Welcome to the real world.
過去最高の収益を出したある年、生産が追い付かず毎週のように新規採用の面接をしている時期があった。生産ラインではとにかくすぐに働ける人が欲しかったから、通常では履歴書を見てふるいにかけ、面接をしてそこから上層部で話し合って決めていくプロセスを、面接&工場見学をトータル2時間で完結させるショートカットにしていた。
そういう意味で、その時期に入社した人たちは繁忙期ではなかったら恐らく採用されてなかったであろう、ある意味ユニークでノリがよいタイプが多かった。
その中に一人、高校を卒業したばかりの若者がいた。スポーツ推薦で高校に入学したとかで
(後日、ウソだと判明するのだが)、体力は誰にも負けません!というような、体育会系独特の礼儀正しいタイプで、配属部署にもすぐに馴染んでいった。
当時の生産ラインはもうこれ以上は詰め込めない、無理!というほどきついものになっていたので、会社全体が長時間労働と休日出勤の繰り返しの日々だった。
当然ストレスは溜まって体調を崩して休む人も増加し、産業カウンセラーに相談したいという人たちの数字は日に日に積み上げられていった。
入社したばかりのこの彼も配属先の上長から休みがもらいにくいと愚痴っていたらしい。
そして、業を煮やした彼はついに直属ではなくさらに上の上長に「食欲がなく、不眠が続いていてつらいので鬱かもしれない。カウンセラーの診断を受けたい」と訴えた。
前年くらいからうつ病で退職する人が異様に多く、会社でもそのことは問題視されていたので
すぐにカウンセラーの面談の手配がされた。
しかし彼の普段の言動や行動を見れば見るほど、違和感は消えなかった。
そして夕方には彼の面談は終わり、翌日から2週間休むよう会社より申し渡された。
彼と同じ配属の人たちは、新人だったのに働かせすぎたかなぁと肩を落とし、いくら忙しくても休みはもっと取らせるべきだったか、と会社の空気まで一気に変わっていきそうだった。
次の日、社食でお昼を食べているとたまたま同席した人が「これちょっと見てもらえませんか?」とスマホを見せてきた。
それは、SNSをスクショしたものだった。
前日にカウンセラーの診断を受けた彼のもので、そこには明日から2週間休みになるヨロコビあふれる言葉と、鬱と称して会社を休む手順が漢字の少ない日本語で書かれていた。内容を見るとかなり具体的に調べられていて、この手法で進めたら確かに会社は休みを出さないといけないよね、というくらい完成度が高かった。そしてお昼の段階でそのスクショは社内に廻っていて、夜には会社の上層部にも届けられた。
翌日、彼は会社に呼び出され正式に解雇された。
さて、なぜ彼のSNSのスクショが周囲に出回ったのか。入社間もない人のアカウントをフォローしている人がそんなにいるとは思えなかったから
不思議だった。
後日わかったことは、そもそもこの彼はすでにうちの会社で働いている別の若者の同級生の紹介ということで入社したのだった。
ところがこのSNSの彼が普段から行き過ぎともいえるウソが多いことに、先に入社した若者は辟易していたらしい。自分の紹介ということもあったから、気にしていたんだろう。
カウンセラーの面談前にこの作戦を事前にこの友達に漏らしていたのだが、まさかそこまでのことはしないだろうとこの友人は思っていたところ、実際にやっちゃったことをうけ、ついにリークとなったということだった。
いつまでも学生気分のままだった若者と、社会人になって意識が変化した若者。2人の分かれ道はどこだったのか。
Welcome to the real world. (ようこそ現実の世界へ)
社会人になる前の春休み、バイト先の社員さんにもらった卒業祝いのカードにそう書かれていたのを思い出した。
温かいお気持ち、ありがとうございます。 そんな優しい貴方の1日はきっと素敵なものになるでしょう。