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焦燥感の正体
詳しくは、昨日の記事を読んでいただければと思うのだけれど。
私がこれまで自らの手で封印し続けてきた“ものをつくること”への、純粋な欲求を止めなくなってはじめて、気付いたことがある。
「あれ? 私、焦ってないぞ」ってことだ。
そう、これまでの私のクリエイティビティは必ず、焦燥感とセットになっていて。
ずっと待ち焦がれていた“つくりたい欲求”がわいてきた瞬間から、すぐ行動に移さなければと、ワケも分らず焦りの気持ちに飲み込まれてきた。
でも、いま感じている欲求には、焦りなんてまったくない。
それどころかむしろ、安心感すらあって、自分の中で大事に大事に育てていける。
頭の片隅にいつもある状態で、ふとした拍子に何かと結びつき「あ、これいいかも」みたいな、発想が生まれたりもする。
これって私にとっては、まったく新しい感覚で。
ここしばらく「何が変わったのだろう?」と、考えてきたのだけれど。
やっと分った。
以前の私は、無意識に“つくりたい欲求”を止めていたので。
ほんのたまぁにわいてきてくれる欲求は、幸運以外の何ものでもなかった。
なのにせっかく生まれてきてくれた欲求に対し、他者からの受容を渇望していた私はついつい「やめといたほうがいいんじゃない?」などと、いらぬ心配をしてしまうので、たいがいはあっという間に消えていってしまった。
過去の経験からそれをよくよく知っていたかつての私が、たまたまわいてきた欲求を活かすためには、消えてしまわぬうちに行動に移すしか方法がなかった。
さらに、すぐに始めるだけでなく、完成するまで一気にやり通す必要があった。
なぜなら、ちょっとでも中断してしまえば、またぞろ不安や心配が大きくなって、もう再開することはできないと分っていたからだ。
そんなわけで、始められたはいいものの。
食事も睡眠も取らず、限界が来るまでずっとやめられなかったから、満足のいくものが仕上がることはほとんどなく。
そういった一連の体験が、時を追うごとに、私の焦燥感を際立たせていったというわけだ。
ところが、そもそも止めるのをやめてみたら、欲求はいつも私とともにあって。
薄れることも、消えることもなく、私の中に存在し続けてくれて。
細部に入っていけば、いつだって好きなときに高揚感をもたらしてくれるので。
焦る必要なんて、ぜんぜんなくなってしまった。
なんだ、焦燥感って、ものをつくるときのデフォルトの感情じゃなかったんじゃん。
はじめて、知っちゃった。