「手越くんイッテQ復帰おめでとう」イッテQと私のメディア論
「Vineとブライアン」「シーブリーズの蓋交換」「君の名は。」「リュックサックにハングルの名札付けたJK」「ポケモンGO」……。
これらを聞いて、ある特定の世代は強烈な懐かしさを感じるのではないだろうか。「2016年」を高校生として過ごした私の中にある原風景だ。
「SMAP解散」「ベッキー不倫騒動」「ピコ太郎」「トランプvsヒラリー」「安倍マリオ」
といった世相の中に、私の個人史としてハッキリと思い出せる。そして欠かす事が出来ないのが「イッテQ」の記憶なのである。
「あの頃」のイッテQ
当時の毎週日曜は、早く風呂に入った万全の状態で家族全員がテレビの前に座ってイッテQを観ていた。「乳牛祭り」で“キラキラ”を出した宮川大輔も、女芸人の相撲勝負も、沼にハマったチャンカワイも、出川イングリッシュも、酔っ払ったベッキーも、ゲラゲラ笑って観ていた。
紛れもなくあの当時はイッテQ全盛期だった。
(『アナと雪の女王』のパロディ回)
そして、やはり手越祐也の思い出抜きにはイッテQを語れないのである。
「エンターテイナー手越」では、そのインパクトのある画力を爆発させて笑いを誘い、ダブルダッチなどスポーツ企画では抜群の運動神経にお茶の間を「かっこいい!」と言わしめ、「ノーチャラ生活」ではその性根から企画を根本的に破壊して爆笑をかっさらった。失礼な振る舞いや言動で軽々、内村光良や宮川大輔を飛び越えていく様が面白くて大好きだった。
彼がいるだけで画面が明るく賑やかで、
傲慢でも嫌味なく愛されキャラで、仲間想いでもあり、孤高のアイドルであった。そしてナレーションからのイジられ方もまた面白い。
今でも往年のイッテQが語られる時、
「手越とベッキーがいた頃のイッテQ」という語られ方をされる。みんながテレビを囲んで観ていたあの頃のイッテQを象徴するのが手越祐也なのだ。
手越、「お祭り男」に復活
2024年9月30日、Twitterの徘徊中に前日放送のイッテQ次回予告の切抜き動画を観測した。それは手越祐也のイッテQ復帰を示唆する内容だった。
急いでTLを巡回すると「お祭り男」の企画での復活はどうやら確かなようで、一報を知った人々でお祭り騒ぎとなっていた。
2020年に手越がイッテQを降板して以来、実に4年ぶりの出演である。観測した限りでは、その復帰を祝福する声がほとんどだった。
手越祐也はそもそも何故4年間、イッテQに出られなかったのか。「コロナ禍で飲み会やっただけなのに今から思うと可哀想」という意見も散見されたが、それは一部分に過ぎない。
彼は2010年以来ずっとスキャンダルに塗れていたことがわかる。
緊急事態宣言中の外出は「トドメの一撃」に過ぎないのだ。さらにジャニーズ事務所退社やその後の暴露本発表に続くゴタゴタが重なり、地上波で彼を見る機会はほぼ無くなってしまった。
さらに時を同じくしてイッテQ自体も勢いに陰りが見える。全盛期には20%を超えた平均世帯視聴率も、裏番組『ポツンと一軒家』や、コロナ禍での海外ロケ縮小といった理由で今年4月には9.6%となっていた。マンネリ化と噂される事もあった。
復活の一報をTwitterで知ったように、私もいつしか家族とイッテQを観なくなった。それはライフスタイルの変化であり、SNSやYouTubeばかり見るようになった事の方が大きいかもしれない。
私は日曜夜9時代に、テレビの前に集合する理由を失ったのである。
イッテQを観るために、新幹線に乗って・VPNを繋いで・実家に帰省する。
9/30から当日10/13までの2週間は、みんなどこかソワソワした高揚感に包まれていたのをよく覚えている。
みんなが帰宅を急ぎ、テレビを観るためだけに実家に帰って風呂を早く済ませた。
Tverじゃダメだ。テレビじゃないとダメなんだ。
この時代、テレビ放送以外にもリアルタイムで視聴する方法はいくらでもある。だが誰もが口には出さないがテレビで観なきゃと考えていた。それはただ番組を観るという事を越えて、テレビの前に家族で集まったあの頃のイッテQの思い出そのものを復活させたい。そんな集合的無意識を強く感じたのだった。
久しぶりに私も風呂を早く済ませ、両親と兄弟を呼んでテレビの前に座った。スマホを触らずテレビに集中して観ている間、宮川大輔の涙にもらい泣きし、手越の変わりようと変わらなさに息を呑んだ。ナレーターの嬉しそうなイジりに笑い、水に飛び込んだ宮川大輔と手越に爆笑した。
最大視聴率は13%を超えたという。
あの晩、全国の家庭で一夜限りの「テレビを囲んだ家族団欒」が復活した事だろう。
テレビを囲む時間・「家族の太鼓」
既に1990年に「NHK紅白歌合戦」の視聴率が50%を下回り、テレビが一強の時代は終わっていた。テレビ画面はレンタルビデオの再生画面であり、ゲームのモニターとなった。
この流れはインターネットの普及と共に加速する。だが私が郷愁を抱く時期に、スマホやYouTube(2006年〜)はあったが、Netflix(2015年〜)は一般的ではなかった。自室に完全にこもる時間も少なかった。『はねるのトびら』『クイズ!!ヘキサゴン』といった名番組も記憶している。
思うに、2010年代当時を小学生から高校生として過ごした私達は最後のテレビ世代であり、過渡期的世代だったのではないだろうか?
かつて社会学者でありメディア研究の大家マーシャル・マクルーハン(1911-1980)は、ラジオを指して「部族の太鼓」と呼んだ。彼によると、昔の部族社会では、太鼓の音を使って情報を広め、共同体全体が同じリズムで繋がっていたという。これがラジオのような電子メディアの役割と似ているとし、メディアが瞬時に情報を共有し、場所の制約を超えた共同体を形成することを表現した。
私はこれに加えて、テレビが持っているもう一つの機能、普段は異なる生活リズムで動く家族を結合する「家族の太鼓」とも言うべきものを主張したい。もはや個々人にパーソナライズされたメディアに没頭することが当たり前の21世紀だが、毎週日曜日に家族でテレビを囲んでイッテQを観るという行動が、束の間家族を結束させていたのではないだろうか。
2024年10月13日のイッテQは2つの大きな太鼓の音色を高らかに叩いた。「部族の太鼓」の本来の意味で、手越復活は一様に人々をテレビの前に動かし、家族全員が揃うという「家族の太鼓」を復活させた。この力強い轟きが、手越祐也のレギュラー完全復帰、ひいてはイッテQ全盛期の復活を告げる号令である事を願って止まない。
手越くん、イッテQ復帰おめでとう。
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