大江健三郎と青年③

渡辺一夫と大江健三郎

 大江にとって青年という状態は共同体であり世界と通じるものがあります。小説の内容がそのまま青年のアイデンティティの確立の揺らぎのメタファーということです。逆もしかりで、青年というのは共同体のメタファーでもあり得ます。共同体と自己を一致させようとする存在としての青年と、理性によってよくしていけるか試され続ける共同体=世界は重なります。

 ではどうしてそのような人間像を希求したかというと、大江の恩師にあたり文学上の師匠でもあったフランス文学者の渡辺一夫の存在が第一に考えられます。渡辺はフランス文学でも主に16世紀ルネサンス時代のフランス文学の研究に明け暮れた人物で、フランソワ・ラブレーの長編『ガルガンチュアとパンタグリュエル』を翻訳し、今日でも西洋文学の翻訳史上の金字塔として評価されています。ラブレーらの時代のフランスは宗教改革の大嵐が吹き荒れていました。

 カトリックに対抗するプロテスタント勢力がフランスにも現れ、彼らを弾圧しようとする勢力によって内戦が行われるようになります。サン・バルテルミの虐殺など凄惨を極め、プロテスタントの気配があっただけの村が焼かれるなどもあり、深刻な対立が起きていました。そのような時勢のなかで自分たちの理性を用いて考え抜き、両者の和解と平和に向けて模索した人物たちがいます。代表的な人物としては『エセー』の著者モンテーニュなどですが、渡辺はある種この時の知識人とその行動を理想化しており『フランス・ルネサンスの人々』という著作にまとめています。

 本書は現在岩波文庫で読むことができますが、あとがきと解説は大江健三郎です。その文章は大江の非フィクションとしては最高峰のものだと私は思いますが、深い愛着のある作品であることと渡辺一夫の人となりを瑞々しく書いています。師弟愛を感じる文章ですし、大江とその時代には「父」が不在でも「師」はいたのだなと感じられるものです。

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