河出書房 『DJプレミア完全版』 とWikipediaの不可解な相似について
※ 2/10 更新、引用画像のページ番号など追加、直接本稿で言及している部分と関係のない箇所はトリミングしました。
※2/25 更新、追記を追加しました。
はじめに
先月26日に『DJプレミア完全版』(DAWN編)という書籍が河出書房新社より発表された。あいにく筆者は現在米国在住のため、入手が難しい和書にあまり興味を抱いていなかったのだが、ネット上の反応を見聞きするとなかなか厳しい内容になっているようだ。特にDJたちの評判が芳しくないようで、今回とある義憤に駆られたDJの方に本書を送付していただいたので、なにが問題なのか実際の紙面を踏まえて確認してみることにした。なお、本稿では各リヴューの内容や是非といった原稿の評価はしていない。
前提
そもそも一般的なディスクガイドでは、掲載音源は初出となる作品から紹介するのが通例だと思われる。つまり、再発や再録より、発表時期の早いオリジナルの作品をなるべく抽出するのが一般的であるということだ。
とりわけDJ Premierがプロデューサーとして隆盛を極めた80年代末から90年代中期にかけては、ヒップホップの中心はアルバムよりも12インチシングルであったし、DJ Premier自身も12インチシングルでもって、クラブやラジオ、ミックステープにおいてDJをしていたわけで、なるべくシングルに特化して解説する方が一般的なDJ・ラップファン向けには需要がありそうなものだが、どういうわけか本書はアルバムやコンピレーションが中心に掲載されている。以下に代表的な例を引用する。
このように、本書は基本的にシングル作品には重きを置いていないことがわかるだろう。まえがきなどで特に言及はないのだが、もちろんこれらも「12インチは一般的な音楽ファンに敷居が高いため、なるべくアルバムやコンピなどで曲を聴いて欲しい」という意図で制作していたのだとしたら、それはひとつのディスクガイドの表現手法として間違ってはいないだろう。ただ、もしそうだったとしても気になるのが、以下の作品だ。
ここでは『Kickin Da Flava』なる謎のカナダ産コンピから「Ease My Mind (Premier’s Radio)」という表記で“Ease My Mind (Premier’s Remix)”と思われる曲を紹介している。ちなみに筆者はこのコンピの存在を寡聞にして存じなかった。“Ease My Mind (Premier’s Remix)”といえば、Ease My Mindのリミックスを収録したテストプレス盤のみに収録されているということはDJならば既知の事実であろうし、日本限定だが、Arrested Developmentの来日記念盤として発表された“Africa's Inside Me”の国内盤シングルCDでも聴くこと自体はできる。仮にDJ Premierのカタログを作るとしたら、このどちらかを掲載することが少なくとも自然だろう。色々と変わった掲載方法を選んでいる本だということは間違いない。
ネットの記述と比較・検証①
実はWikipediaにはDJ Premierの過去プロデュース作品をまとめたページがある。
彼ぐらいメジャーなアーティストとなると、独自の作品リストがすでにWikipediaでリスト化されているということだ。Wikipediaは誰でも編集が容易となるので、今後このリストが更新・改訂されてもよいように、1/31付でログを取得しておいた(https://archive.ph/HcsOh)。以下、本稿は当該キャッシュまたは当該ページのキャプチャ画像を用いて、このDJ Premierのプロデュース作品リストを引用してゆく。それではまず、先に例示したケースから見比べてみよう。
まず大前提として、シングル盤のPeer Pressure, Come Clean, Juicy / Unbelievable, The Shit Is Real (DJ Premier Remix)などは、その発表年度のWikipediaの作品リストには掲載されていなかった(それぞれリンク先にて確認されたい)。これは『DJプレミア完全版』と同じである。また、本リストには下記のように興味深い記述がある。
“Ease My Mind (Premier's Remix)”の別名義だと思われる曲が収録された例のカナダ産のコンピがWikipediaには載っていたのである。ちなみに「(Premier's Radio)」という変名表記もそのままだ。
また、WikipediaのリストにはVarious Artistsという形で掲載されている楽曲が非常に多いことが分かる。スクロールしてゆくと、他にもあまり馴染みのない変わった作品の記載がある。
Kool G Rapの“First N*gga (Remix)”は、Wikipediaではなぜか“First N*gga (DJ Premier Remix)”という名前でRawkusのサンプラーCDのなかに収録されているという扱いとなっていた。ちなみに「サンプラーCD」とは何かというと、レーベルが販促用にシングル曲などをコンパイルしてラジオ局やDJ、音楽関係者に配布する非売品の販促資材のことである。そもそも商用目的のコンピレーションとは用途が異なるため「作品」として扱われることはほぼない。
Kool G Rapの“First N*gga (Remix)”自体は、通常Rawkusの発表した12インチシングルで聴くことができる。いくつか種類があるのだが、彼のヒット作“My Life”のB面に収録されているもの、“The Streets”の同じくB面に収録されているもの、そしてプロモの12インチで単独収録されているものなどがある。筆者の記憶が確かならば、01年の前半にシングルが出回って、後半にはアルバム『The Giancana Story』がRawkusから出る予定だったが発売中止となり、インターネット上で本作のブートが出回ったはずだ(その後ブートで2LP化もされている)。然るにこの“First N*gga (Remix)”は当該ブート版には収録されているのだが、翌年Kochから内容を刷新して発表されたオフィシャル版の『The Giancana Story』には収録されていない。話が長くなってしまったが、結論をいうと、一般的なディスクガイドなどにおいては、広く流通している初出の12インチシングルを排してあえて非売品のサンプラー盤を掲載することは非常に稀である。もちろんサンプラーCDなので、サブスクリプションなどでは利用できないだろうから、読者の側にはあえて掲載されることで享受できるメリットも特にないだろう。だが、なんと『DJプレミア完全版』ではWikipediaと同じサンプラーCDを紙面に採用している。
誤植の数々
本書は単純に誤植も非常に多い。膨大な数となるので一例だけ取り上げるが、例えばシングル版のGang Starr “Step in the Arena”、Group Home “Livin' Proof”といった作品は、12インチシングルとして掲載しているのにも関わらず、紙面上はアルバムのアートワークとなっている。
この程度の間違いに、はたして校正段階で気づかなかったのだろうか? DJでこれらの作品を手にしたことが一度でもあれば、間違えることは稀だろう。DJ Premierのプロデュース作品を編纂した本を作るぐらいなのだから、企画者、編集者はそれなりにPreemoの作品を熟知していて、彼の作品を買ったことがあるに違いない。でなければ『DJプレミア完全版』と銘打った書籍など作れるはずがないからだ。そもそも上述のGang Starr、Group Homeのケースでは、重複回避のためかA面曲の記載がないため、ジャケットまで異なると何の作品なのか12インチを手に取ったことがない読者には伝わらないだろうし、単純にカタログとしては機能していないようにも見受けられる。
ネットの記述と比較・検証②
『DJプレミア完全版』とWikipediaのDJ Premier作品リストは、そのほかも不可思議な一致が多い。例えば、下掲する“DWYCK”は、本書のシングル曲としては珍しくシングル('92)とアルバム『Hard to Earn』('94)で重複掲載されているのだが、それはWikipediaも同様だったりする。ちなみになぜかシングルのみNice & Smoothがクレジットされているのだが、もちろんどちらのヴァージョンでも彼らは参加している。
先に紹介したシングル作品群や、例示していない他のリミックス曲だけが掲載されている作品をみても『DJプレミア完全版』もWikipediaのリストも重複はなるべく避けているようにも映るのだが、Wikipediaで重複しているところはなぜか本書も重複しているという特徴があることがわかる。そのほかの重複している曲にもなぜか共通点は多いので、引き続き例示してゆく。
ご存知でない方向けに解説するが、D.I.T.C.のセルフタイトル『D.I.T.C.』に収録されている“Da Enemy”と、Big Lの『The Big Picture』に収録されている“The Enemy”は全く同じ曲である。97年に“Internationally Known”のB面曲としてリリースされた。然るにFat Joeはどちらのヴァージョンにも参加しているのだが、後者にはなぜかクレジットがない。D.I.T.C.のセルフタイトルは既発曲中心のコンピなので、多くの曲が他の作品にも収録されているのである。なお、“The Enemy”はWikipediaでも同様の表記で重複している。
また、D’Angelo の“Devil's Pie”はそもそもシングル曲なのだが、なぜかあえて映画『Belly』のサントラ('98)とアルバム『Voodoo』('00)の両方でリヴューしている。これまでのGang Starr “Step in the Arena”、Group Home “Livin' Proof”といったシングル作品で披露されてきた法則に従うなら、少なくとも『Belly』のサントラへの表記は要らないはずなのだが。ちなみに、何故だかはわからないが、Wikipediaもサントラとアルバムが重複している。
また、『Belly』に収録の「Militia Remix」という曲も、これは本書にも掲載済みのコンピレーション『Full Clip: A Decade of Gang Starr』収録の“The Militia II (Remix)”と全く一緒の曲なので、そちらの方で掲載すれば良さそうな話だが、“The Militia II (Remix)”の記述がWikipediaにないためか、本書にも揃って掲載はされていない。
下記の“Skills”の12インチシングルについても同様だ。
元も子もない話だが、“Skills”は続くアルバムの『The Ownerz』 にも掲載されているため、あえて12インチシングルとして紹介する必要性はほとんどない。そしてこれまた不思議な話だが、Wikipediaのリストにおいても“Skills”は重複掲載されている。
それでもって日本企画盤のみの収録曲である“Natural”をここであえて『The Ownerz』に載せるなら、わざわざ重複している“Skills”の12インチシングルをアルバムと別枠で記載する意味が完全になくなってしまうのだが、本書もWikipediaもなぜか重複してどちらも掲載している。また、この[Japan Bonus Track]という表記も奇妙にも全く同じなのだけれども、実際の日本国内企画盤の『The Ownerz』のクレジットを読む限り、「[Japan Bonus Track]」という表記はどこにもなく、代わりに「Bonus Track for Japan」という記述があることがわかる。
ちなみに、この“Natural”という曲は、その後なんともう1回、計3回(!)も紙面に登場する(“The Natural”という名前で)。3回目は06年にGang Starrのベスト盤掲載作品としての登場(しかもソロ)だ。
そしてもはや言わずもがなだが、この“The Natural”は、Wikipediaでも奇跡的に同じく06年に3回目の登場を迎える。
重複掲載が図らずもWikipediaと3回被るというのはなかなかに信じがたい事態だが、極めつきはRas Kassの以下のリヴューである。
この『Eat or Die』というのはミックステープ作品であり、彼のフリースタイルも収録されている。“Realness Freestyle”というのはもちろん、Group Home “Tha Realness”のビートをジャックしたフリースタイルに他ならない。
ビートジャックとは、既発のビートを無許可でそのまま用いた楽曲のことである。この件はリヴューしたライターも記事中で触れてはいる。なお、Premierのプロダクションを用いたビートジャックなんて、過去にそれこそウン百、ウン千とあるわけだが、なぜこの本はここに来て、Ras Kassのフリースタイルをわざわざ紙面を割いて掲載しようと思い立ったのだろうか。ちなみに、本曲が収録されている『Eat or Die』にも特にDJ Premierのクレジットはないので、本作をあえてDJ Premierのディスクガイドに掲載するということは、万が一Wikipediaの記述を全く目にしていないと仮定すると、本書を編修した誰かがこのミックステープを聴いて、何らかの思い入れがあって、どうしてもここで取り上げたいと思ったから掲載が決定したのであろうと拝察する。
Ras Kassのフリースタイルを掲載するに至った動機とは一体何であったのだろうか。即物的な評価に戻るため、三たびWikipediaのDJ Premierリストをチェックしてみると、そこにはやはりRas Kassの存在が確認できた。
おそらくこのRas Kassのビートジャックを”DJ Premierプロデュース作品扱い”しているのは、本書「DJプレミア完全版」か「Wikipedia」 だけだろう。何とも不可思議な一致の多い両者である。これらの異常性を特に執筆陣が指摘せずにそれぞれリヴューが進行してゆく様には、いささか物恐ろしさすら覚えてしまった。
終わりに
出版社である河出書房は少なくとも関係者に本件の聞き取り調査をした方がいいだろう。ディスクガイドを制作する上で、リストの作成が一番手間のかかるところだ。なぜなら、DJ Premierのディスクガイドを編修するということは、彼に対する広範かつ専門的な知識や、実際に作品の購入経験がないと難しいからだ。だが、仮にWikipediaの記述を剽窃(コピペ)したとしたら、誰でもこの最初の難関を飛び越えられてしまうのかもしれない(クオリティは二の次として)。
通常Wikipediaの剽窃(コピペ)が発覚した場合、卒論なら単位ないし学位の取り消し、学術論文なら論文取り下げとなるだろう。一般刊行物においても、通常は倫理やモラルが問われる事案であり、国よっては罰則が適用される。出版社の信用問題にもなりうるだろう。
また、本書に寄稿しているライター陣も、知っていたのか知らなかったのかはこの際置いておいて、本件を踏まえて何らかの表明をした方が無難だろう。放置すれば執筆業の沽券に関わる問題となる可能性がある。
Appendix
本編は以上だが、最後に余談がひとつ。本書のジャケットには下部に「1989-2023」という表記がある。これは黒い背景に溶け込んだDJ Premierの画像とも相まって「1989年生まれで2023年に亡くなった故人を偲んでいる」ようにしか映らないため、間違ってもPreemo本人に寄贈するのはやめておいた方がいいだろう。
参考までに本書にも掲載されていたBig Lの遺作のジャケットを貼っておく。彼は1974年生まれで、惜しくも1999年に亡くなってしまったので、このようなデザインとなっていたのである。その国のアーティストを取り上げるなら、その国のカルチャーを理解していないと厳しいということが伝わるのではないだろうか。
追記 (2/25)
本稿で取り上げた『Kickin Da Flava』(‘94)、『Rawkus Exclusive』(‘01)の2作品について、現物を取り寄せたので、比較のために写真を掲示しておく。
上記の2作品に実際に記載されている情報を踏まえて言えることは、少なくとも両者ともネットや『DJプレミア完全版』ではなぜか現物のクレジットが使用されていないということだ。なお、『Rawkus Exclusive』のジャケット裏面には「MADE IN ENGLAND」というシールが貼られているのだが(画像参照)、こちらはどうやらUK産の作品のようである。
おそらく本作は、雑誌の付録や購入特典で付いてくるタイプのサンプラーCDか、1ドル(ポンド)などで売り出されていたサンプラーCD(一時期イギリスで流行っていたフォーマット)のどちらかだと思われる。米国での流通はほぼないだろう。
ちなみに、2/25現在、本稿掲載から3週間以上経過したが、出版社からは何の発表もないようだ。