カムカム神回 ふたたび
今日(12/10)のカムカムエヴリバディ第30話、皆さま、もう観ました?
ふたたび来た!!来た!!神回が!!!!
(ちなみに1回目の神回についてはコチラ)
ひゃっふぅ〜♪₍₍ (ง* ॑꒳ ॑*)۶ ⁾⁾ ←喜びの舞(某「中の人」のマネ)
私はついさっき、仕事帰りに電車の中で観てたんだけど、途中であまりに心揺さぶられ、ほろほろ涙出ちゃった。
もぅね、不意打ちがすぎるのよ。
仕事終わってヘロヘロで何も考えられません状態のスッカスカの心に、一気に感動エキスどっばどば。
ほんとに、もぅ。
やってくれるなぁ、カムカムさん!(いい意味で)
おかげで私は、電車で突然泣き出す怪しい人になってしまったわけだけど。
でも、今はマスクがあるおかげで、静かに涙を流す程度なら(そしてマスカラがウォータープルーフなら)周囲にはほぼバレないってこと、皆さま知ってました?
私は今日、我が身をもって知ったっす。
コ ロ ナ社会の小さなメリット発見なり。
そういえば、私はここ最近、ちょっと心がけていることがあって。
昨今、コ ロ ナ禍で世界は混沌としていて、いろいろ大変だけど。
でも、ただ世を憂うよりも、めげず腐らず、なるべくならいいところにも目を向けて、世の中そんなに悪くないって、ちゃんと前向きに丁寧に生きていきたいなって。
そう心がけることが、まず大切なんじゃないかなって思うようになったのだ。
それはカムカムのおかげ。
だって、カムカムを観る度、稔さんの「ひなたの道」の話を聴く度、気づかされるのだ。
私たちの生きている今は、戦中戦後に比べ、なんて恵まれてるんだ、なんだかんだあっても相対的にはめっちゃいい時代じゃないか、って。
日本はもう75年も戦争をしておらず、平和が続いている。
つまり、敵襲に逃げ惑い、翌日焼け野原となった街を呆然と歩くことも、戦場に行く(あるいは送り出す)恐怖と不安を感じることも、大切な人を次々と失い絶望に苛まれることも、我々は75年間経験していない。
そして、今はどこの国とも自由に行き来できる(ここ2年ほどは例外的にちょっとアレだけど)。
どこの国の音楽でも自由に聴ける。自由に演奏できる。
稔さんが心から願った理想の世界が、たくさんの人の血と汗と涙の尽力の上に今、ちゃんと実現されていて、私の目の前に当然のように拡がっているのだ。
考えてみれば、本当に凄いことだよね。
稔さんを連れてきて、見せてあげたいね。
でも、それは叶わないから、せめて、自分の世界線で、自分のできることをしたいなって思うのだ。
仕事や生活に忙殺されていると、自分の居る場所って、なかなか俯瞰で見ることができない。
でも、ときどきは立ち止まって見つめるべきなのだと思う。
今、私がどれほど素晴らしい世界に居させてもらえているか。
どれほど多くの先人たちが、どれほど多くの犠牲や苦労を重ね、この時代を作りあげてくれたか。
そのたくさんの想いを、これからどう未来へ繋いでいけばいいのか。
カムカムは100年にわたる長き物語だ。
ヒロインも3世代におよぶ。
展開が早く、登場人物もこれからどんどん入れ替わっていく中、物語と人を繋いでいく重要な縦軸の一つとなるのが「願い」である。
「ひなたの道を歩いてほしい」
「幸せになれ、幸せになれ」
誰かの遺した願いを、誰かが引き継いで。また次の人へ繋いで。
そうして、皆で想いを共有しながら、世界を少しずつ少しずつ押し上げ、最終的に今へ繋げていくことになるのだろう。(たぶん)
でもそれは、カムカムの世界だけの話ではなくて。
我々にも同じことが言えるはずだ。
それぞれの父母、祖父母、曽祖父母、、、と綿々と続く祖先が皆、子供たちの未来をよりよいものにしようと頑張ってくれた結果、今こうして素晴らしい世界に我々はいられるのだから。
100年どころか、人類誕生からずっと、魂を繋げてきた最果てにいるのが今の自分であり、そしてこの先の未来へさらに繋げていく役割を持っているのだから。
畢竟、我々もまた、とてつもなく長い物語の住人なのだ。
悠久の時の流れの中の、小さな小さな一点として、今、生きている、いや、生かされているということ。
そのことに想いを馳せながら、自分の物語、ひいてはヒトの果てしない物語を、日々丁寧に紡ぎ、よりよい未来へ繋いでいけたらいいな。
って、あれ?
気づけば、話がどんどん大きくなって、またしてもどんどん脱線している気がする。
いけんいけん、こねぇなもん、まちごうとる。
話を戻さねば!
…でも、ちょっと今日は疲弊しきってて、これ以上はムリかも。
目がしょぼしょぼする…(それは泣いたせい)
つづきはまた次回にして、少し寝てもいいですか?
ほんとすみません。
ほなほな、おやすみなさい🌙