色というものは、早送りで流れていく画像をずっと見ているようなものだが、車と違ってなぜだか見てて飽きないし、安心する。

長野県と愛知県を結ぶ飯田線。乗り鉄と言われる一部のマニアの間では、この線は秘境線などと呼ばれている。天龍川の険しい渓谷を縫うように走ることや、とても自動車で行くことができない場所に味わい深い無人駅(秘境駅)があることがその名の由来である。

青春18キップを使って普通電車を使えば、愛知県豊橋から長野県上諏訪までは、およそ約7時間。普通電車の鈍行で通過する駅数は98駅もある。運賃は4000円程度で済むのだが、もちろん最初から終点までずっと乗りっぱなしの人間など私のような物好きか、鉄道マニア以外はいない。休日の土曜日の電車に乗ってくる地元の人もまばらだ。

暇で時間を持て余し、どうにもお金のなかった学生時代、小汚いリュックを背中に背負って、青春18キップを片手に一人旅した時に乗った路線だった。7時間も電車に乗っていると、あまりに退屈で持っていた文庫本も2回読み直ししまった。確か、大江健三郎の「人生の親戚」という本だった気がする。印象深い内容だった。

そして20年の時を経て、大きな感慨を胸に、私は再びもう一度こうやって学生時代と同じ車両に揺られている。しかし、20代はじめと違って明らかに体力も落ちて、ぽっこり下腹も出てきた。電車のシートも決して座り心地もいいものではないから(当然、終点まで鈍行でずっと乗っているお客さんを想定していない)、どうしても何時間も座りっぱなしでいると途中で、お尻が痛くなってくる。仕事で日頃使っている、椅子用のクッションでもあるとよかったのだろうが、まあしょうがない。こんなものだ。

当然こんな道楽に、家族を付き合わせるわけにもいかない。(もちろん理解されることなど、そもそも求めてすらいないが)ちょうど金曜日に長野の取引先メーカーへの出張が入って一泊し、土曜日中に自分が今住んでいる大阪に帰って来られれば良かった。ここは好きなやり方で帰らせてもらおうとふと思い立ち、朝一で自分の足は自然とこの飯田線ホームに吸い寄せられてしまった。学生の時と同じワクワク感。人の性根っていうのは、変わらないものなのだ。

5月の爽やかな初夏の朝、上諏訪のホームに佇む飯田線の車両を見た時の安心感とワクワク感といったらなかった。私は、電車に乗るのは好きだが、ただ他のマニアのように数多くの車両の形状を覚えて多くの雑学を知ることで悦に浸るようなタイプではない。自分が学生時代に乗った時の車両からはもちろん変わっているだろうし、自分もさすがに車両の細部を覚えているわけではない。

途中まで街並みや田園もチラホラあったが、天竜峡を過ぎたあとの山間のトンネルを抜けると、電車から見える景色は一変する。秘境線と言われる所以だ。初夏の緑豊かな大自然をじっくりと楽しめる。見える景色は山と川しかないのだから、子供とかには到底退屈だろう。しかし、40を超えた自分にとって、緑は心の拠り所になる。大阪は東京と比べても、街中で緑のある場所が少ない気がする。この景色はたぶん20年間で大きく変わりはしないだろう。

町が、山が、湖が、川が、田園が、太陽が、雨が、風が、電車の車窓から感じることができる。自然の胎動や街と人の息吹も手に取るようにわかる。電車の窓というスクリーンから、そこに生きている人たちの営みの見ているような感覚になる。見ていてとても不思議だ。

しかし、この20年間、この車両が自分と同じように時を過ごしてきたのだと思うとまた違う感情が湧き上がる。雨の日も風の日も、夏の日差しが照る時も、冬の雪が吹雪くような時も、この秘境と呼ばれるような狭隘な山間の路線を、この車両は片道7時間もかけてこのレールを毎日ずっと往復してきたんだ。一瞬、気が遠くなるような歳月である気もする。

だが自分も、この20年間毎日同じように過ごしてきたんだよな。自分にとって、それが家と会社の往復であったととしても、この電車と同じく毎日敷かれたレールの上を決められた時間までに淡々と通過していく。そう、それは似たようなもの。なにかしら、自分の人生と重ね合わせてしまうところがあるから、私は電車というものに惹かれるのだろう。電車に揺られ、そして、その車内の空間に包み込まれるような感覚に浸るのが好きなのだ。

私は昼間から駅で買っておいたビールを何本か飲みながら、車窓からの流れていく景色をずっと見ていた。その間、こんな風に、とりとめのないいろんな考えが通り過ぎていく。そして20代の鬱屈した当時の記憶も、自分の中を淡々と通過した後、周囲の景色に同化してしまっていくようだった。

決してそこに滞留せず、グルグルと回り道もせず、ただレールに沿って淡々と行ってしまう。通過していった、あの駅の名前は一瞬すぎてよく見えない。だが、それで良いのだと思う。そこまで、ずっと見ておかなければならない景色というものもないからだ。いつまでもそこには留まらない、すべては流れる。

そうこうしているうちに、電車は終点である豊川に着いた。終わってみればあっとういう間である。朝9時に乗ったものが、今は午後4時近く。7時間の電車旅は相当退屈なものかと思っていたが、案外思ったより早く終わってしまった。それはあいにくと、学生時代の自分と時間の捉え方が変わってしまっているからなのだろうか。巷で言われているところ、歳を取ると若い頃に比べて、時が過ぎるのを速く感じるというやつなのかもしれない。

今は時間を金で買う時代、時間は等しく誰にとっても平等で尊いものだと言われている。20代にとってのあの7時間と、40代にとってのこの7時間、どちらに価値があったのだろう。いやそもそもこの7時間の電車旅は、結局のところ大いなる時間の無駄にしか過ぎないものだったのではないだろうか。それは誰にも、いや自分にさえもわからない。そして、自分が再びまたあの路線に乗った時にも決してわからないだろう。だが、結局人間ていうのは、こういう自分でもよくわからないことに好きこのんで金を払ってまで、やるものなのだ。

私は豊橋まで移動し、淡々と大阪行きの新幹線チケットを買った。




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