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負けんな(自己紹介21)
いつも僕の自己紹介「ちょうどいいハンデだ」を読んでくれる皆様。
すみません!
今日、本筋と全然関係ない話を1回だけさせてください!
実は僕には「ちょうどいいハンデだ」を書き始めた事で繋がった「お友達」がいます。今日は、その子に向けて記事を書かせてもらいます。
個人的な内容になっちゃいますけど、どうしても言いたいんです。
楽しみにしていた方がいたらすみません。明日から通常回に戻しますんで(笑)
よし、いくか!
今時めずらしいが電話しかしたことがない。しかも固定電話って(笑)
メールやLINEが分からないから連絡する手段がない。でもお前、この記事は読んでるよな?(笑)
そこのお前、お前だぞ、絶対に逃げんなよ。
よく聞け!
僕が書いている「ちょうどいいハンデだ」には沢山のいじめネタが出てくる。
今、お前も同じような状況だよな。
んで今日、僕に連絡をしてきてこう言った。
「もう学校に行きたくありません」
そういって電話を切られてしまった。
はっきり言わせてくれ。
お前はこの記事の何を読んだんだ?
この記事は、本当にいじめにあった事しか書いてなかったか?
僕はいじめが辛くて屈したことをただつらつら書いてただけか?
僕の自己紹介は「そんなにつまらないものだったか?」
たまたまお母さまから連絡があって近況を聞いた。今、クラスでちょっといじめられている。そんな君に僕は自分の自己紹介記事を見せた。
僕も、ずっといじめられていた!
だから君の気持ちが分かるかもしれない。
どんな事をされたか、詳細に書いてある。
読んで感想聞かせてよ(笑)
んで、こいつになら話してもいいと思えたら連絡して!
本を読んだり、文章を読むのが好きなんでしょ?
ついでに書き方を教えてよ!
そう言ってあの日は別れたはずだ。
あの後、電話をくれたよな?
で、話をしたはずだ。
「僕はいじめに負けたくないです」「やめてと一言言ってみます」
「この記事と同じようにやってみます!」
そうやって言ってくれたな!
つい最近の話だ。ちょうどいいハンデだに出てきた応援団の記事を読んで感想をくれた。
「僕にも何か目立てるものってありますかね?」「僕は変わりたいです」と言ってたよな?
それなのに「やっぱり学校に行きたくありません」
どうしてだ!
変わると決めたんだろう?
なんで1人で抱え込む。そんな事「ちょうどいいハンデだ」には1文字も書いていないはずだ。
お前には「特別な何か」がある。
ここで諦めて縮こまんな!
ちょうどいい機会だ。
お前が特別な何かであることを証明してやる。
これは、少し先の自己紹介「ちょうどいいハンデだ」のネタばらしだ。僕は、中学に入っても、高校に入ってもいじめられた。中学では特に「女子」からの「容赦ない陰口」があった。高校はシンプルに「無視」された。
僕の学生時代にはいじめがずっと付きまとっていた。
それこそあらゆるジャンルのいじめ経験した。
でもな、僕は中学生の時から「いじめに対して傷ついたことはない」
そりゃ、気分のいいモノじゃない。
でも本当に気にならなかったんだ。
中学生の時、僕はこう考えていた。
いじめの始まりは「違う」から。
いじめが広がるのは「受け入れる」から。
いじめている人間に「自覚」はない。
そして最終的に、
僕は特別な人間で、周囲は凡人なんだからいちいち反応してやる理由はない。
どういうことか?
いじめがどういう風に生まれるか知ってるか?
周囲の人間が「自分と違う」と認識したときだ。
例えば、教室に35人の生徒がいるとする。
で、そのクラスは34人が普通の体型をしているのに1人だけ極端に身体が大きいとしよう。クラスの34人は1人に対して「身体が大きい事を認識」して「指摘」する。
これがいじめの始まりだ。
身体が大きいと言われた側は嫌かもしれない。でもあんまり沢山言われるし、事実だから「受け入れて」しまった。
そのうち、34人は身体の大きい1人に対して「身体が大きいと言っても問題ない」と感じる。
そして「身体が大きい」は長いし言いにくいから「デブ」になる。
極端な例えかもしれないが、いじめのおおよそのメカニズムはこれだ。
ここで考えてほしい。
この例え話で、身体が大きいと言った34人には「相手を傷つけている」という自覚があるだろうか?
多分ないよな?
読んだら分かるだろ?
こいつらは最初「指摘」から始めている。そしてその「指摘」を甘んじて受け入れたから「デブ」という悪口に発展していく。
他者に干渉する権利なんて本来は誰も持っていない。
人は「自分と違う」という状況を受け入れることができない。そこには、どうしようもない正義や大したことのない信念みたいなものがあって、こいつを普通にしてやらなくちゃという謎のお節介がある。
余計なお世話だ。
いじめている人間も、それに加担している人間も100%悪い。
でもだ。
この話には身体の大きい側の人間にも「落ち度」がある。
デブという言葉に発展したのは
お前が受け入れたからだ。
そうだろ?
ここで嫌だと言えば、相手は「嫌なんだ。やめよう」と思うかもしれない。可能性の話だけど、全員が指摘に回ることはないはずだ。
悪いと思っていない・自覚のない人間からすれば受け入れたは「言ってもいい」と同義なんだ。
僕は、中学生の頃こんな事を考えて、この結論に至った。
そして、この結論に辿り着いた時、もう1つ気づいたことがあった。
そもそも、違うって悪いことなのか?
という話だ。
さっきの話を使うなら、
35人中1人って、言い方を変えれば「特別」にならないか?
35人中34人は「普通」だ。言い換えれば「特質した部分は何もない」
それは「凡人であることの証明」だ。
そうだと思わないか?
僕は周りと違うからいじめにあった。違うということは周囲の人と同じじゃないということだ。僕は途中から本気で「自分は特別な人間」だと思うようになった。
そう思ってからいじめがどうでもよくなった。
僕に言わせればいじめの構図はこうだ。
「凡人が特別な人間に一生懸命指摘をしている」
特別な人間なのに凡人の言う平凡な言葉を聞く理由がどこにある?
今も希少価値を地で行く人間が、凡人の言葉に耳を傾ける必要があるか?
特別な人間が凡人に対して耳を傾ける必要があるのは「こちらの意見や意思を発信するとき」だけだ。
トヨタの車は、凡人の声に耳を傾けた天才が凡人のために作ったものだ。そして、突き詰めた結果「世界一」になった。凡人の声に耳を傾ける必要があるのは、こういう場面だけだろ?
奴らにもわかる言葉で伝えなきゃいけない時だけ、耳を傾ければいい。
負けるな。
屈するな。
そんな凡人の平凡な行動や言動に屈するな。相手にするな。
お前はいじめにあっているという時点で、人とは違う特別な人間だと認定されたんだ。胸を張っていいんだ。自信を持っていいんだ。
確かに、集団の圧力ってのは怖い。
その気持ちもわかる。
ただな。
特別な人間の周りには特別な人間が集まってくるんだ。これは、断言してもいい。
僕の自己紹介には恩師と理解者が出てきただろ?
あれはやっぱり「特別な人間」だ。希少価値だ。人間が一緒にいたいと思う基準は「共感」と「近しい価値観」だ。一緒にいるときにストレスを感じたくないから、同じような感性・価値観を大切にする。
悪口ばかり言っている「何も生み出せない人間」の周りにはやっぱり悪口をいう「何も生み出せない人間」しか集まらない。
逆に、違うと指摘を受けて特別認定された人間の周りには同じように「人とは違う何かを持った特別な人間」が集まる。
さっき、違うという指摘を受けた人間は特別な人間であることは証明したよな?
いじめは「周囲と違う」から始まる。
違うは特別だ。希少価値だ。
その「特別」を活かすも殺すもお前次第だ。
特別な人間であるお前の周りには必ず「特別な人間」がいる。必ずお前を見ている。
特別な人間である僕が言うんだから間違いない。
周囲をよく観察しろ。
怖くて仕方が無くて、ふさぎ込みたくなった時こそ、周りをよく「観察」しろ。お前にはお前のために3,000文字以上の言葉を紡ぐ「特別な人間」がいる。
そして、今のお前に共感してくれる人間がこの先必ず現れる。
僕は今、そういう人たちと楽しく生きている。
お前にだってできるはずだ。
特別という認定をもらったお前になら。
この記事読んだら、また話そう。
感想、待ってるからな。