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留学のススメ その5 ~どのようにして英語ができるようになった(と実感できるようになった)か【前半】

トータルで7年弱?海外で過ごした私が、結局英語でコミュニケーションを取れるようになるまでにどのくらいかかったのか、そして最終的にどの程度英語を使えるようになったのかについて、英語が出来なかった頃の思い出とともに綴ります。

年齢や環境も、たぶん影響していると思うので、その辺も明らかにしながら。

まず、最初に異国に降り立った中学1年生の1年間。突然現地の公立中学校に放り込まれた時は地獄そのもの。海外の学校って、どこもそうなのか分からないけど、ロッカーが廊下にあって、ダイヤル式の鍵で授業中とかは施錠しとくんですよね。そんな文化初めて出逢うじゃないですか。英語で教えてもらった番号で、右に何回、左に何回、とかいうのが全然わかっていなくて、下校時に案の定ロッカー開けられなくなり、荷物が取り出せない。でもあと何分かでくるバスに乗らなきゃ、帰宅できない。周りの生徒にSOSを出したくても、英語が何にも出てこない。もう泣きそうでした。絶望の淵。パニックでもう何が何だか分からなくなっていた時、金髪の男の子が話しかけてくれた。何言ってるか分からなったけど、私の様子からロッカーが開けられないことを察し、先生にそれを伝えてくれたので、マスターキーで開けてもらうことができた。その時私は、本当に彼にロクにお礼すら言えなかった。このことが、今でも忘れられないし、多分一生忘れられないと思う。

結局私は、あまりに英語が出来な過ぎたので、語学学校に8か月通うことになり、そこで1から英語を勉強しました。簡単な単語はもちろん、動詞が3段階変化するとか、そういうことを。そういうことが分かると、周りも英語習得中の同じくらいの年齢の子ばっかりなので、会話がだんだん成立するようになり、「私、英語できてきた!」という自覚が芽生え、語学学校に通い始めて8か月くらい経った頃、ちょうど当時片思いしていた男の子が帰国することになったし、私も現地校に戻ろう、と決意しました。

そして新学期、中学2年生になったタイミングで現地校に戻ってみると。会話がどうのというより、まず授業についていけない。そりゃそうだ!語学学校では”英語”を習っていたけれど、現地校に戻ったら、国数理社(まあ数学はともかく)、全部、英語で勉強しないといけないんだ…!それに、友達関係に関しても、やっぱり英語が第二か国語の者同士の会話と、英語を母国語とする若者たちの会話は全然違って、会話についていけず、私に話しかけてくれるのは、まじめで優しくて、Japaneseの授業の成績がいい子くらいだった…。授業は分からない、宿題も分からない。しつこく色々教えてよと頼めるほどの友達もできない。語学学校時代よりも、この中学2年生の最初の半年くらいが一番「日本に帰りたい」と泣いた時期だったかもしれない。更に、日本人らしい真面目なところがあって、全然理解できないのに、宿題をやらずに学校へ行くことはできず、毎日母親に宿題をやってもらっていました。私は日本にいた小学校時代ずっと成績優秀だったので、「できない自分」をいまいち認められずにいたんだと思う。全部英語のせい。この国に連れてきた母親のせい。と思っていた。

転機はありました。母親がどこかの中古ショップでBackstreet Boys(以下BSB)のカセットを買ってきて、車でよく流していたのだが、ジャケットの写真を見た私は金髪に青い目のザ・アメリカ人なNick Carter氏に惚れて、そこからBSBの熱狂的ファンになった。そうすると、よく分からない英語の歌詞だけど、覚えて歌いたくなる。歌詞の意味も知りたくなるから、自発的に調べる。授業で使う英語より、断然頭に入ってくる。結局私は、その後も留学中はずっとBSBが好きで、アルバムもドキュメンタリーのビデオ(VHSね!)も集めたりして…振り返ると、私の英語習得を強く後押ししてくれたのはBSBだったな、と思う。

ちょうど私がBSBにハマったタイミングで、クラスにマレーシア人の女の子が転校してきたのだけど、彼女もBSB好きで(熱狂的ではなかったけど)話が合い、そこから他にもBSBっていいよね!って言ってくれる子たちと仲良くなって、男子からは逆に「お前BSB好きなの?(笑)だっせー!」みたいないじられ方をするようになり、他の子たちとも馴染めるようになったのだった。BSBと、そのマレーシア人の友人は当時の私からすると神様みたいな存在だった。友達ができて、くだらない話や恋バナなんかも若者らしくするようになってくると、急速に英語も上達した、と思う。授業で分からないことも友達に聞けるようになり、だんだん授業内容も理解できるようになってくる。中学3年生の終わりには、友達との会話や、宿題をこなすくらいには問題なく英語が使えるようになっていたと記憶している。

ここから、留学後半の3年間に入るのだけど、芋づる式に思い出される思い出を語ったら想像以上に長くなってしまったので、別途記録することにします。

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