第67話 海を望む和也さん
「空き地だって希望だ」。
森本和也は、このキャッチコピーに触れた時、頭に血が上った。
心の奥底から憤りがわき上がってきた。
和也は、海辺にあるこの街の小さな集落で生まれ育った。
2階の自分の部屋から、海を見るのが好きだった。海が怖いなんて、あの日まで知らなかった。
結婚前に、妻になるさくらを初めて連れてきた時に、「私もこの景色が好き」と言ってくれた。だから、生まれた娘には、海からの希望とともに生きてほしいと希海(のぞみ)と名付けた。
その直後に、あの災害が起きた。両親と生まれ育った家を失った。
さくらは出産後に南の地方にある実家に戻っていたので、母子ともに無事だった。それだけがせめてもの救いだった。
両親や親戚、友人らを失い、かつての姿が見る影も無くなった故郷を前にして、和也は悲しみに包まれた。だが、もっと大変な思いをした人が周りにたくさんいた。無念の中で犠牲になった人のことを考えると、辛いなど軽々しく口にできなかった。
和也たちがいた集落は、二つに分かれて高台に移転することになった。復興の計画が固まって、造成工事が始まり、森を開いた先に住宅地の基盤ができて、ようやく自分たちの家を建てることができた。この街の復興事業を一手に担うコーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)や、実際に手を動かして工事を進めた下請け企業らの関係者の努力を目の当たりにした。
ありがたいと思った。紛れもない本心だ。
役所に就職して、CJVに出向している友人らが、時には徹夜を強いられながら、復興街づくりを進めていたことを知っている。
でも、「こんなに時間がかかるのか」とも思った。
そんなことは口にできない。口にしてはいけないからこそ、モヤモヤした気持ちが和也の心の奥底をうずかせた。
時間という問題は、本当にやっかいだ。
和也が家を再建した高台移転地は、10数戸の小さな規模だった。
「安心して住める場所に、もう一度、自分の家を建てたい」
高台移転地の場所が決まり、ようやく先が見えた時には、集落の皆からそうした声が上がった。
あの瞬間に宅地が出来上がっていたら、全員が移り住んでいただろう。
だが、住民の合意形成や行政の手続き、設計、工事という一連の流れには、時間と手間がかかる。あっという間に月日が過ぎていき、時間と共に、年配の被災者から自宅再建を断念する動きが広がっていった。
誰かが悪い訳ではない。
仕方のないことだった。
工事が進んでいる間にも、移転を決めたはずの老夫婦が自宅建設による再建を諦めて、賃貸住宅タイプの災害公営住宅に切り替えていった。
「本当にごめんなさい」
この老夫婦は背中が曲がった身体をさらに曲げながら、集落の面々がいる仮設住宅を、頭を下げて回った。
「裏切るのか!」
そう声を荒らげた人もいたと聞いた。
悩み抜いて再建を断念した老夫婦の気持ちも、怒りをあらわにした人の気持ちのどちらも正しいように思う。
誰に対する怒りなのか。誰に対する謝罪なのか。
なんでこんな目に遭わないといけないのか。
その答えはなかった。
整備された宅地が埋まらぬまま、和也らの集落は高台移転地での再出発を切った。
和也は、さくらと希海の3人で新しい暮らしを始めた。新居の2階では、海から昇る美しい朝日を臨むことができた。言葉をしゃべり始めた希海に、この景色を好きになってほしいと思った。
自宅に不満は無かった。でも、移転から1年たっても、空いた区画に家が建つことはなかった。隣も空き区画だったが、購入するような経済力はない。雑草が生えている姿が、この集落の行く末を暗示しているようで、不安をかき立てられた。
周りの面々も同じだったはず。だが、そんなことは誰も口にできない。
十二分に感じている不安や嫌悪を、他人からずけずけと指摘されるのは腹立たしい。自らが分かっているからこそ、余計に怒りの琴線に触れる。そういうことってあると思う。
だから、「空き地だって希望だ」などと触れ回っているアーティストのニュースに触れた時、気持ちが苛立った。
和也よりも少し年下のソナタという若手画家だった。和也は知らなかったが、海外でも個展が開かれているような売れっ子だと紹介されていた。両親のルーツが海外のため、一見するとこの国の人には見えない。この国で生まれ育ったが、幼少期に周りになじめず苦しみ、美大の卒業後に海外を放浪しながら絵を描いて回ったそうだ。ホームページやSNS(インターネット交流サイト)で紹介していくうちに、海外で評価が高まった。今では国内でも人気で、作品は数年待ちなのだという。子ども向けワークショップを開催していて、即座に応募が埋まると言っていた。
あの災害後は、絵やアートを通じて被災者を元気づけようとさまざまな活動を行っているそうだ。
「空いている土地を有効に活用すれば、被災地の活性化の拠点になるはずです」
ソナタは、ニュースでこうコメントしていた。
それはそうだ。
そんなことは、ここにいる誰もが分かっている。分かっていることが簡単にできないから被災地は苦しんでいる。多くの地方も同じような状況に置かれている。
「場を生かせるかどうかは、アイデア次第ではないでしょうか」
それもそうだ。じゃあ、どこにでも通用するアイデアとやらを持ってきてほしい。
和也のように地方にいる人間からすれば、そうした物言いは、ヒトもカネもモノもある都会の論理にしか思えない。
どんどん苛立ちが募っていく。
でも、不思議なもので、むかつくからこそ、次の言葉が気になってしまう。
「これから始めるアートのコンセプトは幻です。
はかなく消え去ることを目指した作品を、子どもたちと作りたいと思っています」
クラウドファンディングで募った資金で、被災地内の未利用宅地を一時的に借りるのだという。そうやって確保した場所に、子どもたちを集めて、ソナタと一緒にアート作品を作る。地域の子どもだけではなく、全国から参加を呼び掛けるそうだ。
アートを作るときには、その宅地の周辺住民にも来てもらい、交流の機会にする。
各地でアートが出来上がった後には、被災地とアートを見て回るツアーを定期的に開催する計画だった。
「あの災害から復興しつつある地域に、素晴らしい人たちと素敵な場所があることを、皆さんに知ってもらうことが目的です。
微々たるものでしょうが、空いている土地の賃料が被災地に回ることで地域経済にも貢献できます。
造ったアートの命名権も売り出します。そのお金も、経費以外は全額地域に寄付します。
アートをきっかけに、一度きりでもいいから被災地に来る人を増やしたいんです。そうすることで、その地域に住みたいと思ってくれる人が、もっともっと増えてほしい。
アートを設置した場所に家が建つことがゴールです。
その時にアートが消えて無くなります。
でも、アートを造った思い出はなくなりません。
作品が人と人との新しいつながりとして昇華する。
見えない一連の流れのようなものが、今回のアートの核心です。
だから、空き地には希望があるんです」
和也は、そうコメントするソナタの笑顔が、ぎこちないような印象を受けた。
この人は、おそらく自信がないのだ。そう簡単にうまくいくとは思っていないのだ。
でも何かをやらずにいられない。決意を胸に秘めて、無理をしているのかもしれない。
「人って、お金を出した方が思い入れが増すんです。だから、クラウドファンディングでも命名権でも、自腹を切ってもらいます。お金を出した人は、1回は来てくれます。
いろんな地域から子どもと一緒に来ていただいて、被災地の子どもたちと仲良くなってくれるだけでいいんです。
そうすれば親御さん同士もつながります。家族ぐるみで付き合えば、その地域にもっと興味を持ってもらえます。
私、ソナタは、ただの客寄せの道具です!」
和也は、雑草が生い茂った隣の空き地に目を向けた。
この集落には希海以外は子どもがいない。だからこそ、皆で可愛がってくれているのはありがたい。
けれど、成長するにつれ、希海は友達がいないこの場所を寂しいように思うようになるのではないか。
ずっと生きていこうと思うような故郷にするには、家だけでは駄目だ。人も必要なのだ。
ソナタがやろうとしていることは、むかつくけれど正しい。
和也は、ソナタのホームページを検索し、アートプロジェクトの詳しい内容や募集要件を調べた。地域の人たちが賛同していることと、行政の合意が必要となっていた。地域住民がやりたいと思えば、行政への説明などはアートプロジェクトのメンバーも手伝ってくれるそうだ。
さくらに話すと、「ソナタって、有名な人だよね。 知ってるよ。 やりたい、やりたい!」とすぐに乗り気になった。
和也は、高台移転地の工事を担当してくれたCJVの近藤和彦に久しぶりに電話を掛けた。この街の復興は、行政と民間企業らが一体となったCJVが、計画立案から工事、その後の維持管理・運営までを一手に担っている。近藤に聞けば、宅地の利用を担当している人につないでくれるだろう。
ソナタのアートプロジェクトの概要を説明してから、「この場所でやれる可能性がありそうなのかどうか、ちょっと当たりを付けたいんです」と相談した。ホームページのアドレスはメールで送った。
1週間もたたないうちに、近藤から電話が来た。
「森本さん、お待たせしました。
私は知らなかったのですが、CJVメンバーでデベロッパーから来ている人がソナタさんのアートプロジェクトのことを知っていて、『この街でもやれたらいいね』と話を始めていたところでした。
CJVとしても、多くの人に来てもらって、この街の復興に関心をもっていただく良い機会になると考えています。
お手伝いさせていただきますので、是非、進めましょう」
「本当ですか! ありがとうございます!
周りに相談したら、希海のお友達を増やすのに協力してくれると喜んで賛同していただけました」
「地域の皆さんの合意が得られているのであれば、すぐに応募しましょう。
こういうのは第1号がいいんです。
行政との調整も話をつなげていますから、全然問題ありません」
その後はトントン拍子だった。
ホームページの応募フォームから連絡を入れると、すぐにアートプロジェクトのボランティアスタッフという大学生から電話が来た。
翌月に、ソナタと若い学生たちが連れだって見に来た。
打ち合わせを身構えていたが、ソナタたちが持ってきたのはバーベキューセットと、テーブルセットだった。
感染症対策のため、マスクなしに離れて話ができるよう、人数分のマイクセットも持ってきていた。
天気の良い午後だった。
海を見下ろしながら、集落善人が参加して、バーベキューをした。ソナタたちと一緒に夕暮れになるまで、飲みながら話しをした。
災害が起きたあの日のことや、かつての集落の姿、地域の祭りなどが話題に上った。アートのことなどまったく話さなかった。
「来週からクラウドファンディングを始めます。
アートの制作日程とかはこれから相談させてください。
今日は楽しかったです!
また来ますね~」
ソナタは帰り際、往復用にチャーターしたミニバスの窓から身を乗り出して、酔いで真っ赤になった顔でそう言うと、去って行った。
そうして今日、アート制作が実現した。
近くの街だけではなく、飛行機や新幹線を使って来てくれた家族もいた。
子どもたちは、自分が住む地域で拾い集めたごみを持参してきており、それを組み立てて、人の身長ほどの木を何本も造っていった。希海も、小学生の子どもたちに教えてもらいながら手伝った。
集落の皆で、郷土料理や振る舞い酒を用意していた。
参加者は皆、この街で宿泊することになっているので、時間を気にせずに話ができた。
感染症予防のため、マスクを付けて、マイクを使ってしゃべるため、がやがやしてうるさかった。
賑やかな集落を見て、和也は心が温かくなった。
和也は、手の消毒をしながら、何度も酒を振る舞って回った。
夕暮れの海を見つめながら、参加した夫婦が話していた。
「ここ、すごくいいところね」
「そうだね」
その言葉に、未来を感じた。
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