日本人の「美徳意識」:「武士道」という考えが、世界を建て直す?
STAR WARSのジェダイの騎士、黒澤明の描く侍たち….そこに世界中の人が魅了され共感が得られるのは、その高潔な「生き方」の中に、国や民族、文化を超えて人々が大切にしたい「価値」があるからだ。
それは日本人の「美徳意識」である「武士道」という考え方に他ならない。
今の「強欲になりすぎた資本主義」によって崩壊しつつある世界を「建て直す」には、我々がこの深い精神性と倫理観を再インストールし、バージョンアップする必要がある。
武士道とは
『武士道』とは、侍がその生き方の指針とした倫理観や道徳観だ。
「誠」「義」「勇」「仁」「礼」「名誉」「忠義」という七つの徳目に代表される武士道の精神は、ただ戦いに生きるだけでなく、他者や社会との調和を大切にし、己の行動に責任を持つことを求められた。
武士にとって重要だったのは、自分の利益だけでなく、家族、主君、そして社会全体のために行動することを唯一の「価値」とした生き方だ。
武士道を構成する「7つの価値」
武士道の中核を成すのは、「誠」「義」「勇」「仁」「礼」「名誉」「忠義」の7つの徳目からなる「価値観」だ。
「誠」とは
武士道では「誠」が最も大切な徳とされる。
誠実な態度で他者と向き合い、自分に対しても嘘をつかないこと。
我々の社会は、急激な経済発展の裏で「嘘」と「欺瞞」で溢れている。
「国家運営」や「企業経営」に関しても、多くの「嘘」や「イカサマ」によって「利益」を出すシステムが横行している。
先進国と呼ばれている国の多くは、特定の企業の「利益」のために、自国民のみならず他国民をも犠牲にしてきた。
今その崩壊を我々は目の当たりにしているのだが、この世界を建て直すにはこの「誠」という「価値」がスタート地点となると思う。
世界中が「信頼」という関係性を築くことができれば、「戦争」はなくなり、そこに使われてた人間のリソースは「よりよく生きる」という宇宙の意志に使われることになり、そこからが人類の次の発展につながっていくのではないだろうか。
地球内での「謀略」「略奪」「内戦」は直ちにやめるべきだ。「義」とは
ジェダイも武士も、常に正しい道を選び、悪を退ける生き方を選ぶ。
「義」とは道理に沿って生きること、ダークサイドに陥ることなく光の当たる道を進むことだ。
現代は自分の「利益」のために「力」を使い、他人に迷惑をかけようが、他人の権利を奪おうが、法の網をうまく掻い潜り、儲けることが賢い生き方だと思われている。
「戦争」を引き起こし、儲けるために嘘の情報を流し、ゆうことを聞かない国には「謀略」を仕掛け、意にそぐわない指導者は排除し、資源のある国からは「略奪」をし、特定の企業の利益を「国益」と嘯いている。
しかしながら、そのような生き方が、地球自体に悪い影響を与え、多くの人を不幸にしている、宇宙はそれをよしとしていない。
「義」に生きるということは、個の利益ではなくこの星に住む生きとし生けるもののために生きるということだ。「勇」とは
「義」を重んじて生きるということが「勇」という生き方。
「義を見てせざるは勇なきなり」これは孔子の言葉だが「義」のための行動を取らないということは勇気がないということ、すなわち「勇」とは「義」のための行動をとることだ。
自己の利益のみに生きるのではなく、自分の生命をこの星の成長のために使うということが「義」という生き方だとしたら、その「義」を貫く覚悟を持つことが「勇」で生きるということだ。
「欲望」や「恐怖」に負けることはダークサイドへ陥る道だ、「正義」を守り通した者は「勇気」を持ち続けた者だ。
つまり、自分の正義を貫くことが勇気ある生き方なのだ。「仁」とは
「仁」とは、「愛」を持って他者を尊び、他者に配慮し、共感する能力を持つことである。
「恐怖」による強権統治や、相手の「欲望」に付け込んだり「嘘」をついて相手をコントロールするような支配方法は「悪魔」が用いる手法だ。
今、そのトリックが露呈し、多くの人がそれに気づき出した。
もはや、この方法では世界を運営することはできない。
多くの人が、人間本来の生き方を求め、平和を望み、変革を望んでいる。
人の上に立つものは、他者を理解し共感しながら理想を成し遂げることが必要だ。
そし世界はそんなリーダーを望んでいる。「礼」とは
「礼」は、自然を敬い、他者を尊重する心と行動を意味する。
我々は地球に存在する生きとし生けるもの、森羅万象すべてを敬い、他国の文化や人々を敬い、相互理解の上この地球を管理運営することがこれからの我々の使命だ。
人間だけの利益を追求するのではなく、ましてや個人や企業の利益を追求することなく、7代先の子孫のためにこの地球を管理運営し、より良いものにアップデートすることが我々人間の使命なのだ。
そのためには、すべてのものを尊重するという心構えが必要だ。「名誉」とは
武士道のいう「名誉」とは、単なる評価ではない。
その人の生き方そのものがどれほど、多くの人に良い影響を与え、他者のために多くの利益を産んだか、尊敬され、憧れ、生き方のモデルとなったか。
「名に恥じない生き方」「その名にかけて」というように「名前」というものにはその人の歴史、性格、行い、振る舞い、姿、その人すべてを凝縮した象徴である。
その名前にどれほどのポジティブな「影響力」を感じるかということだ。
それぞれの分野で「名を轟かせる「名を馳せる」「名を残す」ということが「名誉」ある生き方と言える。「忠義」とは
「忠義」とは何のために死ねるか….ということであり、翻れば「何のために自分の命を使うか」ということである。
人間はそれぞれ役割を与えられて、この星に「生」を受ける。
その人に与えられた「命」の「使い方」のことを「使命」という。
「私は〇〇する人間です」ということがその人の「役割」を示すのだが、自分の「役割」をわかった上で人生を全うする人は少ない。
自分の持って生まれた「役割」に気づき、それを担っているとき幸福感や喜びを感じるが、そうでないと満足いかない人生を送ることになる。
仕事に追われて好きなことができない、愛する家族との時間が取れない….そもそも仕事がつまらない、そんな生き方をしているとき、我々は自分の「使命」を生きていないということになる。
やりたいことをやってない、やりたいことがわからない…これはすべて自分の人生を生きていない証拠であり、幸福ではない、楽しくないというのは「役割」を果たしていない、自分の命の使い方が正しくないということに他ならない。
現代における「忠義」とは、今あなたが「地球の住人」として自分の命を正しく使っているかどうかということ。
武士道による世の中の建て直し
武士道は、「物質社会」から「精神社会」に移行する「世界の建て直し」に使う、最も最適なオペレーションソフトだ。
黒澤映画が世界で評価され続け、さまざまなハリウッド映画がその影響下にある理由は、その作品の奥底に流れる『武士道』の潔さにある。
この潔さが、文化や時代を超えて人々の心を打つ普遍的な魅力を生み出しているのだ。
ということは、この「武士道」は、多くの人類の根底に愛すべきものとしてすでに受け入れられている哲学であるという証拠だ。
「どう生きるか」ということに我々はフォーカスし、今さえ良ければ、自分さえ良ければ、金が儲かれば、という目の前の「欲望」に溺れて生きてきた。
そしてこの肉体を失う「恐怖」を克服するために、相手を滅ぼし、生き残りをかけ謀略の限りを尽くして物質的な社会を発展させてきた。
「欲望」や「恐怖」は肉体があるからこそ起こる感情であるが、肉体を失った後残るのは、どれだけ社会に「良い影響」を与えたかという「名誉」だけだ。
「どう生きるか」ではなく「何のために生きたか」ということが重要なのだ。
結論:「龍の視点」で見る「武士道」
武士道の本質は、「誠」「義」「勇」「仁」「礼」「名誉」「忠義」という7つの「価値」のために生きるということだ。
これは「龍の視点」において語る「成長」や「調和」の考え方と深く繋がる。
龍が象徴する流動的でエネルギーのバランスを保つ生き方と、武士道が目指した己を磨き、他者と調和する生き方は、どちらも普遍的な真理を追い求めている。
「武士道」は人類の根底にある「価値」と宇宙の意志とリンクした生き方である。これからの世の中を創る重要なオペレーションソフトになるというのはそういうことだ。