第71話 墓守の育夫さん
「この街で新しい墓地が開かれる姿を見るのは、私は生まれて初めてです。
それって、やっぱり悲しいですよ」
例年よりも早く春が訪れたようだ。海風がなびいてくるが、冬場の突き刺さるような冷たさはなくなり、むしろ、心地よさを運んでくる。
この街で石材店を営む岡本育男は、目の前に広がったまっさらな平地をゆっくりと見渡した。
ここに、これから墓石が建ち並んでいく。
今日は、この街の復興事業を一手に担うコーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)の中西好子に、工事が進んだ墓地予定地に連れてきてもらった。岡本の会社はCJVに加わっていないが、墓地の完成後に維持管理業務を受け持つ方向で調整を進めている。
岡本は、地元に続く石材店に生まれ、何の疑問もなく父の章男の後を継いだ。どんどん人口が減っていく中で、新たに墓石を作るよりも、古くなった墓石をきれいにしたり、耐震加工を施したり、リニューアルの仕事が主だった。
章男は、墓地の移転に伴う造成に関わったことがあったようだが、自分はそのような機会はなかった。
あの災害が起きなければ、目の前にあるような新たな墓地が開かれるようなことはなかったように思う。
中西とは、この街の復興事業が計画されて、かつて墓地があったこの場所に再び霊園が設置されることが決まってから、何度も打ち合わせをしてきた。
基盤整備がもうすぐ終わる。新年度に入れば、墓地の申し込みが始まる予定だ。
「同じ場所がいいって、そういう方が多いみたいですね」
「ほとんどがそうおっしゃいます。
以前におきれいにさせていただいたお墓を、もう一度、ここに建てたいと。事前の打ち合わせを始めているお客さんもいますよ。
でもね」
「何か問題があるんですか?」
「問題ってことじゃないんですが、なんだか申し訳なくてね。
私は、この街が寂れていくのに合わせて育ってきたような人間です。リニューアルもやってましたけど、
本音ではもっと新しいお墓が売れればいいなあ、なんて風に思っていたんです。
でも、あの災害が起きて、人や街とともに、お墓も流されました。
そうなると、新しいお墓を建てたいって人が増えます。
心の奥底で望んでいたことのはずなんです。
いざ皆さんがそういうことになると、心の中のわだかまりがどんどん大きくなっちゃって」
「そうですね」
雲の隙間から日が差してきた。直射日光が当たると少し暑いくらいだ。
岡本はジャケットを脱いで手に持った。
あの日が近づく季節になると感傷的になる。
「僕ね。あの災害の前の日に父を亡くしたんです。
脳梗塞で倒れて入院していまして、入院先で誤嚥性肺炎を起こしてしまい、そうなるとあっという間でした。
その時に、悲しさよりも、『そうか、俺は親父の墓を作るんだなぁ』って思ったんです」
「お父様のお墓ですか?」
「そうです。
うちは代々、自分の親の墓を作ってきました。
一族のお墓に入れるんじゃなくて、その都度、新しく建てるんです。
こんな田舎ですから土地があるし、何よりも両親の死が仕事になるっていうことですね。取引先の石屋さんや、一緒に働いてくれている職人さんたちには仕事になって、経済的にも良いことなんです。
まあ、自分がお金を出すから利益にはなりませんけど。
『お墓を作ってもらうという事の意味を、自分たちで考える機会になる』
生前、親父が言っていました。
あの災害が起きるちょうど1日前です。
あの時、私はそんなことを思っていたんです」
「そうだったんですね」
岡本は墓地予定地の先にある海の方をまっすぐ見ていた。
中西も、岡本の方には視線を向けずに、遠くに目をやっていた。
「この前、儲かっていいだろうって、そんなことを言われたんです。
僕ね。何も言い返せなかったんですよ。
嘘じゃない。本当だから。
でもね。 あの災害が起きて良かったなんて。
そんなこと思える訳、ないじゃないですか」
「すごく分かります。
ゼネコンで働く私たちも、そんな風に言われますから。
もちろん、売り上げも利益も上がってます。
でも、そんな簡単な仕事じゃないし、語弊がある言い方ですが、そんなに儲かる仕事でもありません。結構大変です。
私が、もっともっと。
もっと、もっと、もっと、すごく優秀だったら違うのかもしれないですけど」
「そうですよね。
そういうのって、なかなか分かってもらえないですよね」
「分かってもらうことが大事じゃない。
この街の人たちのために、きちんと造ることが大事なんです。
それだけでいいんです。
そう頭では分かっていても、心では受け止められていない自分もいるんです」
昼休みの時間に差し掛かったからか、周りの工事で動き回っていた重機の音が止んでいた。
春を呼んでくるようなそよ風と共に、波の音が聞こえてくる。
「昨日は、母の命日だったんです」
「えっ?」
「あの災害で、母を亡くしました。
海辺の近くの水産加工場で働いていました。
昔はうちの石材店で働いていたんですが、僕が入って、事務の人も入れて少し余裕ができたときに、友達から手伝ってほしいって誘われたんです。
そこは、昔なじみがたくさん働いていて。
まあ、おばあさん天国ですね。
仕事もそうですが、おしゃべりが楽しいらしくて、毎日働きに行っていました」
風が吹いてきた。
風音に波の音が覆い被されている。
「親父が死んで、葬儀屋さんに搬送していただいてから、いったんみんなで家に帰ったんです。
母は、急に仕事を休んだから申し訳ないって、職場にお菓子を持って出掛けました。
たぶん、みんなと話したかったんだと思います。
だから、『行ってきなよ』って見送りました」
「その後は…?」
「分かりません。
母は見つかりませんでした。
せめて、親父と一緒に眠らせてあげたかった。
『お父さんのお墓を頼むよ』
最後に言われたのは、そんな言葉だったように思います」
岡本は、あの日の前にあったこの街の光景を思い出そうとしていた。
この場所には、苔で覆われたような古びた墓がたくさんあった。
その先には海風で痛んだトタン屋根の家々が立ち並んでいた。今みたいに海は見えなかった。
「あの1日が、この世に無かったら。
そんな風に思ったことがある。
そう言われたことがあるんです」
それは、岡本が一家で南の地方を旅した時のことだった。
地元の人たちが街を案内してくれるツアーに参加した。
階段を上って丘に抜ける途中に、墓地が見えた。
「ちょっとだけ、寄り道していいですか?」
そう言うと案内してくれていた男性は、すたすたと墓地に入っていった。
岡本たちは、その後を追うように急ぎ足でついて行った。
男性が不意に立ち止まった。海が見渡せる開けた場所だった。
「きれいなところね」
「そうだなあ」
周りの景色を見て、嬉しそうにつぶやく両親を見て、岡本も笑みがこぼれた。
ほっこりと幸せな気持ちになった。
男性はすぐそばの墓の裏へと岡本たちを導くと、命日のところを指さした。
章男が小声で「あっ…」とつぶやいた。
隣とその反対側も指さした。
無言まま再び歩き出すと、墓の裏側の通路とも呼べないような細い隙間を突き進んでいく。
すべて同じ日だった。
言わんとすることが分かった。
この街に核兵器が投下されたあの日だった。
案内役の男性が口を開いた。
「僕は、かろうじてあの日のことを知っています。
でも、あの日よりも、あの日からこんなきれいな街の姿を取り戻すまでの、長い、とてつもなく長い時間の方が、記憶に焼き付いています。
長い年月が過ぎて、そういう人は減りました。
良いことのようにも思えます。
もう二度とあってほしくないですから。
この坂道を通る時、僕はいつも思うんですよ。
あの日。
あの1日。
あの1日がもしもこの世に存在しなければって。
そんなことは無理なんですけどね」
あの災害が起きてから、岡本が南の地方への旅行を思い返したのは、今日が初めてかもしれない。
「案内してくれたおじいさんの話を聞いて、その霊園は鎮魂の場であると同時に、忘れないでねって、そう訴えている場のように思えたんです」
「伝わるって、そういうことなのかも」
中西がぽつりとつぶやいた。
これから、目の前にある霊園に徐々に墓が建てられていく。
墓地も新しく造られている街も、時間と共に、あたかも最初からそのような風景だったかのように、日常の一部に溶け込んでいく。
世代も移り変わっていく。
そして、記憶はきっと薄れていく。
でも、あの災害のことは、やっぱり風化させてはいけない。
春を感じる海風を受けながら、岡本は、そんな風に思った。
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