【特別連載】noteと共に振り返るマイスター合格への道2021 -Ⅰ-
昨日の発表通り、今日から10日間「noteと共に振り返るマイスター合格への道2021」とわざわざ大それた冠をかぶせて、これまで書き綴って来たドイツパン修行録を読み返しながらこの挑戦を振り返るという連載をしてまいります。日頃と文体が異なるので違和感があるかと思いますが、文章の副音声だと思って読んで戴ければと思います。#副音声note
ちなみに普段の純文学調であれば、上に書いた「冠をかぶせて」と言う部分、100%「冠せて」という勝手な当て字を当てています。ここでは我慢します。
第1回目となる今日は、3月28日公開の「学びて時にこれを習う、悦ばしからずや」を振り返ります。
リンクに映る冒頭部分に「占星術」とか「宇宙元旦」と言った怪しげなワードが並んでいますが、そんな事より!この記事を振り返る前にまず「*10 ニュー・スタート」から続いていたいわゆるニート期間!本当に地獄の様に息苦しい1カ月間でした。
それ以前の私の決断が間違っていた事、そしてこのニート期間が後々問題を引き起こした事など私の社会的未熟さが原因の失態もあるのですが、そういった大きい事よりも体感としての日々の社会的孤立が本当に辛く、思い返すと本当に恐ろしくなります。社会的束縛の一切ない自由な24時間で走って絵を描いて飯を食って眠るだけの自分は、すぐそばに住む大家さんや当時の下宿の2階に住んでいた家族からどう見えていたんだと。自由なはずなのにむしろ肩身が狭いじゃないかと。
今となってはひとつの人生経験として昇華させたのでこういう話も出来ますが、真綿で首を締められているような期間でした(もう一度言います、悪いのは私です)。
すいません、前置きが長くなりました。
そんなニート期から抜け、いよいよマイスター学校が始まると言うタイミングで書かれたのがこの「学びて時にこれを習う、悦ばしからずや」になります。記事の前半は懐かしい友人とのオンライン再会、そして後半はマイスター学校が始まる直前のしつこいまでの心情描写という構成ですね。
上記した様な不安があった事も相まって、このオンライン再会には物凄く力を貰えたのを覚えています。この当時、純文学の中に「インスタグラム」とか「アカウント」という言葉を並べるのは場違いな気がしていて避けようかとも考えていたんですけど、そんなこだわりも撤廃してしまうくらい熱がありました。
ちなみにタイトルの「学びて時にこれを習う、悦ばしからずや」という言葉も再会し杯を酌み交わした際にその友人から、「学び」というテーマで激熱に話し込んだ後、マイスター挑戦へのエールとして戴きました。「学んだことを、反復し、理解を深める、これもまた楽しいことではないか。」と言う意味になります。二人とも「知らない事を知るのが好き」という共通点がありました。
さて後半の心情描写ですが「しつこくて面倒臭い文章を書いた」という記憶がありましたが、改めて読んでみた所、思っていた以上に面倒臭い文章を書いていました。ですが当時の自分も、そして今読み返してみても「こういうのが書きたかった」と思える文章である事は確かです。いつも読んで戴いている皆様本当にありがとうございます。
これはまだ浅瀬。
徐々に深みへ。「震え上がっても」に「足掻く」という字を生意気に当てていますが、この時まだルビを振れなかったのでただの変換ミスみたいですね。
文章を繰り返して対比をしています。からの、
更地を歩く男が出てきました。だいぶ深いところまで来ました。
ここでは部分的な抜粋なので尚更内容が入ってきにくいかもしれませんがほとんどイメージで書かれています。要するに目に見えない物を文字に落とし込む作業ですね。こういう文章が好きと言うよりも、こういう作業が好きなんだと思います。心情って目には見えないですけど体感として確実に存在は感じていて、それをいかに忠実に文字に起こして表現するか、っていう所で勝負してるんでしょうね、多分。心の輪郭まで書き表せるのが最高到達点です。
本記事の締めに「不安と期待に怖気付きながら、例によってそんな自分の心の内を隅々までねちねちと書き綴った。」とありますが、これは私が夏目漱石先生の作品に惹かれた最大の理由でもあります。名作『こころ』を読みながら「いや、そこどんだけしつこく書くねん!」と何度もツッコミを入れている内にそのボケのセンスに引き込まれていきました。小説を読んでいて思わず笑ってしまったのは『こころ』が初めてでした。心を救われました。
ここで大告白しますが、ドイツパン修行録の裏テーマは「目指せ!令和の夏目漱石、日本のヒュー・ロフティング」です。只の物真似ではなく、指標として。実はこれを言うのはすごく恥ずかしいので皆には黙っておいてください。
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