『絶対教えたくない』と常連が口を閉ざしてきた令和の大本命キャンプ場 BLUE/FOREST CAMP STORY
【SCENE1】
2023年1月3日
男は、行きつけの福島県にある小さなキャンプ場にテントの設営をする…今季のキャンプ初めだった。
風が強かったせいもあるがテントの設営は少し皺が目立ち、どうも上手く張れていない
風があるとは言え普段はこんなじゃないのになぁと調整に手間取り残りの荷物を取りに車に乗るとその瞬間友人から着信が入った。
「◯◯さん、亡くなったんだって!」
「え?」
それはあまりに突然すぎる訃報だった。
足繁く通った秋田湯沢エリアのキャンプ場管理人の訃報だったのだ。
居ても立っても居られず設営を完了したばかりだと言うのに早々に撤収を決めた。
こんな気分でキャンプなど身が入るわけがなかったからだ。
テントがいつものように上手く張れなかったのは今思えば虫の知らせのようなもの。
キチンと滞りなく張れていればあの連絡に気づく事もなかっただろうし既に酒をかっ食らってから気づいたはずだった。
その後の様子が気になり現地へと向かう。
亡くなった管理人と一緒にこのキャンプ場の運営をきりもりしていた女性がたった独りテン場の雪掻きに追われているところだった。
「手伝いますから!」
男は勇んで積雪2mの豪雪地帯のキャンプ場の雪掻きに挑んだ。
このキャンプ場は一体どうなってしまうのか?
それだけが頭から離れなかった。
事実、この時点でキャンプ場は明らかな存続の危機を迎えていた。
もう二度とこの景色の中でキャンプはできなくなってしまうのか?
男の葛藤が始まった。
この冬、男は自宅から百キロ以上離れたこの地にて雪かきボランティアに明け暮れた冬となった。
そして…葛藤は新たな人生のターニングポイントへと昇華して行く序章に過ぎなかった。
【SCENE2】
初めて私達が彼を知ったのはInstagramの投稿だった。
にひきさんこの鳥の声は何の鳥ですか?
確か、そんな問いかけだった記憶がある。
その後、彼は私達が行ったキャンプ地をトレースするかのように足を運びいよいよ初対面の時が来た。
福島県川内村にある高塚高原キャンプ場
2019年11月の事。
福島、山形、岩手、三県芋煮食べ比べというイベントを本町バルの主催で行ったグルキャンの場
Instagramで相互フォローしていた彼を偶然現地で見かけ挨拶に行ったのがスタートだった。
その後、SNSでのやり取りを繰り返し
次に会ったのはいわなの郷、そして不動尊公園と全ての出会いが申し合わせのない偶然の再会で私達が運営する本町バルにも来てくれたもの。
最後に会ったのは裏磐梯みちのくキャンプ場だっただろうか?
以来、私達はInstagramの投稿で彼の動向を知り彼は私のブログの投稿をもって私達を確認する…
そんな関係だった。
今年に入り、彼を取り巻く状況の変化をInstagramで散見するようになった。
「なんか会社辞めたみたい…これただ事じゃないょ」
妻から彼のInstagramを見せられ私も絶句したのを覚えている。
確かにこれはただ事じゃないな…。
あれほどキャンプが好きだった彼が自らキャンプ場の経営に身を投じるとは…並々ならぬ決意が投稿には感じられたもの。
そもそも本当のキャンプ好きはキャンプ場運営などしないものだと私は考えていたからに他ならないが
彼とは沢山の話をしたし
まさかキャンプ場を運営する側になるタイプだとは思えなかったからだ、キャンプ場運営にチャレンジするという事はイコールこれまでのように毎週自由にキャンプする事などできなくなるという事だから。
思えば、過去にキャンプ場で彼と会った時にそんな話をした記憶があった。
キャンプを始めて二、三年経つとハマった人ほど自由にキャンプできる自分の山を持ちたくなったりキャンプ場の開拓をしたくなったりするものだが…
それはほとんどの場合、初心者の戯言に違いない。
キャンプの醍醐味は様々な景色の中にその身を置き、そこで煮炊きし野営をする事
旅感とその欲求を満たすには場所を変える事が必須であり、いつも同じ場所でキャンプをし満足があるのは本当の初心者とその土地によっぽどの執着あるいは愛着がある者ぐらいである。
SNSでその経緯を見ていた私達には彼の転身には断固たる決意を見た気がした。
何せ彼は馬鹿が付くくらいのキャンプ好きだったし私達と同じ種類のキャンパーだから。
【SCENE3】
そしてその時が訪れた。
GW直前、彼が新たに運営するキャンプ場がリニューアルオープンとなった。
そのプロセスをInstagramでウォッチしていた私の元にオープンのご案内があったのが4月14日の事。
どうやら29日からのGWにターゲットを合わせオープンをするというスケジュールのようだった。
GWの旅程が既に決まっていた私達だったがリスケのできないキャンプ地だったためメインのキャンプ日程を消化し
余裕があったなら最後に寄って帰る事を視野に入れていたのだが私の体調がそれを許さず5月の来訪は叶わなかった。
心の中では、彼が惚れ込んだキャンプ地そして、彼がずっと情報をしまい込んでいた
とっておきの営地に行ってみたくて仕方がなかったのだ。
なぜなら、キャンプスタイルこそ天と地ほどの違いがあるにせよ、その感性は同じ物であり
私達の足跡を追っていた頃、彼はこれまでの誰ともあり得なかった、約束のない再会を実に四度も成し遂げていたからに他ならない。そして…。
訪れたBLUE/FOREST CAMP STORYは
想像以上
湯沢市のこのエリアはかつてとことん山キャンプ場の独壇場だったと思う。
そういう意味ではそこを超える魅力がないと難しいんじゃないか?
…と私達はこの地に着くまで考えていた。
ただそうではなかった。全くそうではなかった。
この地は唯一無二の魅力がありある種、某社により開発の限りを尽くされ、日々、自然の景観が壊れて行くとことん山を卒業した景色景観重視の価値を求める自然派キャンパーが集う未来が私には見えた。
【SCENE4】
ほほえみの郷 観音の湯
BLUE/FOREST CAMP STORYを出て車で10分圏内道中はなかなかに険しいが極上の湯がある。
この温泉はもともと別な名前で営業していたのだが先代オーナーが亡くなり当時この温泉を愛し通う一人の女性客が、この湯を絶やさないようにと名乗りをあげ私財を投じ事業を引き継いだと言われている。
その女性、現在は御歳90を超えたおばぁちゃんは今も現役でこの温泉を湯守と共に守っている。
そもそも近隣には観光名所となっている泥湯があり一般の観光客は圧倒的知名度のこの泥湯を目指すケースが多いが温泉としての資質は地元住民の間では観音の湯の方が非常に高く評価されている。
いみじくも同じ境遇を余儀なくされたBLUE/FOREST CAMP STORYに私は同様の印象を持つに至った。
ビッグネームのすぐそばにひっそり佇む本質的に優れた温泉のように
とことん山のすぐそばにひっそりと存在してきた旧じゅんさい沼キャンプ場は本物として末長く愛される資質と未来があるように感じてならないのだ。
管理人の逝去により、このキャンプ場の存続をかけ私財を投じサラリーマン生活に終止符を打ち単身飛び込んだ彼の志(こころざし)は誰の心をも動かす力があると思っている。
きっとこの良さがわかるキャンパーがこぞってこの地にやってくるはずだからどうかそれまで諦めず頑張ってほしいと思う。
最後に、これから始まる梅雨時期の今から沼でじゅんさいが取れるようになるのだとか
これを楽しみにこのキャンプ場を目指すのもBLUE/FOREST CAMP STORYの醍醐味として知っておきたいポイントの一つ。
以上が昨年オープン後に寄稿した湯沢市のBLUE/FOREST CAMP STORYにまつわるオープン半年前から営業に至る詳細記事ですが、この記事の寄稿後、BLUE/FOREST CAMP STORYに一つの奇跡が起こります。
キャンプをやる人ならば誰もが知るキャンパー芸人のヒロシ氏の番組(私は見た事がありませんが名前くらいは存じております)
ヒロシのぼっちキャンプ
のロケ地として2023年10月に放映紹介されたのです。声が掛かったのは夏辺りだったと聞きます。オープンからわずか数ヶ月で全くの無名から全国区の知名度を勝ち得たわけです。
まだ管理人さんにはこの本当の意味の実感はないと思うのですが、この事実はこのキャンプ場に足を運んではいないもののいずれ何かのきっかけで足を運ぶかも知れない潜在顧客が県内外を問わず一万人増えた事と同じと私は考えています。
今はまだ苦労の連続かと思いますが、どうか末長くこの素晴らしい景色のキャンプ場を守り続けてほしいと心から願いエールを送り続けようと思っています。
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