【Rー18】ヒッチハイカー:第7話「どうしても南へ行きたいんだ…」⑤『動き出した歯車達…』
伸田伸也は、ひとしきり吠えた。それは泣いたと言うよりも、まさしく狼の悲しい遠吠えに近かった。
もう、自分がこの世に生きていても仕方がないとまで、伸田は思った。
伸田にとって皆元静香という女性は、ただの恋人という以上の存在だったのだ。
静香は幼い頃から、自分と幸田剛士と須根尾 骨延を合わせた4人でいつも行動を共にしていた。仲良しの4人組だったのだ。
3人の少年達にとって静香は親友であると共にマドンナであり、アイドルでもあったのだ。
成長しても、いつも3人の男達は静香の関心を得ようと必死だった。
だが、中では伸田はダークホース的な存在であって、誰が見ても一番望みが薄いと言えた。本人だってそう感じていたのだ。
彼はグズでノロマの上に泣き虫で、女性にアピールできる面など何も持ち合わせていなかった。
だが、静香は3人以外の他の男性に惹かれるでもなく、剛士でも須根尾でもない伸田を自分の恋人として選んだのだった。
一度、伸田は静香に聞いてみた事があった。どうして自分を選んだのかと。
彼女の答えは明快かつ単純なものだった。
「伸田さんって…人の幸せを願い、人の不幸を悲しむ事の出来る人だから… 私はそれが一番、人間にとって大事な事なんだと思うの。」
伸田は、両親以外の他人から良い評価を受けた覚えがほとんど記憶になかった。だが、この世で一番好きな女性にそんな事を言われたのだ。その時、伸田は静香の前で身も世も無くオイオイ泣いた。
そして、その夜二人は初めて結ばれたのだった。
伸田にとってそれほど大切な女性を、あのヒッチハイカーは奪い去ったのだ。無残にも静香の美しい首を切断し、全裸に剝いた遺体をまるで残された伸田に見せつけるかのように、天井から吊るして行ったのだ。
ひとしきり泣いた後、伸田は無残に吊るされた大切な恋人の遺体を降ろしにかかった。愛する静香の亡骸を、そのままにはしておく事は伸田には忍びなかったのだ。
静香を吊り下げたワイヤーに繋がっている電動ウインチのスイッチを操作し、ゆっくりと床に遺体を降ろして横たえた。
適当な覆布を見つけられなかった伸田は、仕方なく遺体に倉庫の隅で見つけた毛布を掛けようとした。
そして、遺体の手を胸の前で組ませようとした伸田は気が付いた。曲がったまま硬く硬直した指が上手く組み合わせられなかったのだ。
遺体がここまで硬直する程、自分は静香の傍を離れただろうか…?
いや、そんな筈はない…
それによく見ると、溶け始めてはいたが、真っ白な遺体の身体の表面はうっすらと凍っていたのだ…
遺体の冒涜の様で不謹慎だったが試しに伸田は、遺体の合わさった太ももの隙間に指を突っ込んで股間の性器と肛門の辺りに触れてみると、そこは冷たく凍っていた。
すぐ近くで炎上し続けている場所で、殺されたばかりの遺体が凍っているのはおかしな事だった。
伸田は、首の無い遺体をもう一度落ち着いて眺めてみた。
「違う…この遺体はシズちゃんじゃない…」
静香の恋人であり、全裸の彼女と何度も愛し合っていた伸田にしか分からない肉体的な特徴として、遺体の下腹部に生え揃っている陰毛の形が違うのだ。
それによく見ると、伸田が静香との性行為のたびに指で愛撫し、舌で舐め回していた乳房や尻の大きさや形も違っていたし、硬直する遺体の脚をこじ開けて確認した性器の形も違う。
そして何よりも決定的だったのは、これこそ静香自身も知らず伸田しか知らない事だが、静香の肛門の皺を広げないと絶対に見えない小さな可愛い黒子が遺体のその場所には無かったのだ。
しかも、遺体の首は切断されているが、それを差し引いても身体全体としては静香よりも小柄だった。
「これは… ひょっとして、ミチルちゃんの遺体じゃ…?」
もちろん、須根尾の恋人であるミチルの裸など伸田は一度も見た事は無かったが、遺体が静香よりも大柄なエリの身体ではあり得ない。
考えつくのは、車の屋根でヒッチハイカーに犯され続けていたミチルの遺体しか無かった。
では、静香はどこに行ったのだ…?
倉庫を探し回った伸田は、床に無造作に転がっていた親友である須根尾の切断された生首を見つけた。
「スネオ…」
親友の首を床から拾い上げた伸田は、先ほど横たえた恋人のミチルの遺体の隣にそっと置いてやった。そして、覆布代わりの毛布を掛け直すと、伸田は亡くなった二人のために合掌して小さくつぶやいた。
「二人とも…これで寂しくないよな。僕は…お前達の無念を、この手で晴らしてやりたい…」
伸田は親友達を殺された怒りを力に変えて、ふらつく足で立ち上がった。
「シズちゃんを捜さないと… 頼むから生きていてくれ!」
床に置いてあったタイヤレバーを拾い上げた伸田は倉庫を出た。
「あのクソ野郎…僕のシズちゃんに何かしやがったら、この手で殺してやる。」
伸田は本気だった。
あの化け物の様なヒッチハイカー相手に、手加減など出来る筈が無かった。殺らなければ殺られるのだ。しかも、伸田の勝ち目は全くと言っていいほど無かった。
********
静香は目を覚ました。寒さで目が覚めたのだ。
そこは、さっきまで隠れてスマホで警察に通報をしていた、近くで燃え続ける炎で熱せられ温かかった倉庫の中では無かった。枯れ葉で埋もれ、冷たく凍った土の地面だった。どうやら林の中らしい…
静香は身体を起こして座り、自分の周りを見回した。そこは林の中だったが、炎上するガソリンスタンドの炎が木と木の間に見え隠れしている。
「そうだわ… スネオさんの首が転がって来た方に、あの大きなヒッチハイカーが立っていたのよ。そしてアイツは、全裸の女の人…あれはミチルちゃんだった…の遺体を肩に担いでいた。
ミチルちゃんの遺体を私の前に投げ出して、わざと私に見せつけるようにして大きな山刀で、ミチルちゃんの首を大根か何かの様にスパッと斬り落とした…
アイツが私の顔に、拾い上げたミチルちゃんの生首の顔を押し付けて来たところで…私は意識を失ったんだわ…」
その光景を脳裏にまざまざと呼び起こしてしまった静香は、恐怖のあまり再び眩暈を起こしそうになった。
だが、静香は意識を失いそうな自分自身を叱咤し、愛しい恋人の伸田の顔を頭に思い浮かべる事で、何とか失神しないで済んだ。
そして、気持ちが落ち着いてくると、もう一度自分の周りを見回してみた。
どうやら今自分のいる場所は、ガソリンスタンドからそんなに離れてはいない林の中の様だった。どちらかというと、最初に伸田の車がエンストした地点に近いようだ。
「ノビタさんの車に戻りたいけど、戻ればエリちゃんや剛士さんが危ないわ…」
自分が二人のいる車に戻れば、ヒッチハイカーを連れて帰る事になる。
そうすれば、三人とも命は無いだろう。剛士は須根尾とミチルの様に首を切断され、自分とエリは死ぬまで犯され続け、死んでからもヤツが飽きるまで犯された後で同様に首を切断される…
かと言ってアイツと戦うなんて、か弱い自分には絶対に無理だ… 伸田が武器として渡してくれたトルクレンチも自分のショルダーバッグも、アイツに奪われてしまったのか近くには見当たらなかった。
いったい、あの男は何が目的なの…?
本当にヒッチハイクをして、どこかへ行きたかったのだろうか… 女を片っ端から犯すのと、ただ殺戮を楽しみたいから走行中の車を止めさせて乗り込んだだけなのではないか…?
いくら考えても静香には分からなかった。今の静香は、ただ愛する伸田に逢いたかった。
そして、重傷を負った幼馴染の剛士と、彼の恋人であるエリを助けたい…
もう静香は、自分の親しい者を一人でも須根尾とミチルの様な悲惨な目に遭わせたくは無かったのだ。
そう思うと…心の優しい静香は、ひょっとすると自分一人が犠牲になれば、他の三人を救えるのではないか…などという幻想を抱き始めるようになっていた。
そこまで静香が考えた時、背後で「パキッ!」という枯れ枝を踏み折る音が聞こえた。
「アイツが戻って来たんだわ… 私、もう終わりなのね… ノビタさん…」
静香は伸田を想い、両手を組み合わせて祈りながら目を閉じた。
「さよなら、ノビタさん…」
静香は死を覚悟した。だが、アイツに犯されるのだけは嫌だった。
逆らって殺される事になっても、絶対にアイツの性器や身体の一部でも自分の身体の中に受け入れはしない…
「パキッ、ペキッ!」
すぐそばまで音が近づいて来た…
地面にへたり込んだ静香は目を瞑り、両腕で自分自身の身体を抱きしめて震えているしかなかった。
そんな静香の肩に背後から指が触れた…
********
「シズちゃん、生きていてくれ…」
伸田は必死になって、ヒッチハイカーと静香を捜した。どちらか一方でも見つけられれば、必然的にもう一人にもたどり着く。
だが、手掛かりは何も無かった。
伸田は、自分が犬なら良かったのに…『のび犬』になれば愛する静香の匂いを追って彼女を見つけ出す事が出来る…などと、とりとめも無い妄想まで抱くようになっていた。
やはり、恐怖の連続から来る極度のストレスで、伸田の正常な思考力は低下しているようだった…
あてどなく静香を求めてうろつき回る伸田の視界の片隅に、自分の車が目に入った。
伸田は何か二人に繋がるヒントでも見つからないかと、剛士とエリのいる自分の車へと足を向けた。彼らの安否も知りたかった。
「二人は無事だろうか…? スネオ達の様に、もうヤツに殺されたんじゃ…」
また新たな不安が、伸田の頭をよぎった。
だが、考えてばかりいては不安と苛立ちの堂々巡りに陥ってしまう。考えて悩むよりも行動しなければ…
とにかく、炎上する炎で照らされた自分の車の近くまで来た伸田は、ポケットに入っていた車のスマートキーの『ロック解除』ボタンを押した。
「ピッ!ピッ!」という音と共に、前後にある左右のウィンカーが二度点滅して車のドアロックが解除された。
突然の事に中のエリは驚いたかもしれないが、こんな真似が出来るのはスマートキーを持っている伸田だけだと、すぐに気付いてくれただろう。
そうは思ったが、勘違いしたエリに自分が渡してあった十徳ナイフでいきなり刺されるなんてシャレにもならないので、伸田は用心のためにヒッチハイカーに割られていなかった右側の窓から車内を覗き込んだ。
なぜか懐かしい気がする自分の車のセカンドシートには、エリの頭が見えた。ひょこひょこと頭が動いているのを見た伸田は安心した。
良かった… エリちゃんは無事みたいだ。
車の前に回った伸田が、ゆっくりと運転席のドアを開けた。
「ただいま、エリちゃん…」
驚かさないように、小さな声で伸田はエリに話しかけた。
だが、エリからの返事が無い…
「エリちゃん、大丈夫? ジャイアンツはどんな具合?」
やはり、何の返事も帰って来ない。
小さな声と言っても、聞こえないはずが無いのだ。
「エリちゃん?」
伸田の問いかけに対する反応は無いが、顔を下に向けたまま頭がカクカクと動いている。
エリは寝ている訳では無いだろうが、気になった伸田が親友の彼女という気安さから、声をかけながらエリの頭に手をかけて揺さぶろうとした。
「どうしたんだよ、ホントに?」
伸田に手を載せられたエリの頭部がポロっと下に落ちた…
エリの身体が下向けに倒れた訳では無い。文字通りに外れた彼女の頭部だけが、下に落ちて転がったのだ。
落ちたエリの頭部は、ほっそりとした首の切断された断面に載せられていただけだったのだ…
「うわあああーっ! エリちゃんっ! 君までがあっ!」
驚いて、のけ反った伸田の背中の一部と左肘が、車のクラクションを押した。
「ビイイイイイイイーッ!」
激しい吹雪が吹き荒れる午前2時の山中に、けたたましいクラクションの音が響き渡った。
自分で鳴らしたクラクションが、狂気に陥りかけた伸田を正気に引き戻した。
「くそお… あの野郎… エリちゃんまで殺しやがって…
はっ! そうだ! ジャイアンツは…? あいつは、どうなったんだ?」
伸田は首の無いエリの遺体が座っているセカンドシートの足元の床を覗き込んだ。
伸田と静香が車から離れるまでは、剛士の意識を失った身体はそこに横たえられてエリに守られていたのだ。
いた…
巨体の剛士の身体は、伸田達が出かける前と同じ姿勢で窮屈そうに床に横たわったままだった。
剛士の首はエリのように切断されてはいなかった。
だが…
剛士の首に手を当ててみた伸田は、すでに脈が無い事にすぐに気が付いた。
剛士は、エリや須根尾のようにヒッチハイカーの山刀で直接殺された訳ではなく、切断された左手首からの出血多量による失血死だったのだろう。
いや… どちらにせよ、やはり原因は同じだ。剛士の左手首を切断したのはヒッチハイカーの山刀なのだから…
伸田は、さっき落ちたエリの首が死んでいる剛士の顔と向かい合っているのを見た。それはまるで、恋人同士の二人が今からキスをしようとしているようだった。伸田は二人をそのままにしておいてやる事にした。
ただ、生前の剛士の身体を保温するためにかけてあったブランケットを一枚取って、座ったままの首の無いエリの身体にそっと被せてやった。
「アイツ… 大切な友達を…みんな僕から奪いやがった…
必ず僕のこの手で殺してやる…」
********
肩に載せられた手にギュっと力が込めれた。
「大丈夫ですか…?」
次に来る死を覚悟していた静香だったが、意外な背後からの問いかけの声に振り返った。
「えっ?」
そこに中腰で立って静香に問いかけていたのは、肩から吊ったSMG(サブマシンガン)のMP5SFKを左手で押さえながらヘルメットと覆面の間から覗く目で心配そうにこちらを見つめてくる、重装備をした黒ずくめの男だった。
男の背後にも同じ格好の、重装備をした数名の男達がいる様子だった。男達はSMG(サブマシンガン)を構えて四方を警戒していた。
「あなた…達は…?」
自分が予想したのと全く違う展開に驚きながら、静香は話しかけてきた先頭の男に恐る恐る問いかけた。
男は目から下を覆っていた覆面を下げ、静香に白い歯を見せて優しく微笑みながら答えた。
「自分達は、あなた方の緊急救助要請を受けた○✕県警から派遣された特殊犯捜査係『SIT(Special Investigation Team)』の部隊です。
自分は、このAチームを指揮している島警部補です。別チームもすでに展開して、自分達と同様に作戦行動中です。
我々は連続殺人事件の容疑者を制圧確保し、あなた方を救出するために来ました。ご安心下さい。」
島と名乗った40歳前後の警部補は、警察手帳を取り出して自分の身分を静香に示しながらテキパキと説明した。
さっきまで恐怖に震え、死を半ばまで覚悟していた静香の身体から力が抜けていった。これで自分達は助かったのだ。ようやく安心できた静香の目から喜びの涙が流れた。
「私は皆元静香という20歳の大学生です。5人の友人達とスキー旅行に来ました。宿泊先の旅館に向かう途中で、あの男に襲われたんです。
二人の友人が殺され、別の一人が左手首を切断されるという重傷を負っています。彼は危険な状態なんです、早く助けてあげて下さい。お願いします。」
静香は必死な思いで島警部補に訴えた。
島警部補は静香の左肩に優しく右手を載せ、励ますような力強い口調で答えた。
「我々が来たからには安心して下さい。今のお話では、生存者はあなたと重症の方を入れて4人ですね。救急隊も少し離れた地点に待機しています。まず、あなたを私の部下にそちらへ案内させます。
おい、安田… こちらの皆元さんを指揮所まで安全にご案内するんだ。急げ!」
背後を振り返った島警部補は、立ち上がって警戒していた一人の隊員に向けて命令を与えた。
「はっ! 了解しました! 皆元さん、安田巡査です。私がご案内いたします、こちらへ。」
上官である島警部補に敬礼した安田と呼ばれた巡査が静香の前に立ち、彼女を案内するべく先に立って歩き始めた。
「よろしくお願いします…」
静香は島警部補に深々と頭を下げてあいさつした後、安田巡査に先導されて林の中を歩き始めた。すれ違う他の隊員達にも頭を下げる。
「よし。Aチームの残った他の者は、各個に警戒しつつ私に続け。行くぞ!」
静香を部下の安田に託し、自分の娘を見る様な優しい目で彼女を見送った島警部補は、顎の下まで下ろしていた覆面を目の下まで上げ直して隊員達に命令した。
島警部補の目は、再び獲物を狩る猟師の様な厳しい目に戻っていた。
Aチームは安田巡査が外れた事で、島警部補を含めて5人の小隊となっていた。
現在、Aチームの他にも6名ずつのBチームとCチームがガソリンスタンドの周辺の林に展開しており、3チーム合わせて合計18人の警官がヒッチハイカーの制圧確保のために作戦行動中だった。
安田の向かった作戦指揮所には、隊長と副長の2名を別としたDチームの重装備の警官6名が警戒に当たっていた。
作戦指揮所には、SITの他に救急班と所轄の警察署から派遣された女性警察官を含めた一般警察官の数名が、被害者救護のために待機していた。
たった一人の犯罪者を確保するために動員された警官の人数と装備が大げさすぎる感があるが、今年の秋以降の3カ月の間に○✕県内では、今回の容疑者と同一人と思われる者による連続した複数の猟奇殺人事件が起こっていたのだ。
旅行者やドライブ中のカップル、トラック運転者などを含めた被害者はすでに合計27名にも上っていた。
○✕県警では県警本部長を名目上の最高司令官として県内の各市を跨いだ合同捜査本部を組織し、犯罪史上稀に見る一連の猟奇殺人事件の捜査に当たっていたのだった。
静香による今回の事件発生の通報を受けた県警は、本部長の直々の命令で○✕県警の特殊犯捜査係のSIT(Special Investigation Team)の部隊が非常招集され、今回の任務に投入される事になったのである。
********
安田巡査が静香を連れて指揮所に向かった少し後の事だった。
「ビイイイイイイイーッ!」
荒れ狂う吹雪の中をけたたましいクラクションの音が鳴り響いた。
誰も知る筈が無かったが、このクラクションは伸田がエリの死体に驚いた拍子に鳴らしたものだった。
「何だ、あのクラクションは? 富山、何か分かるか?」
島警部補が近くを歩いていた部下の富山巡査に問いかけた。
「自分にも、はっきりとした事は分かりません。
ですが… 国道からガソリンスタンドへ入る進入路の入り口付近にエンジンのかかっていない白いSUV車が一台停車していたのを、遠巻きですが自分は確認しています。クラクションの発生源はあのSUV車の辺りだと思われます。」
富山巡査は自分の私見を交えながら、島警部補に返答した。
「よし、俺と富山の2名でクラクションを鳴らした車に向かう。他の3名は林の中を各個に捜索しつつ、俺と富山を援護しろ。
富山、行くぞ!」
「了解!」
「了解です!」
全員が島警部補に返事をして命令に従った。
********
ガソリンスタンドから数十m離れた所にある製材所の木材置き場に、数台の警察車両が停められ、今回のガソリンスタンド放火と猟奇殺人事件に対処するためのSITの作戦指揮所が置かれていた。
吹き荒れる吹雪の中、静香は安田巡査の案内でこの作戦指揮所に連れて来られた。
停車中の警察車両の中には現場指揮官車もあったが、安田巡査は製材所の事務所を借り受けて緊急に設置した作戦指揮所に静香を案内した。
事務所の入り口の前で警戒に当たっていたSIT所属のDチームの隊員に、安田巡査は敬礼して用件を伝えた。
「Aチームの安田巡査、島警部補の命令により被害者の皆元さんをお連れしました。」
敬礼を返したSITの隊員が答える。
「ご苦労様です。島警部補より無線で連絡を受けておりますので、安田巡査は皆元さんをお連れして中へお入り下さい。隊長と副長が中でお待ちです。」
警備の警官が安田巡査にだけでなく、静香に対しても丁重に敬礼した。
「Aチームの安田巡査、島警部補の命令で被害者の皆元さんをお連れしました!入ります!」
中に安田巡査と迎え入れられた静香は、椅子から起立した隊長と副長と思われる指揮官達と面会した。
SMG(サブマシンガン)こそ携行していなかったが、この指揮官達もヘルメットを被り、防弾・防刃チョッキを含めた作戦遂行用の服装を着用していたし、腰には拳銃も装備されている。
二人は不安そうな顔の静香を、温かい笑顔と親切な態度で迎えてくれた。
安田巡査は入口の横で直立不動の姿勢で立ち、上官に向けて最敬礼をした。
「安田巡査、君はすぐに現場に戻って、島警部補に皆元さんの指揮所への無事到着を報告してくれ|給え。そしてご苦労だが、そのまま任務に復帰してくれ。」
「了解しました! 安田巡査、これより現場に復帰します。」
隊長らしい警察官の指示を受けた安田巡査が、再び上官に対して最敬礼して返答した。
このやり取りを聞いた静香は、安田巡査に頭を下げて礼を述べる。
「安田さん、ここまで連れて来ていただいてありがとうございました。生き残った者達の救助をよろしくお願いします。」
美しく清楚な静香に、思いのこもった礼を言われた若い安田巡査は顔を真っ赤にして照れた笑いを浮かべ、もう一度二名の上官と静香にそれぞれ敬礼をして部屋を出て行った。
「皆元さんですね。私は、この作戦で部隊を率いる指揮官の長谷川警部です。こちらは副長の横田警部補です。
この度は大変な目に遭われましたね。
亡くなられた御友人の方々には、お悔やみを申し上げます。お気持ちをお察しします。どうぞ、そちらにお掛けになって下さい。お話を伺わせて下さい。」
長谷川警部に優しく丁重に勧められ、静香は警部の向かいの席に座った。
すぐにSITではない通常の制服を着た女性警官によって、静香の元へ熱いコーヒーが運ばれて来た。
「どうぞ。身体が温まりますよ。」
女性警官は優しく微笑んでコーヒーを静香の前に置くと、敬礼をして出て行った。
静香は礼を言って、熱いコーヒーをブラックのまま飲んだ。
「では皆元さん… あまり思い出したくは無いとは思いますが、今回の事件の経過を最初からお話し願えますか。容疑者逮捕の参考にしたいと思いますので…」
長谷川と名乗った警部が静香に対し、優しくはあるが警察官の取り調べの様な口調で切り出した。
静香は頷いて、山道でヒッチハイカーの男と出会ったところから話し始めた。
********
伸田は親友の剛士とエリの亡骸に合掌してから、タイヤレバーを強く握りしめて自分の車を出た。
「あのクソ野郎… みんなの弔いのために僕が必ず殺してやる…」
仲間を次々と殺された伸田の怒りの感情は、いつしか胸の中でヒッチハイカーに対する強い殺意と、殺害を実行するための決意に変わっていた。
この時点で、この一帯にヒッチハイカーの制圧確保と自分達を救出するための作戦が実行中なのを、伸田は知らなかった。
この時、伸田が近くを探索中の警察に保護を求めていたなら、この後の事件の展開も変わっていたかもしれない…
だが、この事件に関わった者達の誰一人として、自分を含めた事件の今後の成り行きなどは知る由もなかった。
神ではない身の者達は、ただ歯車の一つとして運命の流れに飲み込まれていくしか無かったのだ…
伸田が、もう一度静香を捜すためにガソリンスタンドに向かいかけた時だった。
「タタタタタタタ!」
「ギャアーッ!」
「く、来るな! 化け物っ!」
「タタタタタタタタッ!」
「撃て撃てえっ!」
「タタタタタタタタタッ!」
「助けてくれえ!」
「タタタタタタタタッ!」
「バカ! 味方を撃つんじゃない!」
「うわああーっ!」
「何だ? あれは銃声…? 機関銃か? それに男達の悲鳴が…」
吹雪の中に突然響き渡った機関銃らしき発砲音と、飛び交う悲鳴や怒号を耳にした伸田は訳が分からないままに身を隠す遮蔽物を求めて、ミチルの遺体のある倉庫へと走った。
********
銃声と悲鳴をゴングにして、新たな戦いが開始された。
吹雪の山中で、それぞれの思いを載せた歯車が動き始めたのだ…
もう、誰にも止められなかった。
【次回に続く…】
この記事が参加している募集
もしよろしければ、サポートをよろしくお願いいたします。 あなたのサポートをいただければ、私は経済的及び意欲的にもご期待に応えるべく、たくさんの面白い記事を書くことが可能となります。