ヴァルネラブルな存在が世界の代表である
5年ぶりぐらいに『フェミニズムの政治学』(岡野八代)を少しだけ読み返した。
昔は理屈では納得できている所があったのだが、
数年たった今、この本の内容が自分の身体感覚と結びついてストンと自然に入り込んできた。
なんというか、体験や経験を通してこれまで培ってきたものがようやく発酵され、思想と結びついてアクチュアリティ(現実性)を持ち始めた感じ。
やはりどれだけ学んだ事でも今の自分(当時の自分)にはわからない事ってたくさんあるのだなとしみじみ思いました。
中でも、惹きつけてやまないハンナ・アーレントのこの一文
゛ヴァルネラブルな存在が世界の代表である゛
そうなのだ
この世界を認知し、この世界とつながりを持たせているのは、傷つき依存せずには生きられないヴァルネラブル(脆弱)な個人なのだ。
今日もしかしたら突然交通事故にあうかもしれない、
不治の病にかかるかもしれない
災害にあうかもしれない
誰かの訃報を聞き深く傷つくかもしれない。
小さなことでひどく落ち込むかもしれない。
人はどう感じ、いつ何があるのかは本当にわからない。
生命とはなんと脆く儚い存在なのだろう
このヴァルネラビリティ(脆弱性)をベースにした社会の構築を微力なりとも考えていきたい。
鈴木
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