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K-136 カラカラ帝胸像
石膏像サイズ: H.64×W.44×D.37cm(原作サイズ)
制作年代 : 215年頃
収蔵美術館 : ルーブル美術館他
出土地・年 :
帝政ローマのセウェルス朝(193-235)の二代目の皇帝として、弟ゲタとともに共同皇帝となったカラカラ帝(Caracalla)の彫像です。“カラカラ”とは、彼が好んで着用していた頭巾のついたガリア人風の長マントからとられたあだ名で、本名はルキウス・セプティミウス・バッシアヌス(188-217)です。
209年、父セウェルス帝の死後、弟ゲタとともに共同皇帝となりますが、激しい対立関係の果てにカラカラはゲタを殺害します。その後の治世は、通貨の改革などもありましたが、大半が東方への侵略、属州の略奪・虐殺の連続で、軍事的な勢力を背景にした残虐なものでした。212年に発布した「アントニヌス勅令」は、全属州民にローマ市民権を与えるという大きな決断でしたが、これも増大する軍事費を賄うための税収増を狙った政策で、カラカラ帝はあくまでも軍権力を中心に据えた政治を展開してゆきました。その後カラカラ浴場の建設などの功績もありましたが、216年には味方の下級兵士によって暗殺されてしまいました。
パリ・ルーブル美術館収蔵のもの 石膏像の原作(布の流れが若干相違点があります)(写真はWikimedia commonsより)