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【R-18】ヒッチハイカー:第22話「どうしても南へ行きたいんだ…」⑳『静香奪還!! そして、伸田は最終決戦へ!』

「ドドドドドドッ!」

 それは、まるでSIT(Special Investigation Team:特殊事件捜査係)の隊員達が使用したSMG(サブマシンガン)の様だった。
 ヒッチハイカーのサソリの様な形状をした尻尾しっぽの先端から次々に吐き出される透明な猛毒の溶解液が、『夕霧橋ゆうぎりばし』のアーチリブ上に立てひざをついて身構える伸田のびたに対し、一分間に数百発くらいの猛烈な勢いで発射され容赦ようしゃなく襲いかかった。

「もうダメだっ!」

 伸田のびたは『ヒヒイロカネのつるぎ』をヒッチハイカーに向けてたてとして防御してはいるが、単発の攻撃ならまだしも、これだけの連続発射を防ぎ切れるはずが無いと、目をつむってあきらめそうになった、その時だった。

「ブワーッ!」

 まただ… また神風かみかぜが吹いた!

 それは、ジャンプ中の白虎びゃっこくずれた飛行体勢と軌道を修正してのけた、あの音速を超える物体が後方に発生する衝撃波ソニックブームと、それによって周囲に生じた突風だった。

 またもや突然に吹いた神風は、吹き荒れる吹雪だけではなく、直径30㎜の砲弾が極超音速ごくちょうおんそくで突き進む直線軌道周辺の空間に、台風による暴風の様な影響を与えたのだ。
 もちろん、必死に突風をこらえようとする伸田のびたも、しゃがみ込んだまま凍ったアーチリブの鋼鉄の表面を2mほども後方へとすべった所で、ようやく止まった。

 伸田のびたを後方へと吹き飛ばした神風は、ヒッチハイカーが伸田のびたに向けて射出した数十発にも及ぶ猛毒の溶解液のしずくを、一瞬にして全て飛散ひさんさせてしまったのだ。
 まるで奇跡のようだが、一発たりとも伸田のびたの身体に当たった溶解液のしずくは無かったのだ。

 閉じていた目を開けた伸田のびたは、神風の原因となる物体が飛来して来たと思われる方角を見た。たして吹雪ふぶき彼方かなたに目をらした彼が、そこに発見した物とは、いったい…?

「ああっ!あれは! う、ううう… びゃ、白虎さん…」

 あふれ出る感動の涙と共に、大きく見開いた目で伸田のびたが見たのは…

 現在、伸田のびたのいる『夕霧橋ゆうぎりばし』中央部のアーチリブの上面は、下を流れる『木流川』の水面から約50mの高さに位置していた。
 そのアーチリブの上面に立てひざの姿勢でいる伸田のびたの目線とほぼ一致する高さで、彼から50mほど離れた空間に浮かんでいるのは、死んだと思っていた白虎の姿だった。

 道路上からでも20数mの高さにある空間に、なぜ白虎が浮かんでいるのか…?

 いや、浮かんでいるという表現は正しくはない… 人間から再び全長3mもある虎の姿に戻っていた白虎は、陽炎かげろうの様にハッキリと視認する事の出来ない物体の上に、しっかりと四本の脚で立っていたのである。

 その白虎が立つ物体とは、機体全体に光学迷彩ステルス機能を展開し、見る者の目に届く光を機械的に屈折させる事によって、実際にはそこに存在するのに人間の眼には不可視に近い姿と化した『黒鉄の翼くろがねのつばさ』であった。

 白虎は光学迷彩ステルス機能を作動させ、ツインローターで空中停止飛行ホバリングしている『黒鉄の翼くろがねのつばさ』の機体上部に立っているのであった。

「おーい、相棒! 今、俺がいなきゃ危なかったんじゃねえのかあ?
 お前なあ! グズグズしてるとやられちまうぞう!」

 人間の男の姿から再び戻った虎の姿で、自分に向かって大声で叫んでいる白虎を見て、伸田のびたあふれ出す涙が止まらなかった。ほほを伝った彼の涙は、あごの先で凍り始めている。

「びゃ、白虎さん… ぼ、僕は… あなたが死ぬはずなんて無いって、信じてましたあっ!」
 伸田のびたが泣きじゃくりながら叫ぶ。すると、顎の先で凍っていた涙の欠片かけらが砕け散り、キラキラと四散しさんして吹雪に飛ばされていった。

「バカ野郎っ! いい年した男が簡単に泣くなっ!
 俺はなあ! 満月の夜は殺されたって死なねえんだ! 月の女神様が俺を気に入っちまって、死なせてくれねえんだよ!」
 白虎が大声で伸田のびた叱咤しったした。だが、その怒鳴どなり声の口調に親愛の情が込められているのを伸田のびたは感じ取り、怒鳴られながらも嬉しくて仕方がなかった。
 もし伸田のびた尻尾しっぽがあったなら、大好きな主人に出会えた忠犬の様に、千切ちぎれんばかりに振りまくった事だろう。あべこべの感は否めないが…

********

 一方、自分がるされている頭上のアーチリブの上面で、愛する伸田のびたがヒッチハイカーに殺されそうな瞬間から目を閉じていた皆元みなもと静香 しずかは、身体に伝わって来た衝撃波の後で再び聞こえて来た伸田のびたの声を吹雪の中に聞き取り、喜びに顔を輝かせて目を開いた。

「ああっ! ノビタさんが無事だった… 神様…ありがとうございます…」

 自分の吊るされている位置からわずかに見る事の出来る伸田のびたの顔を見つめた静香の眼からは、喜びの涙がとめどなく溢れ出して流れほほつたい落ち、白く細い華奢きゃしゃな彼女の首筋で凍り付いた。

********

おおとり司令! 白虎は無事です! 『黒鉄の翼』の上に立っています!」
 万能装甲戦闘ビークルの『ロシナンテ』の後部座席に乗るSIT(Special Investigation Team:特殊事件捜査係)の島警部補が、隠密おんみつ行動中の追跡偵察型ドローン『ハミングバード』が映し出し、配信されて来た映像を見て喜びの声を上げた。

「ああ、だから言っただろう。満月の夜のあいつは殺したって生き返る、ゾンビみたいなヤツなんだ。ゴキブリよりもしぶとい…」
 
 そう言って憎まれ口をたた鳳 成治おおとり せいじの声にも表情にも、親愛と喜びの気持ちが込められているのを感じ取った島も嬉しくなり、自然と顔に微笑が浮かんだ。

********

 現在、この一帯に存在するヒッチハイカーを除いた全ての者達が伸田のびたの無事を喜んでいた。その時に油断が生じたのも無理は無かった。

 白虎と伸田のびたが再会を喜び合い、自分への注意がれたすきを突いて、もう一度ヒッチハイカーは伸田のびたねらいをすましたサソリの尻尾しっぽから猛毒の溶解液を射出しようとしていた。

『今ならノビタを仕留められる…』
 ニヤリと笑ったヒッチハイカーが、毒液の発射に向けて射出針のある尻尾の先端をグググっとふくらませたその瞬間!

「ぐぎゃああぁーっ!」

 ヒッチハイカーが上げた絶叫と同時に、毒液を射出寸前のラグビーボールの様にふくらんだ尻尾の先端がみじんに吹き飛んだ。そして再び衝撃波ソニックブームが起き、神風が吹いた。

「く、くっそうっ! この、クソ虎野郎っ! またやりやがったなあ! よ…よくもっ!」

 ヒッチハイカーのサソリの尻尾は毒液発射の先端部だけではなく、全長の半分ほどが消失していた。
 しかし、見ている内に消失部分の末端まったんがブクブクと泡を出し、再生が始まったようだった。

 だが、先ほどから伸田のびたが感じていたように、ヒッチハイカーの自身の身体が損失した部分の再生にかかる修復速度は、明らかににぶってきている様子だった。

「よおっ! どうしたあ! 再生が遅いんじゃねえのかあ? お前にやられてグチャグチャになった俺の胸から腹にかけてはなあ! とっくに治っちまったぜえっ!
 どうだ、これが『天然モノ』と『まがいモノ』の不死身の違いだあ! 分かったかあ!」
 
 数十m離れた空域で、目に見えない『黒鉄の翼くろがねのつばさ』の上に立った白虎が大声でえた。

「ギギギギギッ!」
 白虎からののしり声をびせられたヒッチハイカーは、歯ぎしりをして悔しがった。自分でも、自身の身体の異変には気が付いていたのだ。それを天敵ともいえる相手からズバリと指摘された彼は内心では大いにあせり、あわてふためいていた。

 この白虎とヒッチハイカーのやり取りの間に、伸田のびたは指をくわえて見ていたのか…?
いや、そうではなかった。

 彼は『黒鉄の翼』の超電磁加速砲レールガンがヒッチハイカーの尻尾を吹き飛ばし、怪物の注意が白虎の方へ引き付けられたのを見て取ると、ヒッチハイカーに気付かれない様に注意しながら、張り巡らされた糸を伝って静かにアーチリブの下側へともぐり込んだのだ。
 
 そして、ヒッチハイカーの張り巡らした糸のたるんだ部分に両手両足を上手に使ってさかさまにぶら下がり、巣の中心に吊り下げられている愛する静香 しずかの方へ向けて、そろそろと近付いて行った。
 この時、ヒッチハイカーの吐き出した粘着力のある糸は、皮肉な事だが伸田のびたにとって幸いな事に吹雪によって凍り付く事も無く、またすべる事も無く彼の身体を落下させずに安全に保持してくれた。

 もちろん、正面から伸田のびたの取る行動を見ていた白虎が、わざとヒッチハイカーに罵声ばせいびせて、注意を自分へと引き付けてくれていたのだった。

 ゆっくりと静香 しずかに近付いて行く伸田のびた

 その時、白虎とヒッチハイカーのやり取りを見つめていた静香は、吹雪の吹き荒れる音の中で背後から近づいてくる何者かの気配に気が付いて振り返った。

「きゃっ!」
「しーっ! 静かに…」

叫び声を上げようとした静香の口を伸田のびたの右手がふさいだ。
そして愛する恋人静香 しずかの耳に口を近づけて、そっとささやいた。

「約束通り、君を助けに来たよ… 僕のプリンセス・シズカ…」

「ああ… ノビタさん…
うれしい、夢みたい… でも、これは夢じゃないのね。」

「ああ、夢なもんか。今、僕が助けてあげるからね。」

 だが、静香 しずか拘束こうそくするヒッチハイカーの糸は、細くしなやかな様に見えるが実際は硬鋼線であるピアノ線の様に非常に頑丈がんじょうだった。とてもじゃないが、専用の道具も無しに素手で静香のいましめを解く事など出来そうに無かった。

「くそっ! そんなに太い訳でも無いのに、なんて硬いんだ…」
 伸田のびたの指の爪ががれそうになり、吹雪でかじかんだ指先からは血がしたたり落ちた。

「もうめて、ノビタさん! 無理よ! あなたの手がボロボロになっちゃうわ!」
 自分の事を何が何でも助けようとする伸田のびたの必死な姿を見た静香 しずかは感動のあまり涙が止まらなかったが、これ以上愛しい人が傷つく姿を見てはいられずに必死でめる様にうったえた。

「絶対に止めるなんて出来ないよ! 何か道具があれば… 待てよ… そうだ! この剣なら…」
 そうつぶやいた伸田のびたは、左手と両足でヒッチハイカーの糸にぶら下がりながら、指先から血のしたたる右手で腰のベルトに差し込んでいた『ヒヒイロカネのつるぎ』を引き抜いた。

 伸田のびたが痛む右手でつかの部分をしっかりと握りしめると『ヒヒイロカネのつるぎ』の白銀しろがね色のやいばが白く輝き始めた。それは何かの光を反射しているのでは無く、刃自体が光を発しているようだった。

「なんて暖かい光…」

 目の前でまぶしく光り輝く『ヒヒイロカネの剣』の刃を見つめる静香と伸田のびたが、同時に同じつぶやきを発した。

「シズちゃん… この光…持ってて分かるけど、本当に温かいんだよ。
 それに…この剣を握っていると、かじかんだ手の傷の痛みが薄れていく気がする… 寒さでしびれてた指先の感覚も戻って来た。」

 そう言う伸田のびたの右手の指先かれポタポタとしたたっていた血が、実際に止まっているのを見た静香も驚きの声を上げた。

「本当だわ… 奇跡よ、これは!」

「シズちゃん、もっとすごいのは剣を握っている右手だけじゃないんだ! 左手にも同じ奇跡が起こってる!」

 伸田のびたは両手で静香をしばるヒッチハイカーの糸によるいましめを、必死で解こうとしていたのだ。もちろん、傷を負い血が滴っていたのは左手も同じである。その剣を握っていない方の左手にまで、『ヒヒイロカネのつるぎ』の奇跡が及んでいたのだった。

「これは奇跡の剣なんだ! 僕の冷え切った身体にまで、力が回復してくるようだ!」
 伸田のびたが感嘆の声を上げた。

「ノビタさん、私もよ! さっきまであきらめかけてた私の心に優しい温かさが沁み込んできて、身体にも力がいてくるみたいだわ!」
 喜びに満ちた声で元気よくそう言った静香の美しい顔は、たしかに厳冬の吹雪く山間部にもかかわらず、ほほがうっすらと健康的なピンク色に上気して輝いていた。

「ホントだ! こんな状況でも、君の笑顔は美しいよ… やっぱり、僕のお姫様だ。」

「あなただって、命けで私を助けに来てくれた素敵な王子様よ…」

 普段は照れて言えない様な互いの言葉も、今のこの状況の中では少しも恥ずかしくなど無く、自然に二人の口からついて出てくるのだった。二人はしばし自分達の置かれた状況を忘れ、静かに見つめ合っていた。

「愛してる…」
「愛してるわ…」
「僕が必ず君達二人を助けて見せる。」
「! あなた、知っていたの…? まだ、言ってなかったのに…」

 静香の上気していた顔に少し恥じらいの色が加わり、上気した頬がさらにピンク色に染まっていく。

「ああ。最初は戸惑とまどったけど、今は君をお腹の子供ごと愛してる。だから、何が何でも二人で必ずここを乗り切るんだ!」
 そう力強く言った伸田のびたは、右手に握る白く光輝く『ヒヒイロカネの剣』のやいばを、静香 しずかをきつく捕らえて離さないヒッチハイカーの頑丈な糸を切るために押し当てた。

 伸田のびた静香 しずかを傷つけるのを恐れたため、そんなに力強く刃を押し付けたのではない。
 だが驚いた事に、白い輝きが少し増したように見える『ヒヒイロカネの剣』の刃が触れるか触れないかと言った軽い接触だけで、あれほど頑強がんきょうに解かれるのをこばんだヒッチハイカーの糸が「ジュゥッ」という音を発しながら、まるで溶けるように簡単に切断されていくではないか。

「すごい… やっぱり、これは奇跡の剣なんだ。」
二人は互いの目を見つめ合ってうれしそうにうなずいた。

「貴様ら! 何こそこそと、そこで乳繰ちちくり合ってやがる! シズちゃん! 俺というものがありながら…
 お仕置きをしなきゃな… 小僧!お前はバラバラに切りきざんでやるからな!」

 『夕霧橋ゆうぎりばし』のアーチリブの上で白虎と対峙していたヒッチハイカーが、自分の下にいる静香と、いつの間にかそこへ忍び寄っていた伸田のびたの様子に気が付いたのだった。

「今そこへ行くぞ! 待ってろ!」
 ヒッチハイカーが、数mもの巨大な蜘蛛の身体を八本脚を器用に使って、伸田のびた達のいるアーチリブの裏側に回り込もうとした。

「バシュッ!」
「グギャアーッ!」

 先ほど超電磁加速砲レールガンで吹き飛ばされた脚がようやく遅い再生を遂げたところだったが、またもや別の脚の一本が空気を切り裂く音と共に半分ほどが消失した。そして引き続き発生する衝撃波ソニックブームが周辺の雪を吹き飛ばす。アーチリブの裏側にいる伸田のびた静香 しずかにも衝撃が伝わって来る。

「うわっ!」
「キャーッ!」

 ヒッチハイカーの糸を切断していた伸田のびたは、自分の身体も左手と足で落ちない様にしながらも、吊り下げられている静香の身体が大きく揺れないように右手だけで必死におさえた。

「きっさまーっ! ま、また…やりやがったなあ!」
 またしても超電磁加速砲レールガンの砲撃で脚を撃たれた痛みと驚きで、伸田のびた達の元へ行こうとしていた身体の動きを止めたヒッチハイカーが、白虎に向けて憎しみの絶叫を上げた。

「おいおい、どっちを見てるんだ! 今、てめえの相手をしてるのはこの俺だぜ! その二人にてめえのきたない手を出すんじゃねえ! 今すぐ、てめえの八本脚を全部吹き飛ばしてやろうか?
ノビタ! 早くお前の姫様を助けろ!」

 ゆらゆらと陽炎かげろうの様にらめいて見えるだけで本体がはっきりと視認出来ない光学迷彩ステルス状態で空中停止飛行ホバリングしている『黒鉄の翼くろがねのつばさ』の上に乗った白虎が、ヒッチハイカーと伸田のびた達に向けて叫んだ。

 超電磁加速砲レールガン狙いねらを付けられている以上、さすがのヒッチハイカーも白虎の警告通り迂闊うかつには動けなかった。

「はいっ!」

 白虎に大声で返事をした伸田のびたは、ようやくレールガンの砲撃で生じたソニックブームによるれが落ち着いて来たので、白虎に言われたように静香のいましめを解く作業を再開した。
 気が付いてみると、血まみれになるほどつめがれかけ、指が裂けて傷ついていた伸田のびたの両手はすっかり元通りに戻っていたのだ。
 この驚くべき現象は、まさに奇跡以外の言葉で表現は出来ないだろう。
 そして、あれだけ伸田のびたが素手で手こずった作業は、『ヒヒイロカネのつるぎ』のおかげで簡単に進んでいく。
 
「よし… もう少しだよ、シズちゃん…」

だが、そこで伸田のびたは手を止めて考えた。

『まてよ…このまま順調に糸が切れれば、間もなくシズちゃんを解放出来る。でも…支える物を失った彼女の身体を僕がしっかりと抱きとめておかないと、彼女は下の道路に叩きつけられてしまうぞ。
 ここから下の凍り付いたアスファルトの路面まで高さが20mはある。ビルで言うなら7階くらいの高さだ。落下して凍ったアスファルトの路面に叩きつけられたら、もろい人間なんて間違いなく即死してしまう…』
 伸田のびたは自分の脳裏のうりに浮かんだ恐ろしい想像を、あわてて首を振って打ち消そうとした。だが、厳しい現実から目をそらす訳にはいかないのだ。

「駄目だ! 僕達は絶対に、ここから二人で無事に脱出するんだ!」

 今度は伸田のびたが口に出して言ったため。静香が彼の顔を見上げて二人の目が合った。伸田のびたの言葉に頷いた静香の瞳に浮かんでいるのは、恐怖によるくもりでは無く、愛する者を信じる事に微塵みじんの疑いも持っていない、美しくんだ光だけだった。
 伸田のびたはそんな彼女のまぶしく光る眼を見つめながら、安心させるように微笑を浮かべながら力強くうまずいて見せた。

 そして、伸田のびたはアーチリブの裏面に蜘蛛くもの巣状に張り巡らされている糸のうち、自分の近くにあった糸の一本を『ヒヒイロカネのつるぎ』で切断し、切った糸を自分の腰に巻いたベルトに結び付けた。強度を確かめて見ると、糸の頑丈さはピアノ線並みの強度で折り紙付きだったが、このベルトも自動拳銃のベレッタと同じくSIT(Special Investigation Team:特殊事件捜査係)隊員の着用装備していた難燃性素材の強靭きょうじんなベルトで、重量のある装備品をいくつもるしておけるほどの強度を持っている。
 痩身そうしん伸田のびた自身と、やはり細身で身の軽い静香の二人分程度の体重を支えても問題は無さそうだった。

「これなら僕達二人の体重がかっても、何とかなりそうだ。どっちにしろ、これにけて見るしかない…
 シズちゃん、もうすぐ君を縛ってる糸を全部切断出来る。切り離すと同時に、君は両手で僕にしっかりとしがみつくんだ、いいね。」

「わかったわ、ノビタさん。」
 伸田のびたの話を聞いた静香が大きく頷く。

 静香 しずかの身体を拘束するいましめを慎重に切り離していく伸田のびたの右手に握った『ヒヒイロカネのつるぎ』のやいばが、グルグルに何重にもかれていた糸の最後の一本を切断した。

「やった! 解けた! シズちゃん、僕にしっかりつかまって!」
 ヒッチハイカーの糸による戒めから解放された静香 しずか伸田のびたの首に両手を回し、しっかりと愛する恋人にしがみついた。

「うわっ!」

 静香がしがみついた伸田のびたは一瞬体勢を崩しかけたが、先ほど腰のベルトにわいつけたヒッチハイカーの糸を右手に巻き付けてしっかりとつかみ、左腕は静香の腰に回して力強く彼女を抱いた。

「よし、とりあえずは大丈夫だ。でも、糸からは解放されたけど、この高さじゃ…」

 だが、静香 しずかとらえていた戒めから解放されたとは言っても、アーチ橋である『夕霧橋ゆうぎりばし』を支える二本の巨大なアーチリブの裏側に作られたヒッチハイカーの巣に、いまだに伸田のびた達二人はぶら下がったままなのだった。
 いつまでも、路面から二十数mもの高さに、このままぶら下がっている訳にもいかなかった。ぶら下がっている力が尽きて落ちれば、確実に二人の命は無い…

********

「やった! おおとり司令、 なんとか伸田のびた君が皆元みなもとさんをヒッチハイカーの糸から解放したみたいですね!」

 『夕霧橋』から十数m離れた国道の路上に駐車した万能装甲戦闘ビークル『ロシナンテ』の後部座席で興奮した声を上げているのは、県警のSIT(Special Investigation Team:特殊事件捜査係)のAチームリーダーの島警部補である。

「ああ… だが、あのぶら下がったままの二人を何とかしなければな…」

 『ロシナンテ』の運転席で鳳 成治おおとり せいじは、そうつぶやいた。

 『ロシナンテ』内のおおとりと島は、光学迷彩ステルス機能を発動した追跡偵察型ドローン『ハミングバード』が撮影して配信して来た映像を見ながら話しているのだった。
 
「よし! ロシーナ、遭難救助用ワイヤーを二人のぶら下がっている『夕霧橋』のアーチリブに向けて射出する! 準備を急げ!
 それと、『ハミングバード2号』に遭難者救助用の『ワイヤー懸垂自走式リフトハーネス(Wire Suspension Self-Propelled Lift Harness:WSSPLH)』を持たせて、二人の元へ届けさせよう。」

了解ラジャー!」
 すぐさま完全自立思考AIの『ロシーナ』が返事をした。

 『ハミングバード2号』は追跡偵察型ドローンである『ハミングバード』とは違い、主に遭難等で孤立した人への 支援物資を送ったり、救援の手助けをするために開発された遭難救助対策用ドローンである。
 
 『ワイヤー懸垂けんすい自走式リフトハーネス(Wire Suspension Self-Propelled Lift Harness:WSSPLH)』とは、張り巡らした一本のワイヤーにロープウェイの様にして救助される人間をぶら下げて、速度を調節しながら安全に運搬する事の出来る電動式移動リフトが付いたハーネスである。火事や水害等で閉じ込められ、逃げる事の出来ない人間を救助する際などに用いられる道具であった。

 おおとりは今まで駐車していた位置から『ロシナンテ』を発進させ、『夕霧橋』の道路上に乗り入れて行った。
 そして、『夕霧橋』の中央部周辺に張り巡らされたヒッチハイカーの巣の真下から50mほど離れた位置に車を停車させ、『ロシーナ』に命じた。

「遭難救助用ワイヤー発射!」
「バシューッ!」
 おおとりの命令と共に『ロシナンテ』のバンパーに、バンパーミサイルより中央寄りの位置に開いた四角い穴から『遭難救助用ワイヤー』の先端部が発射された。これは銃と同じく火薬の爆発によって生じる圧力を利用して先端部を射出させる仕掛けで、射出角度にもよるが最大射程距離は200mにも及ぶ。

 『遭難救助用ワイヤー』の先端部は目標に着弾すると同時に炸裂さくれつし、仕込まれた強力な接着剤が飛び出して瞬時に硬化して尾部びぶ牽引けんいんしているワイヤーをがっちりと固定する。
 この特殊な接着剤はNASA(アメリカ航空宇宙局:National Aeronautics and Space Administration)が宇宙空間で使用している特殊かつ超強力な物で、張り付いた者同士を物理的にはがす事は、ほぼ完全に不可能である。
 乱暴だが、回収するには接着した物体を破壊するしか方法は無いという、回収不可能な一回限りの限定使用である。しかし逆に言うと、その接着性は安全な事きわまりないと評価出来る。

「『遭難救助用ワイヤー』、目標位置に着弾しました。ワイヤー、安全に固定完了。ウィンチでワイヤーを牽引けんいんし、張力を保ちます。」
 『ロシーナ』が美しい女性の声で報告した。

 『遭難救助用ワイヤー』の着弾を確認した鳳 成治おおとり せいじは、運転席ドアを開けて吹雪の吹き荒れる車外へと出た。彼に続いて運転席後部からは何やら大きくかさばる物体を抱えた島警部補が出て来た。

 道路上に降りた島は、手にかかえていた物体を凍り付いた路面に置いた。するとすぐに、物体に折り畳み収納されていた六基のプロペラが展開し、それぞれ力強く回転を始めた。
 この物体こそ遭難救助対策用ドローン『ハミングバード2号』である。『ハミングバード2号』の下部にある運搬用フックには、『ワイヤー懸垂けんすい自走式リフトハーネス』が取り付けられていた。

「よし、行け! ハミングバード2号! 二人の元へ!」

 鳳 成治おおとり せいじの命令と共に『ハミングバード2号』は吹き荒れる吹雪を物ともせず、安定した飛翔力で上空へ飛び立った。

********

「び、びっくりした! な、何だこれ…? 後ろにワイヤーが付いてるぞ。」
 愛する静香 しずかを抱えて『夕霧橋』のアーチリブ裏面にぶら下がっている伸田のびたの手を伸ばせば届く数十cmほど前方の距離に下から飛来した物体が、アーチリブの鋼の表面にぶつかると同時に小爆発を起こして瞬時に固まった。

「このワイヤーは、下のSUV車に繋がっている… そうか、僕達を救出するための物なんだ!
これはきっと、おおとりさんの仕業しわざだな。」

 伸田のびたは、どんな場面でも腹が立つほど冷静沈着だが、なぜか憎めない人柄ひとがら鳳 成治おおとり せいじの顔を思い浮かべた。
 そして、何やら別の物体が吹雪の中を安定した動きで、伸田のびた達二人の元へと飛来して来た。どうやらドローンのようだ。
 二人のそば空中停止ホバリングしたドローンの下部に装備されたマニュピレーター(機械式の腕)が伸びると、先端につかんだ物をぶら下がる二人の方へと差し出して来た。

「これは?」

伸田のびた君、私だ。鳳 成治おおとり せいじだ。』

 その声は空中停止ホバリング中のドローンから聞こえて来た。ドローンにスピーカーが取り付けられているのだろう。

「やっぱり、おおとりさんだ…」
 伸田のびたは、しっかりと抱きしめている静香と顔を見合わせて微笑ほほえんだ。もちろん二人ともおおとりが、厳しいが頼りになる人物だという事はよく理解していた。

『二人とも、よく聞くんだ。詳しく説明する暇は無いが、とにかくそれを受け取りたまえ。
 それは「ワイヤー懸垂けんすい自走式リフトハーネス」といって、君達の目の前に張ったワイヤーを伝って下まで安全に君達を運ぶ事が出来る道具だ。
 300kgの重量物まで安全に運搬可能だから、君達二人を同時に運んでも支障ししょうは無い。ワイヤーへの取り付けは簡単だから、急いでセットしてそこを脱出するんだ。』

 おおとりの説明を聞いた二人の顔がパッと輝いた。

「ノビタさん! 私達、ここから脱出出来るのね!」
 伸田のびたの首にしがみついている静香の両腕に、さらに力が込められた。
 
「く、苦しいよ…シズちゃん。そうだよ、僕達は助かるんだ。
 さあ、急いでおおとりさんの言った通りにしよう。僕は作業を始めるから、君は両腕と両脚で僕にしっかりとしがみついてるんだ。」

 そう言うと伸田のびたは、すぐ目の前で空中停止飛行ホバリング中の『ハミングバード2号』のマニュピレーターから、『ワイヤー懸垂自走式リフトハーネス』を受け取った。その時点で『ワイヤー懸垂自走式リフトハーネス』は、『ハミングバード2号』のマニュピレーターにより『ロシナンテ』のウィンチに繋がるワイヤーに、すでに取り付けられていた。
 『ロシナンテ』の人工知能である『ロシーナ』が気をかして取り付けてくれていたのだ。後はハーネスを運ぶ人間の身体に安全に装着すればいいだけだった。
 
 伸田のびたは静香の身体に優しく丁寧ていねいにハーネスを装着していく。後は伸田のびた自身の身体への装着と固定だけだった。
 しかし、何を考えているのか、伸田のびたは自分を固定する前に『ワイヤー懸垂自走式リフトハーネス』のハンドルに付いた電動リフトのスィッチを入れた。
 静香だけをハーネス部に固定した『ワイヤー懸垂自走式リフトハーネス』の電動リフトが、ワイヤーを伝ってなめらかに動き出し、下の道路で待機する『ロシナンテ』へ向けて懸垂けんすい走行を始めた。

「えっ? ノビタさん! あなた、何してるの? 置いていかれちゃうじゃないっ!」

 自分だけがワイヤーを伝って下へと向かい始めた事に気付いた静香はパニックを起こし、伸田のびたの方へと首を大きく振り向けながら叫んだ。
 そこには、愛する伸田のびたが優しい笑顔で微笑ほほえんでいた。そして、静香に向けて叫んだ。

「ごめんよ、シズちゃん! 僕は死んでいった人達のためにも、ヒッチハイカーと決着を付けなきゃならないんだ! そうでないと…僕は一生後悔する!
 だから、ごめん! 必ず生きて、君とお腹の子供の元へ戻るから! 君を誰より愛してるよ!」

 吹雪の中で、そう叫んだ伸田のびたは静香に向けて数回手を振るとすぐに上を見上げ、腰のベルトにつないであったヒッチハイカーの糸を伝って上へと登り始めた。
 長く静香 しずかを見送っていると、別れに心がくじけそうになってしまう…

「私もあなたを愛しているわあーっ! ノビタさああーん! 必ず、必ず生きて帰るのよおおー!」

 下へと向かって降下していく静香の声が徐々に遠ざかり小さくなっていく。だが、最愛の静香の声は伸田のびたの耳にも心にもハッキリと届いていた。

「ああ… 必ず帰るとも! 君達の元へ!」

 やがて、ヒッチハイカーの糸を登り切った伸田のびたは、アーチリブの端に両手をかけてさらに上へとよじ登った。
 この吹き荒れる吹雪の中で『夕霧橋』の最上部へと独力でたどり着いたのは奇跡としか言いようがなかったが、それは一人のたくましい男として成長した伸田のびたが発揮した、超人的な精神力と根性の賜物たまものだった。
 そしてそれを伸田のびたが成し遂げられたのは、ヒッチハイカーによって犠牲となった仲間達を含む多くの人達の、たましいみちびきだったのかもしれない…

 伸田のびたは吹雪の吹き荒れる地上20数mの凍り付いたアーチリブの上に立った。そして、十数m向こうで白虎と対峙たいじしたまま動けないでいるヒッチハイカーに向けて力いっぱい叫んだ。

「ヒッチハイカあああーッ! お前との決着を付けに、この僕が戻って来たぞおおおうーっ!」

 それは、伸田のびたが心の奥から叫んだヒッチハイカーへの最終決戦の宣言だった。


【次回に続く…】

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