松村北斗という役者(その3)
今日は、真っ直ぐ、本題へ!
松村北斗という役者の魅力についてちゃんと語りたいと思う。ほんと今日こそは。(3度目の正直)
1度目も、2度目も、決して本題を忘れていたわけではなかったんだけど。
言いたいことが多すぎて、溢れ出る言葉で思考回路に酔いが回り、ぐるぐる迷走した挙句、着地点を見失ったまま力尽きてしまった。2回とも。
そう、着地点。
仕事でよく聞く言葉だ。
明確な着地点を事前に定め、そこに向かって逆算し、いかに効率よく動けるか。
ビジネスマンの有能さは、その1点に集約されると言っても過言ではない。
そして、それは、松村北斗を語る上でも、重要なキーワードになり得る気がする。
役者にとっての着地点は、当然ながら本番での芝居だ。
本番を見据え、台本の解釈を深め、芝居の表現を決める。
そのためには、作品と役が自分の中に十分に落とし込まれていなければならない。
そして、そのためにはまず、役と真っ向から向き合い、読解力や想像力を駆使して自分の内面へリサーチをかけ、己との共通項を照合していく…
やり方は人それぞれだろうが、要は、役の逆算。
逆算により導き出された準備が周到であればあるほど、観る側は着地点での芝居を違和感なく受け取ることができるのではないだろうか。
そして、松村北斗は、着地点の設定と逆算にかなりのセンスと拘りを持った役者なのではないかと思うのだ。
カムカムにおける松村北斗は、物語の展開に合わせ、役の印象を意図的に何度も変えていた。
短期間でのかなり激しい変化にもかかわらず、彼は綺麗に細やかに演じ切っていて、視聴者に全く違和感を感じさせなかった。
その繊細な芝居は、いずれも熟考を重ねた上での高度な計算の帰結に見えた。
(世の中には役作りで悩まない天才肌の役者もたまにいるが、松村北斗はたぶんそのタイプではない気がする。)
極めて優れた計算と着地のできる稀有な役者。
それはしばしばカメレオン俳優と称される。
松村北斗も近い将来、次世代カメレオン俳優として名を馳せるんじゃないかな。
そんな期待を抱かせてくれる、その演技力。
さぁ、それではいよいよ、カムカムの時系列に沿って見ていこう。(ついに本題だ!)
※ ※ ※
松村北斗演じる雉真稔は、良家の跡取り息子で見目麗しい上に爽やかかつ品行方正という、完璧を絵に描いたような王子キャラとして、鳴り物入りでカムカム第1週に登場した。
多方向からこれでもかと光を浴びせた眩しい白シャツ姿に、キャッチライトがきっちり入った瞳。
稔さんに対するキラキラ感の演出は止まるところを知らず、流暢な英語やキラースマイルといった小技も畳みかけるように繰り出され、「どうぞ恋してください」と言わんばかりのキラキラの波状攻撃だった。
朝ドラ、凄いな。気合い入ってるな。
一歩間違えるとリアリティが崩壊しかねないこのキラキラの嵐を、しかし松村北斗は怯むことなく巧みに我が物とし、実に上手く雉真稔を物語世界へ着地させたと思う。
姿勢から居住まい、言葉の端々から笑顔に至るまで、違和感なく役の魂とキラキラを同居させ、まるでそこに本物の雉真稔がいて、昭和という時代を本当に生きているかのようだった。
そして何より、アイドルのオーラを100%完璧に消し去っていたのが、見事だった。
彼は普段、国宝級イケメンランキング1位をとるほどの現代的容姿と人気を兼ね揃えたアイドルのはずなのだが、この作品の中では、どんなにキラキラしても不思議なことに1ミリも令和のアイドルには見えず、どこまでも稔さんであり、どこまでも昭和の好青年だったのだ。
1週目のネット上は、「え!?稔さんってジャニーズなの??」という驚きの声や「稔さんは理想の初恋相手」と称賛する声であふれていたという。
まことに然なりけり。
朝ドラは若手俳優の登竜門と言われて久しいが、松村北斗も無事に一の門をくぐり抜けたようで、本人も関係者の皆様もまずはホッとしたことだろう。(もちろんファンの皆様も。)
そして、第2週。
戦争の不気味な足音が近づくにつれ、稔さんの周りの雲行きもじわじわ怪しくシリアスになり、目の離せない展開になっていく。
中でも、斬新な演出が冴えた第8話は、朝ドラの歴史に残る神回といっていいほど見事な完成度で、強く心に残る回だった。(詳しくは1度目で。)
勿論、松村北斗の芝居も、第8話の出来に大きく貢献していたと思う。
特に歌あけのラスト1分。稔さんとの別れを覚悟して汽車で泣いていたヒロインに声を掛けるシーン。
いるはずのない岡山駅での登場自体がまずドラマチックだったが、それ以上に芝居がやはり秀逸で。
あえて抑制を効かせた演技に徹していたのだと思うが、それが逆に、精巧に作り込まれた細部を際立たせていた。
相手を気遣わしげに窺う視線の配り、不安の音色を微かに乗せた震え声、呼吸と間の取り方、台詞の語尾に残す余韻、、、
一挙一動一言一句すべてに説得力があり、稔さんの心の内が透けて見えるような繊細かつ緻密な表現で、観る者の心を惹きつけたのだ。
彼の生み出した余韻にうっとり浸かった人も多かったのではないだろうか。
たった1分、たった数語の台詞で、その場の空気を支配し、カメラの向こう側の視聴者もまとめて虜にするとは。
松村北斗、只者ではない。
これが全て彼の計算の上に成り立っていると考えると、有能がすぎる。
もしも別の世界線で、彼がビジネスマンだったとしても、やはり有能ですぐに名を上げていたに違いない。
そしたらすぐうちの会社にヘッドハンティングしたいものだ…(妄想)
また、第9話で稔さんがヒロインの家族と初対面し誠実に想いを語るシーンも、非常に印象的だった。
背筋をピンと伸ばし、落ち着いた態度と口調で、でも目尻と口角には少しの緊張を孕みながら、かっこよく長台詞を決める稔さんの姿は、もはや王子を通り越して王の風格の片鱗すら窺わせるほど、凛々しかった。
彼ならきっと、たとえ今後どんな困難が立ちはだかろうとも、逃げずに真摯に向き合い、最終的には見事勝利を収めるだろう、王道を真っ直ぐ進むのだろうと、誰しも思ったに違いない。
なのに。
たった数日後、我々は稔さんのまさかの衝撃的な変化を目撃することになる。
第3週第12話。
両親の前で初めて怒りの感情を露わにし、ヒロインとの結婚に向けた覚悟を改めて伝えた場面。
しかし、尊敬する父からは見通しの甘さを指摘され、世迷言だとバッサリ切り捨てられて。
海千山千の経営者である父の言葉は重く、その苦言の内容は至極真っ当で。
まさにぐうの音も出ない状況に追い込まれてしまった次の瞬間、なんと稔さんは、困難に立ち向かい王道を進むどころか、全てを諦め、キャラ変へ走ったのだ。
光属性から闇属性へ。
キラキラ王子から、闇を抱える無力な子どもへと。
その難しい芝居の転換を、松村北斗は大きな動作でも台詞でもなく、些細な表情と目の演技だけで表現してみせた。
その後の第13話・第14話でも、瞳の奥に闇を湛えることで、多くを語らずとも、空虚な心と絶望の深さを観る側にひしひしと伝えたのだ。
凄いな、松村北斗。凄すぎる。
なんてかっこいい役者なんだ。
そしてさらに凄かったのは、闇堕ちしたにもかかわらず、稔さんの魅力や人気が全く落ちなかったことだ。
ちょっと冷静に考えてみてほしい。
この物語の主人公はヒロインである。
視聴者は皆、ヒロインが大好きだし、応援もしている。
そんな中、相手役がヒロインを守れず、親の反対を押し切ることも駆け落ち等の行動を起こすこともできず、人生を諦め、親の言うがまま政略結婚を受け入れ、結果的にヒロインを捨てることになったら。
そんな男、普通ならば大ブーイングされ、視聴者から冷たく見限られるんじゃないだろうか。
普通ならば。
だが、稔さんの場合、そんな「普通」の反応は全く起きなかった。
むしろ、今までキラキラの初恋理想像としてある種偶像化されていた完璧な稔さんよりも、恋人と家の間で苦悩したあげく闇堕ちした稔さんの方が、弱さを持つ等身大の若者としてリアルな輪郭を結びやすくていい、身近な存在としてより感情移入しやすくていいと、視聴者はすんなりその変化を受け入れたのだ。
そういえば稔さんは学生だったね、まだまだ未熟でも仕方ないよね、脛かじりの身だしね、良家の長男坊だしね、昭和初期だしね、なにより戦争中だしね、親に逆らって運命に抗うなんて難しいよね、うんうん、分かる分かる、仕方ないよ、でもなんとか幸せになってほしいよ、、、
そんなふうに、たとえ闇堕ちしても、その弱った心に寄り添って応援したくなる何か不思議な魅力が、稔さんには備わっていた。
それは、役者松村北斗の力だ。
彼が丁寧に、全てのシーンで本当に丁寧に丁寧に、雉真稔という人物に向き合い、熟考し、計算し、細部に至るまで魂を注ぎ込んだ結果なのだ。
だから、第15話で、よもやよもやの父の愛による逆転ホームランでめでたく2人が結婚となったとき、我々は心から喝采をあげ、心から祝福することができた。
神社でのプロポーズのシーンなんて、何度観ても、よい。よすぎる。
稔さんの呆然としていた頭が徐々にクリアになり、あぁ僕この人と結婚できるんだと実感した瞬間、瞳に元来の光がふわっと蘇ってくるところなんて、ほんと好き。
弟におめでとうと言われ、顔つきがキリッと精悍になり、属性が闇から光へ完全に切り替わり復活を遂げた様をさりげなく見せてくるのも、すごく上手いなぁと思う。
そこからの怒涛のデレは、まぁ、今まで頑張ってきたご褒美のようなもので、観る側も一緒に幸せな気持ちになれてよかったのだが、幸せの先には出征が控えているという事実があり、幸せであればあるほど今後の展開への不安も膨れ上がるという、画面の向こうもこっちも感情の振れ幅が大きい、印象深い15分間だった。
そして、その後の展開はといえば、稔さんは軍服姿を一度も見せないまま戦争へ行き、案の定、帰って来なかった。
そりゃ山のように死亡フラグ立てていたし、ナレーションでもわりとはっきり戦死予告されていたし、頭では分かってはいたけれど。
でもやっぱり、もう2度と稔さんに会えないのは淋しい。
巷には今、そんな「稔さんロス」が蔓延している。
そう、稔さんロス。
朝ドラが終わる度に「◯◯ロス」はよく聞くワードだが、でも今回の稔さんに関して言えば、実はこれ、かなり凄いことなのではないだろうか。
普通の朝ドラ作品は、半年同じ顔ぶれで話が進む。登場人物は大抵半年間は物語の中に居続ける。
半年間毎朝会っていた人に急に会えなくなったら、そりゃ寂しいし、ロスにもなるだろう。
だが。
稔さんが登場したのは、2021年11月3日の第3話。
そして出征したのは、2021年11月22日の第16話。
その間、たった20日。出演回数にするともっと短く、ほんの14回なのだ。
そんな短期間で、多くの人の心を掻っ攫い、強い印象を残し、ロスまで生むのか、松村北斗。
本当に凄い役者だ。
今後が楽しみでならない。
※ ※ ※
ということで、長々書いてきたが、雉真稔と松村北斗の話はこれでおしまい。
でも、雉真稔は終わっても、松村北斗のストーリーは、勿論これからも続いていくわけで。
せっかく見つけたいい役者を、私は今後もずっと応援していきたいなと思う。
ちなみに、今回書いてて気づいたのだが、どうやら私は、松村北斗の目や表情や声色といった細部の芝居に最も魅かれているようだ。(役への解釈や着地点の定め方も凄いなとリスペクトしているのは勿論だが。)
芸術界隈の有名な言葉に「神は細部に宿る」というものがある。
まさにこの言葉を松村北斗に贈りたい。
これからどんな役に出逢い、どんなふうに演じ、どんな凄い役者になっていくのか、本当に楽しみだ。
(個人的には、哀しい過去を背負った切ない容疑者役とか、あるいは時代劇で運命に翻弄される小国の若殿役とか、苦悩する魂を持った役が似合いそうだなと思う。)
あ、もちろん、役者としてだけでなく、SixTONESとしての松村北斗も楽しみだし、SixTONESも含め、応援したいと思っていますとも。(同じ人だし… って、え? 稔さんとはキャラが違いすぎて、もはや別人??)
そういえば、ツイート等で松村北斗は「稔さんの中の人」と呼ばれているのをよく見かけるけど。
ちょっと前は「メガネの人」でトレンド入りしていたらしいし…
なんか面白いなぁ。
松村北斗はよほどの振り幅とギャップを内在しているに違いない。
まずはそこらへんから確認してみようかな。
優しいファンの皆様が教えてくれた情報によると、ラジオが一番危険らしいから、いっそのこと最大震度の衝撃を最初に食らってみるのはどうだろう。
ということで。
次はラジオを聴いてみたいと思います。
感想また報告しますね!
ほなまた!