苦行ゲームに関する考察とゲームの本質について
コンにちばんは!
そういえば僕は研究所にいるということをすっかり忘れていました!
ということで、考察・研究noteを作成することにしました。
テーマは苦行ゲームです。
今回は大きく3つに分けてご紹介します。
そもそも苦行ゲームとは?
1.1 苦行とは
wikipediaによると、身体を痛めつけることによって、自らの精神を高めようとする宗教的行為 とあります。ポゴは宗教だった・・・?
そこからインターネット上では、単に辛いことという意味で使われています。
1.2 ゲームにおいて、何が「苦行」なのか
一般的に、「何等かの目的を達成するために長い時間と労力をかけること、またはその作業」を「苦行」と言います。
言うまでもなく、「ゲーム」といっても、世の中には多種多様な幾万ものゲームが存在します。その中の1ジャンルとして、「苦行ゲーム」があります。もちろん、世の中は苦行ではないゲームが圧倒的多数です。しかし、勘違いをしてはいけません。
ここで重要なのが「苦行ゲームは少ないが、苦行要素のあるゲームは多数存在する」ということです。
例えばポケモンです。もちろんポケモンというゲーム自体は「苦行ゲーム」ではありません。しかし、「苦行要素」はあります。
それは厳選・育成です。僕自身も詳しくはありませんが、ポケモンバトルガチ勢にとって、バトルに勝利するためには強いポケモンが必須です。ポケモンは個体差があります。簡単に言うと、強いポケモンはとても希少なため、滅多に産まれません。
何時間も何日も繰り返し育て屋の前を往復する必要がありました。これが厳選です。
さらには、そのポケモンを強く仕上げるために、適切なアイテムを使用・持たせる、また、適切なポケモンを適切な回数倒す等、綿密な計算のもと、育成をする必要がありました。当然、何時間も何日もかかります。
※ただし、最新作では楽になった。らしい・・・
今回はポケモンを例に取りましたが、その他にも苦行要素のあるゲームは多数存在します。
1.3 「苦行ゲーム」と「苦行ゲームではないゲーム」の違い
しかし、それらはあくまで内容の一部に苦行要素があるだけであり、「苦行ゲーム」とは呼ばれません。
そんな「一般的なゲーム」とは違い、そもそもはじめから「苦行」をテーマとして作られているゲームが存在します。ご存じの方も多いと思いますが、例として以下に記載します。どん!
・QWOP
・Getting Over It with Bennett Foddy(通称壺おじ)
・JumpKing
・プーさんのホームランダービー(サービス終了😿)
・Pogostuck: Rage With Your Friends
先ほど「何等かの目的を達成するために長い時間と労力をかけること、またはその作業」を「苦行」と言いました。
ポケモンだと、一番大きな目標であるクリア(殿堂入り)はほとんど誰でも可能です。苦行ではありません。そのように作られています。厳選・育成に大変な労力と時間がかかるだけです。ほとんどのプレイヤーはそこまでしません。
しかし上記のゲームはクリア自体が非常に難しく、大変な労力と時間がかかります。
すなわち、一番大きな目標であるクリアが非常に難しく、大変な労力と時間がかかるゲームのことを「苦行ゲーム」と言います。
では、何がどう難しいのでしょうか?もう少し細かく見ていきます。
1.4 苦行ゲームを苦行たらしめる要素
①操作が難しく、思うように動かせない
例えばQWOPは、操作はその名の通り、キーボードの「Q」「W」「O」「P」を使用し、ランナーの足を動かします。
しかし、少しでもタイミングを誤ったり、キーを押し間違えたりすると転倒してしまいます。
実際にプレイすると分かりますが、ストレスが溜まります。
②壁が大きく進みにくい
各ゲームには、難所と呼ばれる壁がステージの随所に組み込まれています。
例えば壺では、ミカン台と呼ばれている難所があります。ここでは、角度のきつい岩の壁を登らなければなりません。
更に岩は若干滑りやすくなっており、少しでも操作を誤ると容赦なく一つ二つ前のステージに突き落とされます。
操作が難しいのにも関わらず、ミスを起こしがちな壁があるとどうなるでしょうか? そうです。大きく戻されます。
スタート地点まで戻されることもざらです。
③ほぼオートセーブで、やり直しができない
これが、最も苦行ゲームを苦行たらしめている要素です。
おおよそのゲームにはセーブ&ロード機能があり、ゲームオーバーになっても直前からやり直しができることがほとんどです。
しかし、苦行ゲームにはセーブはあれどやり直しという概念が存在しません。ゲームを再起動しても待っているのは落ちた結果だけです。
さて、この3つの要素が重なり合うとどうなるでしょうか?
何度も何度も落とされ、何度も何度も何度も繰り返し同じルートを通らされ続けます。その様子はさながら地獄であり、賽の河原とも比喩されます。
そんな苦行ゲームの難易度ですが、例えば壺のクリア率は何と約5%!購入者の20人に1人しかクリアしません。
そしてポゴスタックのクリア率は2.3%であり、購入者の40人に1人しかクリアしません。
1.5 苦行ゲームの必勝法
でも安心してください。そんな苦行ゲームの必勝法を今からお伝えします。
それは・・・
そのゲームが上手くなる他ありません。(まるで将棋ですね)
苦行ゲームとは、ゲームに対して本気で、真面目に、パズルを一つずつ解くように、まるで、雑草を一本一本丁寧に抜くようにプレイしなければならないゲームなのです。
大雑把で爽快感がある、わかりやすい、誰でもクリア可能なゲームとは対極に位置します。
勘違いしてほしくないのが、誰でもクリア可能なゲームが悪いという訳ではありません。苦行ゲーもそうではないゲームも、単にそういう性質を持っているゲームということです。ジャンルが違うので性質も違いますよね?色が違うだけです。
基本的に、苦行ゲームはクリアに何十時間もかかります。その内容もおおよそ苦しみです。
しかし何故か多くの人がプレイしていまいます。
有名な実況者が単発でやったりすることもありますが、何故か専門的にプレイする変態実況者さんもいらっしゃいます。確か大駒を切っていたような・・・
何故この方たちは、わざわざお金を払ってこんな苦しみを味わうのでしょうか?
結論から言うと、クリアすれば大体分かります。
とだけ言うのは無責任なので、壺とポゴについて、僕が感じたことをお伝えします。
苦行ゲームはクソゲーなのか神ゲーなのか?
ここからは、僕の推察や個人の意見を含みます。様々な意見があって良いと思うので、違う意見があれば、是非コメントください!
結論から言うと、壺もポゴも、僕の中では神ゲーです。
まずは壺ですが、これは僕が最初に見た苦行ゲームでした。このゲームが出てから、「苦行ゲー」という言葉が広まりだしたと記憶しています。
何度か実況者さんの動画を見て、僕もやってみようと思い、820円支払いました。30分ほどやった感想は
「は?二度とやらんわこんなXXゲー」でした。
しかし適度に休憩を挟み、縦穴を越えたあたりで「あれ?もしかして、面白いのでは・・・?」と感じるようになりました。もう手遅れでした。適度に休憩(ここは重要)しながら何度も繰り返し落ちて繰り返し登るうちに、以前より上達していることに気付きました。そこからは、一つ一つ難関を越えていくのが楽しく、クリアまでさほど苦痛を感じることはありませんでした。(もしかして珍しいのかな・・・)
それから月日は流れ、ある実況者さんがポゴのクリア耐久をやっているのを見て、ポゴをやってみようと思いました。(720円)
既に金壺(壺クリア50回)になっており、自信がありましたが、やはり壺とは違う感覚に最初は慣れず、何度も戻されてしまいました。ポゴの角度が非常にシビアで、要求されるテクニックも壺より多いため、個人的には壺の4倍は難しかったです。感じた悔しさも相当のものでした。
が、やはり苦行の末には、壁を越えることの達成感、上達することの楽しさがありました。そしてそれが、クリアという結果になって帰ってきました。
ちなみに今はポゴマス(0.3%)です。
落ちてしまうことは確かに悲しく、イライラすることです。
しかし、落ちたらまた上がればいいって、某プロ棋士もそれ一番言われていました。それは間違いではないんだなと実感しています。
苦行ゲームにおいて大切なことは何でしょうか?
壁を越えること?クリアをすること?
いえ、確かにそれは大切ですが、最も大切なことは「上達すること」です。
壁を越えることも、クリアをすることも、あくまで自分が「上達をした」結果なのです。そうなると、ある結論を導き出せます。
「ゲームをクリアするためには、ゲームが上手くなる他ない」
苦行ゲームは単なるクソゲーではなく、大げさな言い方をすると人生、生き方に関してヒントをくれるものだ。と、僕は評価しました。
「ゲームをクリアするには、ゲームが上手くなる他ない」
それはすなわち、次の言葉になります。
「上手くなった分だけ、より容易にクリアできる」
当たり前のことですが、強くなる。力をつける。上手くなるのが一番の近道です。さぼり癖のある僕にとっては、よく効く言葉です。
ゲームの本質、将棋との繋がり
最初に申し上げますが、ゲームの本質といっても、今から言うことは、ゲームの楽しさの一部にすぎないことを理解しています。違う意見があって当然なので、何かありましたらご指摘いただけると幸いです。
苦行ゲーではないほとんどのゲームは、進行上の問題が発生したとき、解決手段は複数存在します。
単純にレベルを上げても良いですし、会得したテクニックを駆使しても良い。何かアイテムを使用しても良い。回り道だって出来るはずです。
しかし、苦行ゲームはそうではありません。壁はただ素直に越えるしかありません。更には、このミッションをクリアしたら次はこのマップのこのミッションの・・・とか、キーボードのナントカにどういうショートカットを設定して・・・なんてものもありません。
ゲームのストーリーや無駄な要素を限界までカットし、プレイヤーのゲームの上達度合いがすぐに可視化されるように設計されています。
苦行ゲーというのは、ほとんどシンプルに作られています。目的は単純で、操作も単純です。
もちろん、細かい部分は凝っているところもあるのですが、あたかも単純に見えるように工夫していると感じます。
それは恐らく、先ほど説明した、苦行の末にある「楽しさ」「快感」「達成感」を発掘すること。
それを強調するためでしょう。
「苦行ゲームをクリアするためには、ゲームが上手くなる他ない」
これが、苦行ゲーム全般における結論です。
話を飛躍させますが、これは他のゲームにも言えることだと思います。
もちろん、ゲームによって差はあります。
しかしその本質は、そのゲームをより理解し、適切な場所で適切な動きをすること。すなわちゲームが上手くなることです。
ただ単に苦行ゲーよりもクリア条件が緩いだけで、全てのゲームは苦行ゲーになりえるはずです。面白いかどうかは別として。(このあたりは他の意見もお聞きしたいです)
因みに僕は、同じことを将棋にも感じました。なーにいってだ
将棋におけるクリアとは、勝つことに他なりません。勝つためには、やはり将棋が強くなる他無いのです。手筋を覚え、終盤力を鍛え、実戦で試し、負け、更に改良して、読みの精度を上げて強くなる・・・
ただ、自分が強くなって以前より強い方と当たれば、それだけクリア条件が厳しくなるので、そこは違うところでしょうか。
将棋とは苦行ゲームにおける「ゴール」を無限の彼方に飛ばしたゲームなのでしょう。ある意味で、将棋とは他の苦行ゲームよりも何倍も難しい果てしないゲームです。
いずれにせよ、何かを達成するためには強くならねばならない。そんな至極当然なことを、ゲームは教えてくれます。
他にも苦行ゲーで得られたものがあります。何か困難なものに当たったとき、まずは自分が強くなってみよう。と思うようになったことです。
まずはやってみて、振り返って分析してまたやる。PDCAを回す。そんな、よく言われる当たり前すぎてクサい言葉が一番の近道だと、改めて知ることができました。
(※これは個人の感想です。苦行ゲーのポジティブな効果を保証するものではありません。)
終わりに
苦行ゲームは決して全員が楽しめるようなゲームではありませんが、やってみると新しい発見はあると思います。人によっては、何百時間もやってしまうぐらいハマるそうですよ!
ただし、苦情は受け付けておりません!