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『クオン・デ 革命の生涯(CUỘC ĐỜI CÁCH MẠNG CƯỜNG ĐỂ )』(Saigon Vietnam,1957)  ~第4章 泰(タイ)へ~

 将来へ備え、先ず優秀な人材を日本で育てることに専念しようと決意するも、直ぐにフランスの執拗、且つ周到な妨害に遭い、『東遊(ドン・ズー)運動』は頓挫してしまいます。
 日本に代わる人材育成拠点を探す為、クオン・デ候は泰(タイ)へ向かいました。

 タイは、地政学上、歴史上、ベトナムと深い関係があります。
 特に、阮(グエン)朝の開祖でクオン・デ候の直祖嘉隆(ザー・ロン)帝が、西山(タイ・ソン)党の乱の時に、6ー7百人の配下を引き連れてタイへ逃れていた史実があるのです。

 クオン・デ候は、タイの越僑(えつきょう)部落に滞在しながら、タイの抗仏拠点の同志らの活動を支援します。しかし、やはりタイ語が不自由では、国際情勢に蒙昧となってしまうとの懸念から、日本へ戻る決心をしたのです。
 途上で立ち寄った香港で病気に罹り、『皇家医院』に2カ月間入院した後、再び日本へ戻りました。
(1908年11月頃~1909年3月)


**第4章 泰(タイ)へ**


 日本の地に降り立ったばかりの頃は、まだ考えが粗削りで、頭で思い描く様々な計画も、ほんの短い期間で間もなく実現できるだろうと想像していました。
 しかし、 いざ日本で実際に活動して実感したのは、我が闘争は、これからも遥か長い茨の道程が延々と続いて行くのだということ。けれど、如何に長くとも、如何に危険に満ち溢れようとも私の意思が挫け、志が萎えることは無かった。

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