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カエルの嘔吐法

「夕空に 愛猫(あいびょう)色の なんとかかんとか」

中川翔子ことしょこたんが、プレバトで発表した、句。へぇー、愛猫色なんてあるのね、と思ってたら審査員のばあさんが「夕空に、ときたら、オレンジ色などを思い浮かべることが多いけれど、そこでこのオリジナルの色を出したのは~」と、抜かしていた。

え、愛猫色(あいびょういろ)とは中川翔子ことしょこたんがオリジナルで作りたもうた色!?と思って、胃ごと吐き出して1回洗って、拭いて、戻した。カエルの嘔吐の方法と完全に一緒で、ウチはうれしかった。

なんでもありけ!この世の中は!と、クソデカ声で怒鳴ったけれど、どうやらこの句は、出演者の中で1位を獲得してしまったらしい。この世の中は、終わってしまった。

さらには、1位のくせに審査員のばあさんはイチャモンをつけており、「夕空に なんたらかんたら 愛猫の雲」となっていた。「愛猫の雲」…!?この世の中は、本格的に、終わってしまった。

そんな言ったら「餅丸の海」だの「鼻焼の山」だの「歯腐(ぐされ)の波」だのなんでもありになってしまう。

でも今の教育ないしは社会で求められている人材は、夕暮れの空の色をオレンジ色とは表現しない者なのであろう。自らの(所謂自発的やら主体性やらでもって)言葉で発信できる人が求められている。

ここでスポットライトは私に向けられた。私は、非生産的なこと、つまりはnoteだの、学校教育でいえば図工のなんたらだの、そういったことへの熱量はある方だと思う。しかしながら、基本的には敷かれたレールの上で淡々と仕事をするのが向いている人間だと自負している。

総じて、1番苦手なのは所謂生産性のあるもの、主には仕事において、新たなものを創造することである。不真面目なことを真面目にやるのはやる気が出るけれど、元々真面目なことを大真面目にやることには大きな抵抗があるのである。

こういった自己分析は深くそして正確にできる方だと我ながらに感じているが、鬱病という最高厄介なうんち病を前にしては、その才能は全く歯が立たない。

まずは、「鬱病を薬なしでなおす!なんたら〜」みたいな本を購入。4ページ目で「あんたがそうなったのは幼き頃の親の育て方の問題です」と書いており、喚き散らして、泣きながらBOOK・OFFに駆け込む。他のいらない本も売ったが、その本が破格的に高く売れた。また、人を不幸にしてしまう。

次に宗教にすがった。宗教とはいってもサリンやハッピーサイエンスではなく、いわゆる仏教、とりわけ我が家は浄土真宗を信仰しているようなので、それに関する本を2~3冊買った。

親鸞さまが拓いた宗派であるのだが、つまるところ「なにがあっても神?にすがるのがよい。さすれば救われん。」みたいな内容でした。いわゆる「他力本願」の考え方だが、浄土真宗ではその上をいく「絶対他力」という私としてはこの上なく幸せな教えであった。

しかし恐らく生と死が隣り合わせ、というか死が比較的近い存在にあり、いわゆる飢餓だの飢饉だのという時代にできた宗教であるだろうから(違うのであれば謝りますすいません。はい謝りました)、そういった根本的な社会情勢が異なる今、「絶対他力」は残念ながら通用しないと親鸞聖人の考え方を真っ向から否定してしまった。私は近いうちに祟りにあうかもしれないが、その前にBOOK・OFFに行かせてほしい。比較的新しい本だから、3冊で300円は固いであろう。

次は絵にすがった。とりわけバラと猫が好きだから、それくらいかければと思った。かけた。そして上手い。てやんでい、と思い、長袖を肩までまくって書店にダッシュで入店、「水彩画でかく猫」的なものを購入。にこやかなる退店。

滲みを使うことで自然と猫の毛並みの柔らかさや温かみが出るということだった。てやんでい、と思い、長ズボンもめくり、仰せの通りにまずは紙をびちゃびちゃにして、少し乾かしてからかいた。

死ぬほど失敗して吐き気が止まらなかった。

よく見ると普通の画用紙ではなく、ナントカ紙みたいなカタカナの紙が必要であると言う。どこに売っているんだ。

先に言ってほしかった。

「ナントカ紙でかく水彩画ねこ」と表紙に書いていれば―。店員が「それはナントカ紙でないと滲みませんよ」と一声かけてくれれば―。親鸞に逆らっていなければ―。

もういい、私は絶対他力でいく。

「夕空に 歯腐(ぐされ)色の

頼むから後はあなたたちで考えてください。

(^_^)/~~

愛猫(あいびょう)―。あいみょん―。あみょいん―。みょいあん―。


解散

p.s. 解散

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