稔さん。。。
うっわ…
やっぱりか……
朝ドラ見ずに出社しても、「稔さん」で溢れ返るツイートから、全てを察する金曜日。
なんだか覚悟ができなくて第20話まだ観れていないんだけど、母に聞いたら、紙切れ1枚で処理されたって?
ぬぉぉぉぉ……
稔さんだけ、出征も軍服姿もあえて一切描かれない脚本のつくりからして、死ぬシーンもないだろうと、薄々分かってはいたけど。
いたけども、でも!
お別れくらいきっちりさせてくれよぅ!!
と、今回ばかりは制作陣に泣きを入れたい気分だ。
稔さんはぬるっと物語からフェードアウトしてしまった。
第16話の寝巻きハグが最後のシーンになるなんて、そのときはまさか思わなかった。
だから、稔さんとは、これが最後!という一線が引けていない。
これで見納めだからしっかり目に焼き付けておこうと自分の気持ちにケリをつける瞬間がどこにもないまま、彼は急に永遠に美しい夕陽の向こうへ行ってしまった。。。
まったくもう、物凄く下手な恋の終わりみたいなことしてくれやがって。(言葉悪)
この昇華できない想いは、どうしたらいいの。
全国の稔さんファンの皆様、大丈夫ですか?(おまえもな)
でも、少し冷静になって考えてみると、稔さんの戦死のシーンは描かない方がいいという結論に至るのも、理解できなくはない。
彼はこの100年物語の重要な縦軸の1つなのだから。
ヒロインたちの名を見ても分かるとおり、「ひなたの道を」というのは、作品をまっすぐ貫く大きなテーマであり、人が丁寧に繋いでいく願いでもある。
死を越え願いを繋いでいくなんて、まるで鬼滅…
って、それはさておき。
そんな重要な「ひなたの道」のアイコンが稔さんである以上、下手に戦死の場面を見せて、視聴者の目裏に余計な残像を残すことは、上策ではない。
今後、主人公の持つあの写真立てが、稔さんの代わりに事あるごとに登場するのだろうが、そのとき視聴者に喚起してほしいイメージは「陽」なのだ。
戦争の生々しさや死といった「陰」のイメージは、邪魔でしかない。
だから、稔さんの軍服姿や出征シーン、横須賀での軍隊暮らし(文通のやりとりとか、るいの写真を受け取り喜ぶところとか、差し込まれてもおかしくなかったのに、あえて何ひとつ触れられなかったよね)と同様に、戦死の場面も、「陰」につながる要素として意図的に排除されたのだろう。
稔さんはただ「陽」のアイコンとして、平和な未来を望む誠実で爽やかな青年として、そこにずっと在ってほしいから。
そんな制作陣の狙いも、分からなくはない。
でも。
確信犯の制作陣も、一つだけ読み違えたんじゃないだろうか。
何をって、稔さんの今の人気ぶり。
つまり、松村北斗の演技のポテンシャルと、稔さんを1分1秒でも長く観たいと願う我々の心を。
物語の構成としては、稔さんを表舞台から早々に退場させ、最期まで描かないという選択は、きっと正しい。
けれど、正しいことが必ずしも最善として受け入れられるかというと、それはまた違って。
人の心はそんなに簡単ではないのだ。
だから、今日のネットの反響を見て、制作陣はちょっと慌ててるんじゃないかな。
「作ったときはこれでいいと思ってたけど、こんなに稔人気が出るんなら、もう少し違う見せ方してもよかったかなぁ、ナレ死ならぬ紙死扱いで大丈夫だったかなぁ、ねぇどう思う? ちょっと回想でも足しとく?」
なーんて、今ごろNHKの編集室でぶつぶつ言ってそうな気がしてならない。
もしも、もしも、声が届くなら、制作陣さん!
回想と言わず、新たに、稔さんのスピンオフを作ってほしい!!
たとえ短くても、あるいはもちろん長くても、番組完結後でも、なんでもいいので、ぜひ!!
日本中の稔さんファンの想いを昇華させるための、必要不可避な儀式だと思って、ぜひ!!
よろしくお願いします!!!!
(あ、でも、紅白での小芝居は、私はあんまり要らない派です…)
* * *
ってことで。
稔さんの死の衝撃に耐えきれず、ついnoteを書いてしまった。
もとより死亡フラグ立ちまくりで、予想は十分してたのに、やっぱり衝撃だったなぁ。
まだ第20話観てもいないのにね。
観たらどうなっちゃうんだろう。
今から観ようかな……
うわぁ、やだなぁ……
心が落ち着いたら、前回のつづき(「松村北斗という役者」について)もちゃんと書こうと思ってる、けど、はたして落ち着けるのか、私?
とりあえず今から、覚悟決めて、泣いてきます!
ではまた!