月刊コグマ2023総集編 Discography
2023年も、もう終わりに差し掛かっていますね…
色々な思い出がある気がするし、ない気もする。
あ、どうも。
この記事は、今年、2023年の「月刊コグマ」をまとめた
月刊コグマ総集編
になります!!
この度は、お手に取っていただきありがとうございます。
この総集編では、毎月上げていた月刊コグマの本編からピックアップしたものに加えて、3か月ごとに少しのまとめをしていく話(今回はTrack01~04。前回はTime①~③だった気がする。)があります。
更に更に!
今回もクリスマスからその後の話を書いていきたいと思っています。
あとがきだけになるかもしれないけど。
どうなるかは分からない。
これからまとめていくからね。
あぁ…そういえばまだこの記事に貼るためのサムネイルを作って無いなぁ…
あれを作るのってちょっと面倒というかなんというか。
とりあえず目の引くものを作りたいんですよね。
それでいて、今回の表題をしっかりととらえているもの。
今回の総集編のタイトルはDiscographyなので、CDジャケットみたいな雰囲気でやりたいな。
あ、ちなみに、このDiscographyはトム・ミッシュのアルバムGeographyを聴いていた時に思いつきました。
名曲ぞろいなのでぜひ聴いてほしい。
Lost in Paris大好き。
それでは。
前書きはこれまでにして。
まずは、僕の高校三年間の最後
三学期を過ごした月刊の#1、2、3を読んでもらいましょう。
どうぞ!!
月刊コグマ#1
そんなあの子は、透明少女
透明少女
今は1月。冬真っ只中なのだが、ここから段々と春に向けて夏に向けて暖かくなってくる。
何もかもが透き通って見えてくるだろう。
あの嘘っぽい笑顔の女の子は隠せているつもりなのだろうがこっちには見え見えだ。
そんなあの子は誰?
それは例えば、
透明少女。
正月になって少しした後、不意に昔のアルバムが見たくなり小学校のアルバムを開いて見ていると、そういえば転校生が多かったなと。
こっちに転校してきてそのまま中学校も一緒だった人もいれば、
小学校で卒業する前に再び引っ越しをしてしまう人もいた。
ちょうどあの頃は小学3年生の夏休み手前だったか後だったか。
自分のクラスにも1人、女の子が転校生としてやってきた。
自分は当時愛知県に住んでいたのだが、その子は県の大都市、名古屋から来ていたらしい。
今思えば、都会の雰囲気が漂っていた気がしなくもない。
よく漫画であるような展開として、転校生が来ると
「めっちゃ可愛い子だって!」だの
「めちゃくちゃイケメンらしいよ!」だの
噂が飛び交うシーンがあると思うのだが、自分の学校も例外ではなく、女の子ということと、とっても可愛いのだという噂が。
朝、先生が教室に入ってくると先生の後ろに女の子が。
少し清楚な雰囲気で身長は僕より少し高め(癖くせと癖へきで語ったことになぞるのなら、僕の身長フェチにドンピシャの子だった)。噂どおりの可愛い女の子だった。
その子との思い出で覚えているものの一つとして、理科の授業がある。小学3年生になると、今までに習っていた国語、算数などの教科に加えて理科や社会が入ってくる。
その子は、もともと住んでいたところで学んだ理科とは授業の進度が違うらしく、新しい理科ノート(という名前の理科専用のノートがあった)と共に先生にその説明をされているところを自分は見つけた。
それを見た自分は、いい気になってたくさん教えてやるぞと意気揚々とその子に近づいて行こうとしたのだが、聞こえる話をもっと聞いてみると、実は授業の進度が遅いのはうちの学校の方で、その子は自分たちよりも圧倒的に進んでいたらしく、その子の目の前まで来てしまった自分は、「すごーい」と言いながら踵を返した。
うちの小学校は(他の学校は知らないが)サッカー部は男子だけでなく、女子もサッカー部として活躍できる今の社会に寄り添ったような部活で、たしか卒業時点で3人いた気がする。
どの部活に所属するのか気になっていたのだが、その子はそのサッカー部に所属していて、いつも生き生きと部活に通っていたと思う。
たしか、4年生のときは別のクラスで関わることは全くなかったので、時間と共に「転校生」という希少性は薄れていったのだが、理科での大恥寸前の出来事のおかげで頭の片隅にはその子のことが残っていて、来年は同じクラスになれるかもしれないと考えていた。
しかし、気づくとその子は再び転校をしてしまっていた。
4年生の夏休みだった気がする。
透明少女の話を書くにあたって、自分にも記憶に残った女の子はいるのかと考えてみたときにピンと思い付いたのがあの子だった。
名前すらもう憶えていないあの子は、どこで何をしているのか分からないが、あの子のことを思い出してもう少し懐かしさに浸ろうと思う。
そんなあの子は、
そんなあの子は透明少女
月刊コグマ#2
feat.幼なじみ
feat.幼なじみ
自分に、この人だ!という幼なじみがいないことに最近気がついた。
というのも、保育園3年間、小学校6年間、中学校3年間、高校3年間その全てを終える今、ずっと関係が続いている人というのがいないような気がするのだ。
よく青春漫画の中で幼なじみというのはとても重要な役割を担っている。それはライバルであったり心置きなく話せる親友であったり恋仲であったり。そんな人たちだろう。
自分が愛知県にいたころ、中学が終わるまでの12年間は一応幼なじみはいたが正直な話そこまで大きな関り合いもなかったと思う。
そもそもの話幼なじみの定義が曖昧な気がする。
自分にとって幼なじみというのは保育園時代から続いている人間関係のことを指しているのだが、小学校からの関係を指しているものもあるのでそもそも関係として難しいと感じる。
なので今回は保育園時代の友人たちにスポットライトを当ててみようと思う。
自分の印象に強い、幼なじみに当たる友人は2人。
(幼なじみに当たる人自体はもっといるが)
1人はスポーツ万能で小学校の頃から野球チームに入っており、同じソフトボール部だった時は彼がいれば勝利は間違いなしというようなとても優れた選手だった。
彼は彼でとてもツンデレでぶっきらぼうではあるのだけど、人と関わりたいからこそ出てしまう行動だと感じることが多々あり、その様子を見ていて微笑ましかった。
小学校5年生だったか、急に彼から映画を観に行かないかと誘われたことがある。同じ部活ではあるもののいわゆる暗黙の格差があり、学校生活内ではあまりたくさん話すことが出来ていなかったのでとても嬉しかった。
中学校では住んでいる地域の関係で別々に離れてしまったのでその後、彼の動向を自分は知らない。
もう1人は女の子で小学校の頃から吹奏楽部に入っており、彼女は確かチューバを担当していたはずだ。
小学校は2クラスしかなく、その子とは親同士が仲良かったのでそのまま彼女とも多くの話をしていたことを覚えている。
また、彼女には弟がいて自分の弟が彼にお世話になったこともあるので少し恩があり頭が上がらない。
中学で自分は吹奏楽部に入り、チューバを担当するようになる。
彼女はユーフォニウムを担当することになるのだが、そこで初めて彼女がもともとはチューバを吹いていたのを知った。
そこからは彼女をとても慕うようになり、分からないことがあるとよく相談をして、意見を交換しあうなど、たくさん関わってきた。
しかし、高校生になり静岡で過ごすようになったので、引っ越し前に彼女の連絡先を聞くのを忘れていたため連絡を取ることが出来ず、そこから彼女の動向を知ることは出来ない。
このように中学までは続いていた関係も高校に入ってからは全て途切れてしまったので、自分の中の「幼なじみ」という言葉に相応しい人はいないように感じるのだ。
今、彼らに会って当時のように仲良く話せるのかと聞かれると想像は出来ないがぎこちなくなってしまうのではないかという気がする。
けれど、心の奥底ではまた会いたいと思っている自分もいるので、ふるさとに帰るつもりはさらさら無いが(えぇ!?)
再び会えたなら笑顔で。
これは幼なじみの彼女らに限らず、
もう会えないふるさとの友人たちもこれから別れる静岡の友人たちにも通じること。
そしてこれからも自分は思い出を出しに、
これを読んでいる君をフィーチャーしてこの月刊コグマを綴っていくとしよう。
月刊コグマ#3
TOMURAI
リフレイン
気持ちを置いていく、
という感覚を改めて思い出したと言えばいいのだろうか。
卒業式を終え、引っ越しまでは課題を潰していようとゆっくりしていると、段ボールの箱を渡された。
段ボールを広げたときの匂いや箱の大きさ。
それに部屋が包まれるときの感覚。
久しぶりだ
と思った。
この光景を見るのも、感じるのも。
これはちょうど3年前。
自分が中学3年生だった頃まで遡る。
青春真っ只中な中学時代。
今、自分の身の回りにいる仲間たちとはまた違うベクトルのハチャメチャな人たちに囲まれていた。
中学2年生の終盤辺りで親が別の仕事がしたいということで辞めてしまい、新しい仕事先が見つかったもののそれは今とは全く違う県。
そこで自分は高校生活は引っ越しから始まることが決まってしまった。(寮のある学校とかなら良かったんじゃないかと今、頭をよぎったが金銭的問題でそれは不可能だったのだろう)
それが分かってはいたものの、現実味を帯びていないその時の中学3年生の生活は受験や卒業式が近づくにつれて、焦りへと変わっていく。
ともだち
とは何なのだろうか。
辛いときに支え合う関係?
変なことやどうでもいいことで笑い合う関係?
離れていても連絡を取り合う関係?
たぶんどれも違うし、どこか違う。
けれど、中学生の自分はそうだと思い込んでいた。彼らが彼女らがいれば自分は大丈夫だと心の芯を支えていた。
きっと連絡をくれるから。
高校1年生になり、適当に体裁を保ちながら(保っているつもりでいながら)毎日を送る。
気持ちを過去に置いてきていた。
のだろう。ずっと過去の楽しかったことを考えながら待ち続ける生活だった。
その渦から抜け出すことになるのはいくつもの要因があったおかげなのだが、それはまた別の話で。
今。高校時代の友人とも別れるときが迫ってきた。
もう一度、あの頃の自分を繰り返してしまうのか。
そんな心配は一つとして無い。
それは、自分があの頃と比べてまたいくつか歳を重ねたからでもあるし、
ともだち
なんてそんなもんだ
と思うようになったからでもあると思う。
浅くて深い関係。全然話さなくても、久しぶりになったとしても友好的になれる関係みたいな。
心の繋がり みたいな。
僕たちをつなげているのは、そんな高尚なモノじゃないかもしれないが、そう考えると美談だとしても心地が良い。
そして、またいつか不安になったときは、
そんなもんだ
で片付けてしまえば良い。
だってもう一度、毎年のように過ごした
同じ春が来るのだから。
Track01
ということで、1,2,3月の話を読んでいただきました。
いかがでしたか?
まず、透明少女では
小学校の頃に出会った印象の深いのに、もう顔も名前も思い出せないそんな一人の女の子を題材に書き上げたお話でした。
そもそも、本当ならこの話は夏に書きたかった。
透明少女自体、夏の曲だし。
でも、透明少女をちゃんと聴いたのが10月頃で、それから夏まで書きたい欲を我慢できなかった。
だからここで書いたことを思いだしました。
でもまだしっかりと思い出に残ってるだけでもこの子は良いのかもしれないなぁ。
そう思う理由が次の話に隠されています。
2月は feat.幼なじみ でした。
この話は印象に残っている幼なじみを2人ピックアップして、僕の視点から語ったものだったのですが、
この話を書いた幾日後にインスタグラムをしっかりと初めて、僕は思いだすのです。
幼なじみ、この2人だけじゃなかったわ!
と。
ちょっと他の人に失礼ですよね、それw
今僕が思いだしている中だと小学校まで関係が続いた人は2人。
中学校まで続いた人も2人。
つまり、計4人はいたわけだ。
でも、正直まだいる気がする。
ぜんぜん思いだせないけど、まだいた気がすると頭の片隅が語ってくる。
う~ん。
また久し振りにアルバムでもめくってみるかな。
リフレインでは久しぶりにふさぎ込んだ高校1年生~2年生中間までの話を書いています。
ずっと語っていた、自分のイタい部分。
そこが良い感じに前面に出ているんじゃないでしょうか?
他人に期待はしたくない。
でも、無意識にでもしてしまう。
もしかしたら、を望んでしまう。
それを辞めることって難しくて、たぶんこれからも少しずつ悩んでいくと思う。ともだちって関係は本当にいびつで、強いのに弱い。硬いのに脆いって感じがします。
いつまでも続く関係。
それってとっても素敵だと思う。
少し、羨ましいな。
それでは、次は、
4、5、6月ですね。
どうぞ!!
月刊コグマ#4
4/1 - ツチノコ大捜査線
SUIT
春。
いつもは毎日の通学路を歩きながら、駅の階段を上る人を眺める。
そして何故か上から目線で、新生活頑張れよ、と心の中で唱えている。
しかし、今立っているのは今までとは違う道。
そして服装も普段のようなラフなものではなく、まだおろしたてのものだ。
辺りを見回してみるが、同じような服を着ている人が見当たらないどころか歩いている人自体見当たらない。
近くには高校や大学が多いというのに、まだこんなにもいないということは、今から入学式の自分はとっても早い方なのだと身に染みて感じる。
この服を着るのは、昨日以来だ。
昨日はこの服を着た自分がどう見えるのか気になってたくさんの写真を撮っていた。
最近からしっかりとインスタグラムと向き合うことにしたので、自分の思うオシャレをお届けするために。
少しキリッとしてみたり、穏やかな雰囲気を醸し出してみたり。胸のポケットにコグマを入れて可愛がってみたりもした。
それを見返して、自分でバカなことしてるなぁと嘲笑のような笑いが思わず顔に出てしまう。
そんなことを思い出しながら、もっといい感じに撮れたよなと反省し、足のサイズより大きな靴を鳴らして駅の階段を上る。
自分は今、初めてスーツを着ている。
そんな気分だ。
年度の始めに着る服は不思議と新鮮な気持ちになると思う。
思えば、小学校の卒業式で中学校の制服を着たときよりも、中学校の入学式の方が制服が硬かった。
小学校までは私服だったのが中学校から制服になり、違和感を感じながら、見たことのある道を通る。
見たことのある道のはずなのに、初めて見た感覚で胸の奥がムズムズする。
嬉しくて、わくわくして、少し怖い。
小学校までは自分が大きく見えていたのに、いざ中学に入るとなると改めて、自分は小さいんだなぁと思い知る。
あの頃の自分は、小学校との違いにおびえながら、新たな出会いに期待をして、あの制服の袖を通したのだろう。
では高校入学のときはどうだったのだろうか。
中学校を卒業して、心身ともに成長をして、引っ越しの先にある出会いにおびえ、心の内に閉じこもって。
あまり良い始まりではなかった気がする。
しかし、高校の制服にもその3年間で大切な思い出が詰まっていった。失敗も成功もたくさんの感じた気持ちも触れた心も。
その始まりがあったおかげで、自分と改めて向き合うことができ、やりたいことややるべきことが明確になってきた気がする。
旅行にまで誘ってくれる仲間、いや、友達がいてくれるようにまでなったのだから。
気づくと電車が目の前に来ていた。
ここから遠くまで向かい、都心のほうへ近づいていく。
今から大学の入学式だ。目の前の足元のベビーカーには、赤ちゃんが笑顔で両親を眺めている。
その光景が自分も笑顔にさせる。
大学生活、とにかく楽しもう。
楽しいと思うこと。「面白い」を探すこと。
それが自分の中の幸せの近道だと
たくさんの春を、あの服たちと共に越えて迎えて学んだのだから。
電車が開いて人が流れていく。
自分もその流れについていく。
広く眺めてみるとスーツ姿の同年代らしき人がたくさん見えた。
この人たちは同じ大学の学生だろうか。
そこでふと気づいた。
ここは降りるべき駅じゃなかったと…
月刊コグマ#5
落花流水》進行中・》独白浸透中
自己嫌悪という呪い
ふとしたときに、急に心が真っ黒になっていくような感じがして、どうしようもなく自分を責めてしまうことがある。
ずっと、だ。
小学生からこの真っ黒になっていく感覚に陥ることが何度もあった。
もちろん、自分がポカをしてしまったときはもちろんなのだが(”ポカ”も最近では死語かもしれない)、それを”してしまうかもしれない”と考えるだけでも、囚われてしまう。
期待を寄せられているなら、なおさらだ。
気負う度に周りの目線が気になってしまう。上手くやれないかもと責めてしまう。
すると周りが見えなくなり、自分の中の黒と対面することになる。
これをひとえに「自己嫌悪」と括るのはいかがなものかと思うが、元をたどると結局は自分を責めているので自己嫌悪と言ってもいいだろう。
それに、これは昔からずっと抜け出すことが出来ていないのだから、これは呪いだと思う。
自己嫌悪の呪いだ。
じゃあ、ずっと君はそうやって自分を責めているのか!
と考える人もいるだろうが、それは違う。
ずっと前から言っているが、僕は僕が好きだ。
まだ18のガキが言うのもなんだが、今までに生きてきた生活の全体を自分は後悔していない。
(もちろんその生活の1部1部を見るといくつもの後悔が転がってはいるが)
ただ、自分を好きだと言っているのにはもっと大きな理由がある。
過去に何度も”友だち”という関係に固執して失敗した、というような話をしたのだが、その失敗以来、より他人の気持ちを考えるのが分からなくなってしまった。
人の心は複雑で、幸せだけど満たされてないとか、行動と気持ちは何も一緒なわけじゃないとか。そんなことばっかりだ。
そもそも、他人の気持ちなんてわかるわけもないのに相手の気持ちを考えろなんておこがましい気もする。
今は仲良くしてくれている人たちも、腹の内では自分を嫌っているのかもしれない。
そんな考えがずっと頭の中を巡った結果、
誰もが自分を嫌ったとしても、自分だけは自分のことをずっと好きでいてくれたら、全員が自分を嫌うという状況は来ないんじゃないか。
という結論が出た。
自分を好きだ、と言っていないと一人は独りになっていつか自分が壊れてしまう気がして、そのように考えるようになった。
今は、そんな負のスパイラルから脱した、というか結論人間関係なんてそんなもんだと、考えることを止めてしまったので、
自分の中には、自分を好きだという気持ちしか残っていないことになる。
自分に自信が無いことは、自己嫌悪というのだろうか。自分を信じてあげられないことは、そうなのだろうか。
この自己嫌悪を巡る話は、人の心を探るのと同じように、いつまでも解決することの無いもののように思える。
羨ましいと思う気持ちも回り回って、出来ない自分に対する自己嫌悪のようにも思えるし、その他にも、自分を責めてしまう場面なんて、生きていていくつもあるだろう。
「清濁併せ呑む」ように、自分の良いところも嫌なところもどちらも愛せるようになりたい。
けれど、嫌いなところを見つめてそこを直せるようにもなりたい。
願望があるからこそ、
この呪いは続いていく。
ならば自分は、この呪いを受け止めながら超えて行く。
そして、願望を少しづつ叶えていけるように、自己嫌悪するその瞬間をある意味"大切に"していきたい。
月刊コグマ#6
ピロートーク
とある1日
その日は、映画を見に行こうと決めていた。
以前、漫画で見た話が映画化すると聞いて楽しみにしていた。
それは元々アニメで作られたものがコミカライズされたものだった。
朝の4:30に起きて窓の外を眺めてみるが、さすがに外は暗かった。
しかし、窓を開けてみると、外からはお風呂の湧いている匂いがする。
この時間に入ってるってことは、朝風呂が好きな人なのか。
それとも仕事が夜遅くまで伸びてしまったのか。
いずれにせよ、お疲れ様です。
そう、思った。
映画の始まる時間が朝の8:30だったので、そのための早起きだ。
本当なら6:00くらいまでは寝ていたかったのだが。
ちょうど前日、夜の19:00頃からその漫画と世界観を同じにした全く違うストーリーを繰り広げる青春怪獣物語を見ていたので、気分は高揚していた。
今回見に行く映画は、前に見た漫画のアニメ版のキャラと前夜に見たキャラ両方ともが登場する。
つまりは、”履修”するために夜から5,6時間ほどかけてそのアニメを見たのだ。
始発の電車に乗って大学近くの映画館まで行く。
電車が進むにつれて、朝日が車内に差し込む。
それと比例するように乗ってくる人の人数も増えていた。
あんなに山手線が空いていたのはたぶん今後みないだろう。
涼しい風が吹いている。いい感じの日差しだ。
映画館のある方向の出口から出ると、女性の声が響いていた。
すぐそばの交番に向かって何かを訴えているようだった。
確か「私の電話返してよ!!連絡先返してよ!!」と叫んでいたんだっけか。
その女性は制服を着ていた。
たぶん、女子高生だと思う。
その光景は混沌という言葉が似合っていた。
映画館についてチケットを買う。
ポップコーンを買おうとレジに並ぶ。
思った以上に値段が高かったので、ジンジャーエールのMサイズだけを買った。
…パンフレットも買えばよかった。
席に座って開始を待つ。
部屋全体が暗くなっていく。
色々な予告が終わり本格的に明かりが消えていく。
流れていくスクリーン。
邂逅する主人公たち。
アツい展開の連続で、気付くとこぶしを強く握っていた。
思わず自分も、「インスタンス・ドミネーション」と叫んでしまいそうになるくらい、蓬くんがカッコよかったことを覚えている。
裕太くん自身が元来からあの精神を持ち合わせていたことが分かったし、文化祭のラストシーンでは本当に感動もした。
蟹はふつうだったが、とにかく面白い映画だった。
映画を見終わった帰り際、そういえばあの女子高生はどうなったのか少し気になった。
あの後返してもらったのだろうか。
それとも、ここら辺はあまり良いうわさを聞かない地域なので、あの子はそういうよくない連中とつるんでいたのかもしれない。
なんて、そんな想像をしながら入口に向かったが案の定いることは無かった。
そもそも、あの光景が夢だったんじゃないかと思うほどに、人はたくさんいたし、声もたくさんあった。
しかしあの時あった音は、あの高い叫び声と、あの立体的な看板の話し声だけだったのだ。
電車に乗って帰るとき、運よく座れたのでそのまま揺られていると、気が付いたら一人だった。
周りの音も聞こえないし、外の景色も見えない。
ただ白いもやの中を電車は走っている。
心の中では焦りながら、出来るだけ冷静になって辺りを見回してみるが、案の定いることはなかった。
もしかしたら奥にはいるかもしれない。
とにかく、人が存在していることを知りたい。
運転手がいなかったらどうやってこの電車を動かしているんだ。
そう思い立ち上がろうとした瞬間、目が覚めた。
ちょうど1駅前だった、とかそういうわけでもなく。
あと3駅ほど前だった。
家に帰って、荷物を置いて手を洗う。
そうして僕は今日1日で思ったことをつぶやくのだった。
『「GRIDMAN UNIVERSE」面白かったな~』と。
Track02
色々と思いだしてくる、初々しい大学生活前期の私。
SUITには未来への期待も個人的には含んでいた気がする。
本当に大学生活も始まったばっかりで。
辺りが何もかも新鮮で。
また新しい自分になれるかも!!なんて思っていた。
制服ってやっぱり、自分の気を引き締めてくれるもので、あれがあると自分にスイッチを入れることが出来る。
家だとスイッチずっとオフにしちゃうからなぁ。
自己嫌悪という呪いでも、ともだちの話してたね。
今から少し、イタい話をする。
個人的に、自分は被虐的思考が少しあると思う。
でも、本当に痛いのは嫌だから、精神的な痛みをよく想像する。
少し、というのはそこまでハードではないという意味で、
僕の考える、個人の精神的な痛みは、周りから嫌われていること。
具体的に言えば、
裏で僕の悪口を、僕と関わってきた全員が言ってるんじゃないか というような考え方をよくしてしまう。
本当の被虐的思考とは違うと思う。
よくあるような被害者妄想だな。
その もしかしたら を考えて怖くなって、
だからこそ を思い浮かべて発起する。
そんなクズみたいな考えを脳内で繰り返して毎日を過ごしている。
本当に僕に親しくしてくれている人たちに向かって実に失礼なことをしてるように感じるな。
なんてやつだ。
いってぇなぁ!!
で、とある1日に行くわけだ。
グリッドマンユニバース
を見に行った時にあったことをそのまま話にしました。
この連絡先返してよ!!!ちゃんは本当の話ですよ。
見た夢の話はたぶん嘘。
僕が覚えてないから。
まぁ、その日見た夢なんて12月ともなれば覚えてないのも当たり前か。
じゃあ、嘘じゃないかもしれないなぁ。
ま、いっか。
グリユニは面白かった。
アツい展開の連続。
垣間見えるカップルたちのドキドキシーン。
あんなに恋愛の要素を押し出したグリッドマンは初めてだ。
ダイナゼノンの良いところを引き継ぎやがって。
めっちゃよかったぞ、おい。
と、いうことで
次の7、8、9月を見ていこう。
ん?何まとめた雰囲気出してんだ?
何にもまとまってないじゃないか?
知らないよそんなの。
見るんじゃない、感じるんだ!!
ではどうぞ。
月刊コグマ#7
まだ寂寞である
空白の1年があるかもしれない
そもそもの事の発端は同い年のバイトの先輩がもう一人の先輩と話していた内容からこの疑惑は始まった。
自分が外から中に戻ってきたときに、その話は行われていた。
始めはディズニーはランドかシーかどっちが好きか、というような話だったのが、気付いたら、彼女がどうだこうだと言うような話になっていく。
年齢だったり、暮らしていたところだったりが少し違っていても、やっぱり話す内容は変わらないんだなぁと思って、外の様子を見ていると、気付けば話の路線が別の方向へ進んでいた。
もう一度、自分の中でも確認するのだが、
バイトの初日、同い年の人に「同い年」と確認されたからこそ、このような疑問を持っている。
何の話だったのか。
ざっくりと言うと、この話の方向というのが
「お酒」の話だったのだ。
『あれ、○○さんってお酒飲めるんでしたっけ?』
『いや、まだですね。
あと△ヶ月待たないと。』
今でも、この光景は覚えている。
本当にびっくりして、文字通り、目が点になったといっても過言じゃないほどに驚いたのだ。
あれ?「同い年」じゃなかったっけ?
専門の1年生って聞いた気がするけど…???
と、とても疑問に思ってしまったのだ。
自分は今、18歳で今年19になるはずだ、と心の中で再確認をした。
もしかすると、気付かないうちに1年間眠っていたとかなんとかで自分は19歳になっているのかもしれない、と考えてもみた。
けれど、やっぱりどう考えても自分は18歳で、去年高校を卒業したんだよな、という結果に落ち着く。
ではこの疑問は、違和感はなんなのだろう。 妙な気持ち悪さを胸に抱えながら、その日はバイトを終えたのだった。
それから日がたって、大学の帰り道、同級生(大学の同期をそう呼ぶのかは分からないが)と一緒に駅まで歩いていた。
自分も含め3人で歩いていたのだが、
やはり、自分らしく、自分よろしく、
2対1の構図になっていて、前を2人が歩きながら話して、自分は一人でそれを眺めている。
駅改札近くにある、とある居酒屋の前を通ったときに、忘れていたあの話になった。
『そういえば、○○君はもうお酒飲めるんだっけ?』
『いや、まだかな。あと△ヶ月で誕生日だから』
『そしたらまた今度、飲みに行こうよ』
……正直、聞き間違いかと思った。
自分の耳が何かの拍子におかしくなって、「観に行こうよ」が「飲みに行こうよ」と聞こえてしまったとかじゃないのか。
そう、考えた。
もちろん、やっぱり自分は18歳じゃなくって19歳じゃないのか、という疑惑も生まれた。
また数日後、講義が終わり、昼休憩の時のことである。
先ほど挙げた友人の一人と、また別の人と一緒にご飯を食べながら話していた。
『○○ってお酒飲めるんだっけ?』
『いや、あと△ヶ月じゃないかな?』
『おぉ!じゃあまた今度、ご飯でも行こうよ!』
…これはいわゆるデジャビュというやつなのではないだろうか。
この7月に入ってから似たような話を毎週聞いているというこの事実。
この出来事が続くにつれて、自分のことが信じられなくなっていく。
本当に自分は18歳なのか。
長く眠っていた期間があったんじゃないのか。
自分には空白の一年があるのではないか。
そんな疑惑の中、今僕はここにいる、というわけだ。
誰か証明してほしい。
僕が18歳だと。僕は去年高校を卒業したのだということを。
もちろん、大学の「同期」だからといって「同い年」だということではないのは重々承知なのだが、
こんな短期間に同じようなことが起こった事実にも驚きは隠せない。
この7月は自分にとって疑惑の月となってしまった。
不思議な月となってしまった。
これも最近のうだるような熱気のせいなのかもしれない。
バイトにしろ同期にしろこれからも関係は続いていくので、
続いていかせたいので、この疑惑はいつか解明していくのだろう。
その時は、「空白の1年は無かったらしい」という話でも書いてみようか。
見つけた答えによっては「コールドスリープ」というタイトルになっているのかもしれないが。
月刊コグマ#8
はっちゃけて、夏 / 海をめぐるたびへ
海をめぐるたびへ
ふと思ったのだが、去年、今年と海へ行ったらしい。
自分は海が好きだ。
海から流れてくるあの涼しい風が好きだ。
太陽の光が海に反射して煌めいている様子が好きだ。
砂浜で海が波打つ音が好きだ。
海を眺めていると、なんでも受け止めてくれる気がする。
自分が常に奥底で抱えている暗い気持ちも、なくなるとまではいかないが、一瞬、その気持ちを波と一緒に流してくれているような気さえする。
また来年、海に行きたいとすでに考えている。
今年は山下公園や象の鼻パークから海を眺めただけだったが、また来年は湘南なんかに行って、砂浜に靴を汚そうか。
手を海で濡らすのも悪くない。
そしていつか。
いつか、またどこかで、海を満喫しよう。
海をめぐるたびへ
月刊コグマ#9
S
Something to say
これを読んでいる皆様へ。
とりあえずこれを言わせてほしい。
毎日、おつかれさまです。
色んな環境ごとに立場は変わるだろうけど、身体的にも精神的にもたぶんすり減っているだろうから。
おつかれさま。
あなたの心の内は読めないから、想像にはなるが、
職場から家に帰った後、シャワーを浴びながら空むなしい気分になっているのかもしれない。
一人の部屋で、毎日何やってるんだろうなと独り言ちているのかもしれない。
僕はそんなあなたを知っている
わけではないが、気持ちは十分に分かる。
もし自分が、「あなたの気持ち、わかるよ」と言われても、
「僕と違うおまえに何が分かるんだよ、エスパーか?」と思ってしまうが、あなたの気持ちは十分知っている。
浴槽に浸かって、体育座りしながらため息を吐くその様子も。
自分の良いところが浮かばない~なんて嘆いている様子も。
なぜなら、それは僕もおんなじだから。
おんなじように悩んでいるから。
他の人は知らないが、少なくとも僕はそう。
ずっと悩んでいる。
友達と話しながら、歩きながら悩んでいる。
お風呂に入っているときも
ウンコをしているときも
悩んでいる。
本当に今のままでいいのか、と。
あなたはどうですか?
僕は「人並み外れた」という言葉と一番かけ離れた人間だという自負があるからこそこう言う。
どこにでもいる見飽きたような男だから言う。
あなたも同じだろ、と。
だからこそ、一緒に分かち合おう!!
この胸に巣食う、どことない寂しさを。
そんでもって、そんな悩みを抱えながら生活しているあなたはすごいと思う。
向き合っているあなたはカッコいいと思う。
僕はそんなあなたが大好きだ。
ついでに言うなら、この言葉とともに僕のことを。
この月刊を覚えてもらえると嬉しい。
ここでこじんまりと、おんなじ悩みを抱えた男が悩みを無化するため色々な話をしていたな、と。
ウンコをひねり出しながら、悩んでいたやつがいたなと笑ってほしい。
本音を言えば、この9月号だけじゃなくって、今までの月刊のお話も読んでほしいし、これからの僕を見守っていてほしい。
そして、僕のことを好きになってほしい。
いつか、モテモテになることを夢見てるからさ。
そんな僕でゲッカンです。
以後、お見知りおきを。
Track03
空白の1年があるかもしれない の後から分かったことを一つ。
バイトの子は同級生。
同い年だ。
つまり、こっちは聞き間違い。
じゃあ、大学の子は?
こっちは正解。
しっかり僕の年上だった。
2人ともね。
21かな。
それが分かってから思ったんだけど、大学の面白いところって、歳の違う人達と同期として一緒に勉強できるところなんじゃないかなと思う。
もちろんそれだけじゃないけど。
それこそ、上の年齢だからこそ見える景色があるはずだし、逆に見えなくなったものもあるはず。
それをいつも以上に共有してる感じがして楽しい。
もちろん、同い年の子たちと話してても楽しいよ。
そんなに悲しまないでよ。
海をめぐるたびへ はこれ以上でも以下でもない。
ここら辺さぼりすぎてたよなぁ、とは思う。
月刊コグマをね。
最近もそうだけど、これが書きたい!!とかがなくなって来てて
何を書こうか から頭を悩ませてるから苦痛になって来てるんだろうなぁ。
でも、大学が終わるまでは やめる っていう選択肢は取らないつもり。
なんか、やりきりたいんだ。
そしてSomething to say。
この話の前にSuper Wondeful!という話を書いているんだけど、この話では、褒められたいよ!という気持ちを書いた話になっていて、
それと連なる形で僕が褒める番に回ったつもりで書いたのがこのSomething to say。
元ネタはバナナマンのライブ「S」から
同名コント、Something to say
タイトルと最後の「以後、お見知りおきを」だけは拝借しました。
本当におもしろいコントだったから、もうぜひ見てほしいな。
次が最後のグループ。
10、11、12月+番外編の4本。
番外編かぁ…
何持ってこようかな。
月刊コグマ#番外編
Potluck
しかたなく踊る
最近、人に感謝されることがふえた気がする。
それは、僕が根拠のない適当な優しさを振りまいているせいでもあるし、そのおかげで感謝をされているからだろう。
根拠のない、とはいったが、少しだけ期待しているものはある。
あのはなさかじいさんのように、良いことをすればそのぶんだけ帰ってくるんじゃないか、というモノだ。
ちなみに、この説が正しかったことはあんまりない。
打率が少ない、といえばいいのか。
いつか返ってきてほしいと思いながら、手伝ってると知ったら、彼らはどう思うのだろうか。
やっぱり、無償の愛なんて存在しないし、誰しも見返りを求めている気がする。
その願った見返りと実際に返ってきたものの差が大きいと喧嘩が生じたり別れてしまったりというものがあるんじゃないのか。
僕のように、人を手助けするときに、
「いつかこれが返ってくるんだよな~(ワクワク)」
と考えながらしてみてほしい。
すると、先が長すぎて、半ば消極的な気持ちでやることになるから。
消極的とは言っても、その願いに対して消極的なだけで、手伝いに関してはいたって真剣。
つまり、この方法は「≒ 無償の愛」に繋がる方法の一つなのだ!!
なんていうのは嘘で、結局自分はその分だけストレスも増えるし悩みも増える。
本当にひどいとき(主にバイト)は、周りの従業員もお客さんも含めてみんなを心の中で呪っているときだってある。
でも、「誰もやらないなら、僕がやったっていいじゃないか」って気持ちが働いて、手を貸してしまうことが多い。
こんなくそみたいな世界で仕方なく生きてる。
しょうがなく、踊っている。
いつか巡り巡って返ってくることを信じて。
月刊コグマ#10
TOKI ha KANE nari
気取るな
始めに言っておこう。
これはただの僻みのお話である。
大学生活の後期が始まって1か月。
前期よりも雰囲気の変わった人が多くいた。
ある人は金髪になっていたり。
またある人は、洋服が派手になっていたり。
…肌の露出部分が多くなっていたり。
どことなく「イキっている」感じがにじみ出ている気がするのだ。
他人の髪色や服装なんて他人の自由だし、それをここで僕個人がウジウジ言っても仕方のないことなのだが、
どうにも気になる!!
今まで黒髪だった人が久しぶりにあったらパツキンなのは、
びっくりするぞ。
夏休み明けでこんなにも驚いているのに、もし小学校や中学校の友達が染めていたら、自分はどこまでの衝撃を受けるのだろうか。
最近のことである。
大学の講義が終わり、来週の小テストのために、パソコンをいじっていると自分の反対側から複数の声が聞こえてきた。
男子2人、女子2人の計4人。
そいつらの方から
「おめでとー!!」
という声が聞こえてきたのだ。
何がおめでとうだ。
こっちは英語で頭がパンクしそうなんだぞ。
そう思っていると、更に追い打ちのようにあの歌が聞こえてきた。
「ハッピーバースデートゥーユー」
もちろんおめでたいことなのはわかる。
わかるが、どうにも気にくわない。
更には、仲間内で用意したであろうプレゼントを本日主役の女の子に渡しているじゃないか。
何大学生活を満喫しようとしてるんだよ。
何良い色で彩ろうとしてるんだよ。
プレゼントをもらったんだから、もっと喜べよ。
何が棒読みの「ありがとー」だよ。
めっちゃ喜ぶのもそりゃ違うと思うし、
貰って当たり前~みたいな雰囲気を出すのも違うと思うから、そういう「すました」反応をとるのもわかるけど!!
その時、自分はそいつらの目の前まで行って
「何、気取ってんだよ!!」
と言ってやりたかったが、さすがに非常識なのでやらなかった。
ちなみに、そいつらはもちろん髪を染めてたし、肌色が多かったりした。
先ほども言ったがべつに、染めるのは悪いことじゃないし、自分のしたいファッションはするべきだ。
だから、この話に関しては完全に自分の自己中心的な考えだろう。
褒められた考えでもない。
それはわかっているのだが、どうしても
「気取ってんじゃねぇ!!」
と言ってやりたくなってしまう。
本当に器が小さくなってしまった。
もしかしたら、気取っているのは
僕の方じゃないのか。
夢の中で「カッコいい」と言われただけで、
現実でもカッコいいと言われることを期待してしまう自分だ。
大学生という肩書きのせいで
気取っているオーラを出してしまっていたのかもしれない。
ここは自戒の気持ちを込めて一つ言った方がいいかもしれない。
オイ、大学生なりたて気分で浮かれてるやつ!
オイ、勉強が出来るからって周りを見下しているやつ!
あと、露出の多いやつと髪染めてるやつ!
気取ってんじゃねぇ!!
月刊コグマ#11
ライフサイクル
愛って結局何だろう
int heart;で話した通り、今月のテーマは「愛」である。
愛って何なんだろうって改めて考えてみると、意外に奥深くて底が見えない。
底が知れない。
愛が育まれる場所はどこだろうか。
やっぱりそこは生活の中なのだろうか。。
そう思って、今回は生活の中にあるような妄想シーンを描いた話を作った。多かったでしょ?
朝チュンに至ってはだんだんと性癖発表会になってたのが個人的に辛かったw
愛情の抱く幅っていうのか、どこまでの広さまで愛情は抱けるのかというのか表現が難しいがそんな疑問が僕の中にはある。
出来るなら、全員に平等の愛情を送りたいと思っている。
でも、実際はそんなことできやしないし、愛情の格差が生まれるのも当たり前だ。
だからこそ、結果的に人間は一個人に愛を注ぐことに注力するわけだけど。
昔も昔、重婚が認められていた時代はみんなに注げていたのかしら。
難しいね、気持ちってやつは。
星野源の曲にFamily Songという曲がある。
この曲にもある通り、
という歌詞には、
血がつながっていなくても、相手が人間でいなくても
いつまでもそばにいたいという思いや元気であってほしいという願いがあればそれはもう「家族」と言えるんじゃないのか
という思いがこもっているとかいないとか。
これも一つの愛のカタチだよなぁ。
思えば夫婦って血がつながっている関係じゃないし。
ペットなんて形だって違うのに自分の大切な家族なんだって胸を張っていうことが出来る。
そうさせるのは愛ゆえに、なんだよな。
愛の定義の広さや可能性を垣間見た気がする。
月刊コグマ#12
ワンドのエース
マフラー
もうすぐクリスマス。
今日はちょうど一週間前である。
今の大学生活、プレゼントが渡し合うほど仲の良い関係の人はいないので、もらえることもないだろう。
まぁ、欲しくないといったら嘘だ。
女の子にもらったプレゼント程嬉しいものは無いだろう。
今回はそんなプレゼントにまつわるお話をしようと思う。
そもそも、渡すプレゼントの種類によっては、意味が込められているものがあるとかなんとか。
そんなことを知ったのは、確か中学校の頃だった。
やっぱり僕たちはませていて、
「月がきれいですね」って言ったら「愛してます」って意味なんだぜ~なんて話にキャッキャッしてたお年頃だ。
そんな時期に、渡されるものに意味があるなんて聞いたら、少し意識してしまうのも無理はないだろう。
クリスマスの近づいてきたある日、友人と話していると、
そいつは女の子に「放課後に○○に来てもらってもいいかな?」と
何とも典型的な呼び出しをされていた。
その時点でも羨ましいのだが、その女の子と彼は近所に住んでいるらしいので、まぁ、そんな関係でも無理は無い。
明日、どんな話だったのか良ければ教えてくれよと約束し、その日は自分も部活へと向かった。
翌日。
そいつが学校に来たので、席に向かうと昨日まではつけていなかったマフラーをしていた。
正直、もらったんだなということは分かっていたが、正面切って言うのは癪だったので、とりあえず純粋を装って聞いてみることにする。
「あれ?そのマフラーどうしたの?去年も付けてたっけ?」
するとアイツは少しのろけたような声で、
「昨日、もらった。○○(女の子)に。」
と、言ってきた。
うーん、どういたぶってくれようか。
とにかく羨ましい。クリスマス近くにそうやってプレゼントもらえるのは羨ましいぞ。
それに、そういえばマフラーって何か意味があったよな?
その、恋愛的ななにか理由が。
アイツは他に何も言わなかったが、もしかしたら付き合ったんじゃないか?
家に帰ってから、マフラーの意味を調べてみると
なんと「あなたに首ったけ」だとか。
大好きじゃないか。
そんなつもりは無いにせよ、告白の意味も合わせてのプレゼントだろうということは明確だ。
結局、そのまた翌日聞いてみると、
やはり付き合い始めていたらしい。
まぁそうなるだろうという関係性だったし、何もおかしなことは無い。
無いが、羨ましいぞ。
そんなことを聞いてから、自分もプレゼントにマフラーやら手袋やらを貰うことに憧れてしまった。
この寒い冬を過ごすのに、
女の子から貰ったものを身に付けたらもう、快適も快適なんだろうなぁ!
それも、気持ちのこもったさぁ!
それまでは、僕はマフラーをすることは無いだろう。
手袋はするけど。寒いし。
マフラーって、首にチクチクするじゃん?
それがあんまり好きじゃないんだよなぁ…
だから、貰ったときしか着けないと思う。
でもそうなると首が寒いんだよなぁ…
誰かくれないかなー??
今年も心の中で少し、
そう願って冬を終える気がする。
今、こうやって書いているときだって、少し願ってたりするんだから。
いつか貰えたらいいな、と。
Track04
ここら辺はもう、印象にまだ残っているものも多い。
今回、番外編から持ってきたのは
しかたなく踊る
という話。
他にも番外編の中にはピックアップしたいお話が入ってたんだけど、あの回は「宝石三部作」と銘打って、
・Emerald Ace
・Topaz Knack
・Diamond Mood
という僕にとって特別なお話を書いていた。
あれらは、一つ一つを取り出すんじゃなくって、あの3つでまとめて読んでほしいから今回はピックアップしなかった。
まぁ、あの三作のなかでお気に入りを取ってきたら、他の人はどうなの??ってコトにもなってしまうし。
気取るな では、僕の中にある偏見を思いっきり詰め込んでみました。
この話をつい最近友人に話したら、「自我みたいなものが見え始めてきたね」とか「偏見はよくないよ」とか言われてしまいました。
偏見に関してはごもっともだと思う。
先入観みたいなものも入っていると思うし、僕が陰キャだからそういう相手に怯えているだろうなとも感じる。
自我みたいな~っていうことに関しては、ちょっと納得。
学校生活の中で、そういう「周りとはずれた」ような内容の話を僕はあんまりしてきてない。
ずっと自分の中で思って感じて、閉じ込めてきたからね。
まぁここ(月刊コグマ)では吐き出してるけど。
この感情を話しても、受け入れてくれるだろう
って思う相手に出会えたことはとっても幸せな事だと思う。
ルサンチマンに苛まれながらの生活だからたぶんまだまだ言葉にしてない自分勝手な気持ちはたくさん自分の中に埋まってる気がするなぁ。
愛って結局なんだろう? では僕がたまに考える、愛についてここでも語ってみました。
人のことを好きになる
それはどんな人間にもあること。だと思う。
その 好き という気持ちはどこまで届くのか、どれだけ届くのか。
自分の中にある愛情を理解することは、友人を理解することと同義にも感じるし、自分の心の理解にもなる。
そして、それが正直楽しくもある。
たぶん、また何か月かした後にこの 愛 にまつわる話はすると思う。
自分はとってもラブシックな人間だからな。
愛に囚われた人生。
いつか、僕に向いた矢が現れるといいなって
夢見がちに考えているんだから。
そして、それを裏付けるかの如くに書かれているお話が次に登場するわけだ。
そんな マフラー は実際の話じゃない。
僕が憧れているのは本当だけど。
仲のいい女の子からマフラーをもらった友人 が存在しないだけ。
あいにく、僕の周りの友人はそういう恋愛的な話を持ってこない損なヤツばかりだからぁ。
かわいそうに。
でも、先週はつけてなかったマフラーを今週になってつけてきた幸せ者は知ってる。
登校中によく一緒になっていた人がそうだった。
同学年ではあったのに、全く話したことなかったな。
付き合ってる っていううわさだけしか知らない。
今はもっと分からない。
彼も今は何をしているんだろうなぁ。
あとがき
と、言うことで2023年の月刊コグマを見ていただきましたが、いかがでしたか?
久し振りに読むお話も多くて、やっぱりこうやって掘り返すと新たな発見があって、面白いなぁとしみじみ。
今月の本編でも話した気がするんだけど、閲覧数が今年は去年と比べて明らかに落ち込んでいる。
スキ をもらえる回数は着実に増えて行ってるんだけどね。
正直、気にしてないと言ったら嘘になる。
だから、気にしないようにしてる といった方が正しいかな。
元よりこれ!!大勢に人に見てもらうために書いているわけじゃないから、別にいいっちゃいいんだけど。
気になるものは気になる。
まぁ、この路線を変えるつもりはないんだけどね。
いやぁ、わがままだな。
でも、それが僕らしいのかもしれない。
それでは、来年も月刊コグマをよろしくお願いします。
最後に、クリスマスのその後のお話
Discographyをお送りします。
Discographyを人生という言葉に置き換えたらどうなるだろう。
そう考えて作ったお話です。
最後まで、ぜひお付き合いください。
よいお年を!!
Discography
今日は12月の26日。
自分の中で、少し特別な日にしようとしている。
先月からコツコツと予定を立てていたのだ。
時は11月のある日。
ふとイルミネーションが見たくなった。
いや、正直に言えばそれは少し違うな。
イルミネーションを撮った写真をある人に共有して、それを元に話の話題を作りたかった、といった方が正しいのかもしれない。
その人は高校生からの友人で、僕が大学生になっても連絡を取り続けている数少ない友人である。
そうと決まれば大学の友人に イルミネーションを見に行かない? と声をかけ、予定を立てることにする。
実際に行ったときに、大学の友人に
「どうして誘ってくれたの?」と言われたときは返答に困ったが、単純にきまぐれだよ と答えておいた。
正直、それに間違いはないし。
ここで書いておくが、僕から人を遊びに誘うことは滅多にない。
理由は特にないけど、無い。
だから、誘われた記憶のある人はレアだとでも思っておいてくれ。
そのイルミネーションの写真を送って、僕がやろうとしていたこと。
それは、電話に誘うことだ。
久し振りに話したくなったので、電話に誘う。
けれど、急に唐突に「電話しない?」と誘えるほど、僕も強気な人間じゃないので、写真ついでに聞いてみることにした。
実際に、イルミネーションの綺麗な雰囲気を共有したかったのもあるし。
すると、大丈夫ですよ! と返信が。
とっても嬉しかった。
まぁ、そんなことがあり、イブはバイト。
クリスマスは、その人に用事があったら申し訳ないと思い、その翌日の26日に電話をすることにした。
時間は21:00から。
なんかとっても緊張するな。
ぴったし21:00になったころ、僕から電話をかけてその時間は始まった。
まぁ、僕から声をかけたし。僕から電話を掛けないと失礼ってことだ。
あんまり詳しい内容を書くつもりはないが、とにかくいろんなことを話した。
進路の事だったり、最近の部活のこと、
大学生活のこと、バイトのことだったり。
あらためてかっこいいなと再認識もした。
自分の夢のために努力する姿が。
自分が自分のために努力をちゃんと出来ない人間だから、
どうにも手を抜いてしまうことになれてしまった人間だから、
なおさら憧れる。
まぁ、憧れは憧れのままで、自分もそうなれるのかといったら別だけど。
人はそう簡単には変わらないと思うし、第一、正直変わりたいとも思ってない。
でも、カッコいいなと思うし、憧れもする。
正直、大学生になってからは、顔を合わせることは無くなっていたし、話すのもLINEだけだったから、実は僕と話すの嫌がっているんじゃないか?と卑屈なことを考えもしたが、
2次元的な事を言うと、
ちゃんと絆を感じた。
僕とあの子が築いた絆はまだ確かに残っている と実感することが出来た。
それが一番の収穫だったのかもしれない。
僕はこれまでの自分を思い返してみてわかったのだが、
みんなから愛されたい
と願っているらしい。
そんなことはどんな人間も思っているかもしれないが、僕はたぶん、その気持ちを軸に毎日を生きている気がする。
女の子からは好かれたいし、
男からは頼られたいし、
年上からも年下からも必要とされたい。
もっと正直に書くことも出来るけど、
ここは本音を書く場所じゃないから、それは自分の中に閉じ込めておく。
あぁ、でも、分かりやすく言えば、
浮気者ってところだろうね。
分かる人にはわかる。
特に、いろんな人から愛されたいと願っている人には。
今年は、自分の色々な一面が見えた気がする。
誇れる面あれば、このクズのような一面も。
まぁ、良いところも悪いところもあるのが人間らしいってことだし、僕は典型的だな。
うん。
そうだと信じたい。
電話を終えて、気付くと1時間以上経っていた。
正直もっと話したかったがお互いにネタが尽きてしまったので、電話を切った。
しっかりとネタ集めしてたはずなのに、電話をしていたらそんなことは記憶のどこかに飛んで行って、自分から展開できる話が全くなかったのは本当に申し訳ない。
その日は反省の気持ちと、楽しかったという気持ちが混濁としたまま、1日を終えた。
来年はどう生きようか。
なにを思って生活するんだろうか。
今の僕にはわからない。
まぁ、今と変わらず、ウンコしながらいろんなことを考えているんだろうな。
トイレで、「どうしてコーヒーを飲むと、尿からカフェインの香りがするんだろう?」なんて疑問を思いつく生活だし。
なんなら、ひどいところまで行くと、
女の子の場合も、コーヒーのんだら香りするのかな?
なんて考えたりもする。
馬鹿じゃないのか?
まぁ、やっぱりちょっと気になりはするけど。
いつまでも僕らしくいれたらいいな、と思う。
未だ、らしさ は見えてこないけど、最近は確かにそれがあると感じる。
だからこそ、胸を張って前を向いて生きるのだ。
いつまでも青さを抱いて。
あ、でも、やっぱり大人っぽさも欲しいよな…
待って待って。
でも、イタさもあっての僕らしいじゃないのか?
いや、そんなことを言ったら、欲しいのは内面だけじゃなくて、外面もいいのが欲しいし。
身長ももっと伸ばしたいし…
う~ん。
必要なものがありすぎるな。
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