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「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」から考える「華氏451度」の世界

 先日、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を読みました。

 印象的なタイトルで話題となり、ベストセラーになったこの本。何となく流行りものに乗るのに抵抗があり、これまでスルーしていたのですが、ついに好奇心に屈して買ってきたところ、自分を殴りたくなりました…

 もっと早く読むべき本だった…
 率直に言って、すごく面白い本であり、身につまされる本でした。読書論と労働論について、歴史的な経緯や、様々な参考図書を引用して述べられており、著者の読書量についても驚かされます。

 この本で分析されていることの一部をまとめると、

  • 現代人は忙しくて本を読む時間がない。

  • 忙しい現代人は、増え続ける課題を迅速に処理するため、答えとなる「情報」を求める。

  • 求められる「情報」は、より単純で自分の行動に即したもののほうが、課題を迅速に処理できる。WHYではなくHOW。

  • 自分がコントロールできない環境や物事の意味について考えることは時間の浪費である。

  • 本は、必要な「情報」にたどり着くまでにノイズ(現在の自分に必要でない情報、過去の歴史や文脈、もともとの目的・意味など)が多い。

  • 一方、ネットの「情報」は、たどり着くことが容易であり、しかもノイズが少ない。

 すごく鋭い分析だと思います。
 他にも時代ごとの様々な観点や、著者からの提言も書かれているので、詳細はぜひ本を読んでみてほしいのですが、前述の分析を読んで、私の頭によぎったのが、レイ・ブラッドベリの小説「華氏451度」でした。

1.華氏451度とは?

 小説のあらすじは以下のとおりです。

 "華氏451度―この温度で書物の紙は引火し、そして燃える。451と刻印されたヘルメットをかぶり、消化器の炎で隠匿されていた書物を焼き尽くす男たち。モンターグも自らの仕事に誇りを持つ、そうした昇火士(ファイアマン)のひとりだった。だが、ある晩、風変わりな少女とであってから、彼の人生は劇的に変わってゆく…"
 (華氏451度 伊藤典夫訳 ハヤカワ文庫 背表紙より引用)

 書物が禁制品となった未来を描くディストピアSFの金字塔です。
 昇火士である主人公のモンターグが、それまではただ焼き尽くすだけのものだった本に対し、ある想いを抱き苦悩していく様子は、仕事の忙しさから書物を遠ざけていた私達に不思議と重なるように思われるのです。

2.ベイティー隊長の言葉

 私が華氏451度で特に好きな人物が昇火士隊のベイティー隊長です。 全ての本を焼き尽くすオレンジ色の戦車「火竜」を駆る、冷酷で底知れぬ男。

 書物を取り締まる立場の彼は、一方で書物に触れることができる、世界に数少ない人物でもあり、一般人にはない膨大な知識と自ら考える力を持ちあわせています。

 彼は主人公のモンターグに、こう言い放ちました。

 "平和が一番なんだ、モンターグ。国民には記憶力コンテストでもあてがっておけばいい。(〜中略〜)
 不燃性のデータをめいっぱい詰めこんでやれ、もう満腹だと感じるまで事実をぎっしりと詰めこんでやれ。ただし、国民が、自分はなんと輝かしい情報収集能力を持っていることか、と感じるような事実を詰めこむんだ。そうしておけば、みんな、自分の頭で考えているような気になる。動かなくても動いているような感覚が得られる。それでみんなしあわせになれる。(〜中略〜)
 哲学だの社会学だの、物事を関連付けて考えるような、つかみどころのないものは与えてはならない。そんなものを齧ったら、待っているのは憂鬱だ。"
(華氏451度 伊藤典夫訳 ハヤカワ文庫103ページより引用)

 いかがでしょうか。
 この空想小説は戦後の1953年に出版されたものですが、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」で書かれた現代を、まさに言い当てできるように感じませんか?

3.現実化する華氏451度

 すでに華氏451度の世界は現実のものとなりつつあります。単純化した結論としての情報が飛び交うSNS。人は情報に動かされ、他者を排除し傷つけることも厭わない。情報の裏に隠された複雑な背景はノイズとして切り捨てられ、自称情報強者が誰かを焼き払い、今日もどこかで炎上している。人が人を焼く地獄の上では、いつか始まる戦争のための爆撃機の轟音が空を裂いている…

 息の詰まるようなこの社会が、本を読めるような社会に変わったならば、華氏451度で描かれているような未来を止めることができるのかもしれません。本は人々の傍らに寄り添い、きっと心を穏やかなものにしてくれることでしょう。

 "川の左右に生命の樹ありて十二種の實を結び、その實は月毎に生じ、その樹の葉は諸國の民を醫すなり"
(旧約聖書 ヨハネ黙示録22章2説 伊藤典夫訳 より)

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