月刊コグマ#10 扉
未来にあるものは何なのだろうか。
今、自分の見るべき先を見失っている自分にとって、見据えるべき「先」は何なのだろうか。
もし、過去にも未来にも行ける扉とそれを開ける鍵があったとして。
僕は、この未来への扉を本当に開けるべきなのだろうか。
10/14 江の島
事の始まりは10月の14日。
いや、もっとさかのぼればこの話は7月の終わりごろの話になる。
この時の自分は、とても海が見たいと思っていた。
本当に、海に思いを馳せていて、あのきらきらとした景色をこの目のフィルムに収めたいと思っていた。
最近(バーベキューのときに)、観に行ったばかりだけどやっぱり夏だし、海が見たい。
言っても前回は少し海を見ただけだったので、ゆったりと海を眺める時間が欲しかったのもある。
しかし、友達との予定が上手く合わず、9月…10月…とズルズル引きずってしまった。
始めは7月。
次は9月。
それでも予定が合わなかったので、次の10月の祝日に行こうか、という話で落ち着いた。
10月14日。
この日はちょうどスポーツの日という名の祝日で学校も休み。
自分はこの日に約束していたことを忘れ、メタファー:リファンタジオを思う存分やるつもりだった。
しかし、前日の夜、バイト帰りで帰り道を歩いていた時、友達から一つの連絡が来た。
「明日何時どこに集合にしようか?」
この言葉で、自分は湘南に行かないか?と誘ったことを思いだしたのだった。
当日、場所は片瀬江ノ島駅。
朝10:10ほど。
入口からお城みたいな雰囲気の場所に来た。
やっぱり、観光地ということもあってか人が多い気がする。
駅横のファミマの前には修学旅行生か何なのか分からないが、学生の団体客が多く集まっている。
近くに水族館もあるし、そっちに行くのだろうか。
そんなことを考えていると、友達も到着をした。
さぁ、江の島へ行こう!
ということで、長い長い橋を渡る。
これは本土と江の島とをつなぐ唯一の橋。
この橋を人がたくさんわたっている現状が少し、面白いと感じつつも、友達と一緒に話しながら向かっていった。
屋台通りを抜ける。
出店には大きなたこせんやコーヒーソフトクリーム。
他にも美味しそうなものがたくさん並んでいる。
そんなお店たちを横目に階段の先の神社へと歩みを進めた。
エスカレーターを無視して、階段を一歩一歩上がっていく。
すると、目の前には江島神社が見えてきた。
想像以上に大きな神社で、そのまえで5円を入れていつもどおりのお願いをして、後を立った。
その後も色々な場所を巡っていく。
江ノ島シーキャンドルという展望灯台まで行ってみたり、そのふもとで写真を撮ってみたり。
稚児ヶ淵というところで海の音を撮ってみたり。
お昼ごはんでちょっとした失敗をして、2人で苦しみながらご飯を食べてみたり。
時間は気づけば15:00近くになっていた。
深い話も浅い話も、たくさんの話をした気がする。
解放感を得ることはやっぱり大切なことだと思う。
そのおかげで、こころが洗われることだって多いととっても感じるし。
ぼぉっと見てるだけでも、不思議と時間を費やせてしまうほど癒される。
行きとは反対側の道を歩いていく。
今日あったことをいくつもいくつも思い出すこの感覚が好きなのもあるかもしれないな、
海を見に行くことが好きな理由は。
行って良かった、と素直に思う
今月の思い出だ。
一緒にごはんを食べに行こう
10/15 お好み焼きを食べに行こう
この日は火曜日。
なのだが、祝日の影響で月曜日課になっていた。
しかし、自分の専攻では月曜は休み!
土、日、月、火
の4日間はすべて休める
はずだった。
5限目。
16:40から始まるこの時間に、その日はキャリアガイダンスという名の全体に行う職業指導的なものが入っていた。
もちろん全員参加。
まぁ、とはいっても休んでも良かったので、行くかどうかとても悩んでいた。
その講義だけ出るために、電車に1時間以上も乗って向かうのはとても億劫だったのだ。
すると、友人にこんなことを言われた。
「せっかくなら、この日の帰り一緒にごはんに行こうよ」と。
それは名案だと思い、その計画に乗らせてもらうことにした。
そうして当日。
億劫なキャリアガイダンスを終えて集合場所に着く。
このキャリアガイダンスもいつものやつとは違って、この日はJRの方が来ての講演だったので、いつもよりは真剣に聞くことが出来た気がする。
ひさしぶりに会う人もいたので、会うのが楽しみだななんて思っていた。
行く人+αが揃ったところで、向かうことに。
そのお店は新宿の歌舞伎町近くにあるため、ここからは少しあるくことになる。
お好み焼き、久しぶりだな。とか
人と夜ご飯一緒に食べるのも久しぶりだな。とか
色々なことを考えながら、お店へ向かっていった。
そのお店は鉄板焼きのお店で、もんじゃや焼きそばなんかも提供していた。
全員で5人だったので、横並びに2つのテーブルで行うことに。
自分は2人の方のテーブルに座った。
始めはもんじゃにしよう ということでもんじゃを選ぶことに。
あいにく、以前大阪へ行ったときも鉄板焼きのお店には行ったが、もんじゃを食べれてなかったので、たぶん初もんじゃな気がする。
あ、嘘だ。中学生の時の修学旅行で東京に来たときに食べたはずだ。
まぁ、いいか。
初もんじゃ(だと思っていた自分は)、友達が作り上げる土手を見ながら、単純にすごいなぁと思っていた。
みるみる内に材料は刻まれて、土手が出来て、最後に液を流し込む。
それだけで、あのもんじゃが出来ることにすこし驚いてもいた。
そりゃ、駄菓子屋さんでも出来るよなぁ。
なんて。
お好み焼きも食べて、隣のテーブルの友達が頼んでいた広島焼きもすこしもらって、存分に楽しんだ。
なんと、ラストオーダーでもんじゃを再び頼んだときは自分が作ったのだ。
想像以上に個人的には上手く作れた気がする。
本当に大満足出来たので、誘ってくれた友達に感謝しなくては。
粉もんってお腹膨れるけど、やっぱり美味しいよなぁ…
また行きたいな。
10/30 焼き肉を食べに行こう
去年、1年まではいたのだが、辞めてしまって。
今年から、よりプログラミングに特化したフリースクールに通い始めたらしい彼と会うことになった。
とはいえ、会うのは2週間ちょいぶりなのだけど。
逆に考えると、お好み焼きを一緒に食べに行って、もうそんなに時間が経ったのかとおののくばかりだ。
今回は4人。
前回一緒に行ったのが5人でそのうち一緒なのが僕を含めると3人。
久し振りって何なのだろうか。
当日。
実習が朝からあるので、自分ともう一人は学校にいることに。
別々の講義なので、相手がどこまでの大変さかは話からしか分からないが、それでもとても追われているようで、とても大変そうだった。
目的の焼き肉屋は渋谷にあるらしい。
色々な理由(10月30日はハロウィン前日。電車は至る所で遅延 などなど)で先に待っていた2人に追いついたのが7時15分ほど。
少しお店の人に提供を待ってもらったらしく、到着してから食事の提供がスタートした。
個人的な話なのだが、自分の記憶がある内に焼き肉に行ったことが無かった。
残念ながら、友達と焼き肉に行くということ自体なかったし、家族で外食!となってもいつもファミレスだったからだ。
初めての焼き肉。
結論から言おう。
とても楽しかったし、おいしかった。
牛タンの食感に舌鼓を打ったり、肉寿司のとろけるようなくちどけに興奮したり。
本当に美味しかった。
初めてホルモン系も食べた。
たぶん名前はシマチョウだったと思う。
でも、お酒はまだおあずけ。
本当なら誕生日当日に飲んでるつもりだったんだけど、瓶のヤツを親が買ってきていて、でも栓抜きが無いので王冠を取ることが出来ない。
なので、まだお酒は飲んでない状態なのだ。
まだ味を知らないので、特に飲みたいとも思わないのだが、お好み焼きのときも今回も、友達はお酒を飲んでいたので気になるところではある。
さて、最後にクッパを食べた我々は、お店を出て人波に紛れて渋谷を少し、徘徊していく。
地味に渋谷初上陸だったので、ハチ公前とか楽しみにしていたのだが、人がたむろし過ぎないようにという考えからなのか、バリケードが張られ、残念ながらハチ公は見られなかった。
でも109は見れたので、ペルソナ5の渋谷と頭の中で比較しながら、少しは楽しめたかもしれない。
ご飯の最中、話の流れから次に会うときをまた今度決めよう、となったのだが、ローテーション的には次は僕らしい。
地味にプレッシャーなのだが、どんなものにするのかを考えるのが少しだけ楽しみでもある。
さぁ。
次はどこに誘っていこうかな。
10/16 / Twenty
誕生日を迎えて、はや半月。
残念ながら、まだまだ20歳になった気がしないでいる。
正直、もっと責任感みたいな心持ちが自然と身に備わるとおもっていたし、先輩のお兄さんお姉さんに感じていたようなあの雰囲気を、自分も醸し出せると思っていた。
けれど、今の自分はどうだ。
特にそんな雰囲気も醸し出せないまま、今までとおんなじ毎日を過ごしている。
じゃあ、変わるためにはどうすればいいのだろうか。
そもそも、「変わる」って何なのだろうか。
この疑問を解決するには、まず理想の「大人」が何かを明記しなくてはならない。
記憶の中にある理想の大人。
それはたぶん、あの人だと思う。
自分の中で、お世話になった先輩 と感じる方は正直少ない。
今まで関わってきた諸先輩方には申し訳ないが。
小学校のときの部活の先輩なんて人っ子一人も覚えてない。
中学校の時は、自分の楽器の先輩が3年生だったので1年しかお世話にならなかった。
高校の時の先輩は逆に多くお世話になったと思っている。
とっても尊敬してるし、感謝もしてる。
でも、僕の中の理想の大人像の人たちは彼ら/彼女ら ではない。
理想像であるその人は、自分が小学校の1年生だったときに出会った人だ。
他の学校がどうだったのかは知らないが、自分が小学生の時は基本、集団登校・下校が徹底されていた。
集団下校は、授業の数が1年生と6年生では全く違うため、一緒に帰ることは少なかったのだが、登校の時には逆にとってもお世話になった。
小学校・中学校まではマンションに暮していたので、集団登校をするときもマンションの他の学生たちと行くことになる。
集団の中で先頭に立って歩く姿。
ただ、前に立って歩くだけじゃなく、話を振って毎日の学校の朝を明るく彩ってくれた。
ほんとうに大きな背中だったと思う。
小学校に対する不安な部分が大きかったであろう時期に、そういう人がいることの大切さが、こうやって書いているとひしひしと感じてくる。
あの大きな背中や暖かいこころが僕にもたらしてくれたものは、今見えているモノ以外にも絶対に多くあるだろう。
だからこそ、あの背中を。あの雰囲気を。
自分もああなりたいって思うのだろう。
僕が小学1年生の時に6年生なんだから、今は25歳ほどだろうか。もうれっきとした社会人じゃないか。
自分の理想像である彼は、今も自分の中で生き続けているが、本当の現実にいる彼もまた、毎日あくせくしながらおんなじ時間を生きている。
そうやって考えると、どこか頑張れる気がする。
目指す大人の理想像に近づけるかは分からないが、出来るだけ頑張らなくちゃ、いつかの時に顔向けできないな。
そしていつか出会ったときに、
自分の「大人」の姿を見せてあげたい。
理想像と、向き合いながら。
まとめ:Next Days
今月は色々なことをしたと思う。
そもそもこんな連日で、友達と夜ご飯を食べに行くことなんてなかったし、遊びに行くことだって頻度はさほど多くなかった。
それでも今月、こんなに多くなったのはたぶん、僕の身の回りを彩る、友達たちの存在のおかげだろう。
大学生活というより専門分野へ向かって、忙しくなっていく物事の中で、彼らと出会えたことが本当によかったと思えるほどだ。
正直、自分の味方だって言ってくれる人なんていないって思ってる。
そこまで手放しで友達を信じられるほど、僕の心は安くはない。
でも確実に僕たちの中には、僕たちらしい何らかの繋がりがあってだからこそ、過去じゃなく未来に進みたいと思えるんだと思う。
もし、この繋がりを絆と表すなら。
僕たちらしい絆があって、
だからこそ僕たちのテンポで僕たちらしい日常が過ごせるのだろう。
あと、絆って言い換えると、どこか気恥ずかしいし青いけど、
なんだかなんでもできそうな気がする。
実際はここは現実で、幻想ほど甘い話ではないけれど、でもこの「もしも、こうなったら」を幻想させる絆の感覚は少しでも現実を変える力を持っている。
そんな気がする。
仲間が友達がいれば、そして絆があれば。
未来はいくらだって変えられる。
明日はどんな日になるだろうか。
扉を開くカギは既に手の中にある。
過去に行くのか、未来に行くのか。
答えはこの話の中に出ているだろう。
そう思う。
そこまで気づけたら、あとは扉を開けるだけだ。
新しい明日を迎えるために。
新しい、20歳の先を迎えるために。