インドはヤバいのか?いや、ヤバくない #3 インドのくびれ、西ベンガルシリグリへ上陸
インド3日目、首都デリーから目的地の西ベンガル州シリグリまで国内線でインド亜大陸を横断する。インドをよく訪れる人にとっても、シリグリはあまり聞きなれない地名だろう。
インドを短期間で堪能?しようとするバックパッカーは、とりあえずデリー・アーグラ・バラナシの定番コースを巡り、一通り「ヤバいインド」の体験を購入して日本への帰路につく。
しかし、こうしたヤバ旅言説のパラドックスとも言えようか。旅人の心遣いは出発の時点から「いかにヤバい体験を持って帰るか」という一心にあるので、実のところ、持ち帰られた体験談の真の価値を吟味することは不可能に近い。
デリーにある日本人向けゲストハウスでは、「インドを1週間で楽しもうとする人がいるけど、本気で楽しみたいのなら1-2年ほど住んでみてほしい」という言葉をよく聞く。幸いにして自分は、2-3ヶ月とやや短いながらも、観光客がほとんど訪れないシリグリというローカル地域に浸ることができた。
それほど知名度が高くない西ベンガル州は、イギリス帝国植民地時代に由来するコルカタや、お茶っ葉で有名なダージリンなどの都市が有名だ。
非常にくびれた地形が特徴的で、とりわけ滞在予定のシリグリは、中国・ネパール・ブータン・バングラデシュと国境を接する地理的にも他に類を見ない地域だ。それゆえ、インド国内外の動脈として往来が激しく、他地域からの移民や難民が多く居住する地域でもある。
さて、国内線に搭乗するにあたって、私たちはつかの間のデリーを抜け出して再びインディラ・ガンディー空港へと戻ることになった。
朝から渋滞にまみれているデリーは、メトロを使って移動する方が良い。針を縫うようにリキシャで人混みの中を分入っていき、Airport Express Lineが走るShivaji Stadium駅に到着した。
駅の外はけたたましい喧騒にまみれていたものの、一歩メトロに足を踏み入れると、嘘のような静けさに包まれる。
この駅がAirport Lineということも影響しているのだろうが、メトロ乗客の階層(通勤する雇用に就業する人々)が外の階層(主にインフォーマルセクターに従事する、その日暮らしの人々)と明らかに異なるのだ、と無言で味わされた。
メトロを経由することで、ほとんどトラブルに見舞われることもなく空港へと到着した。Air Indiaという国内最大手の航空会社で西ベンガル州のバグドグラ空港へと移動する。
隣の席には、推定150kgの力士おじさんが座り込み、はみ出したお肉で圧迫されながら約2時間のフライトを過ごす。名をRajeshという彼は、どうやらシリグリで建設会社を営んでいるようだ。日本人がシリグリに向かうことが珍しいそうで、現地の様子を色々を教えてくれた。
バグドグラ空港に到着。
デリーと全く異なり、あまり砂ぼこりの空気感は見られない。
緑に囲まれた亜熱帯気候といったところか、スコールの名残のような湿気さが身体をまとう。
Rajeshが「空港から街まで車で送っていくぞ」と快く申し出てくれたが、一応業務でシリグリまで来ているので、心の中では1つ返事でOKなのだが、丁重にお断りした。
バグドグラ空港からシリグリの街中までは10km程度、車で約1時間なので、空港からタクシーを調達する。
事前に現地の人から「空港でタクシーを申し込む際は、表口のカウンターに並ぶと非常に時間がかかるので、並ばずに空港内の裏口から申し込んでください」と情報共有を受けていた。
(そんなバカな話があるか??)とずっと疑ってかかっていたが、アドバイスは何も間違っていなかった。表にズラッと並ぶ人々を尻目に、堂々と裏口からスタッフに話しかけ、当たり前のように順番を抜かしてタクシーのチケットを手に入れた。(そんなバカな話があるか???)
なぜか分からないが、小さい頃プレイしたメタルギアというゲームのラスボスが一番最初のステージに隠れていたことを思い出した。そこだったのか!!
ズルをして手に入れる優越は、何事にも代えがたい格別さがある。
バンに乗り込み、シリグリ市内へと移動する。腰の高さで葉を茂らせる茶園がいっぱいに広がっており、デリーとは似ても似つかない緑が見られる。
20分ほど走ると街中に近づいたようで、高等教育の看板がいたるところに現れてきた。私立学校や学習塾のビジネスが地方都市でも盛んなことが、見て取れる。教育熱の高さは本当のようだ。
街中まで来ると、デリーと遜色ないクラクションの音や人々の往来が活気を見せる。日本と異なり宗教の色が社会に溶け込んでおり、モスクから夕方の礼拝(アザーン)の放送が街中に響き渡る。
宗教が街に溶け込んでいれば、動物も街に溶け込んでいる。
大通りだろうが裏路地だろうが、牛とヤギと犬を見かけない日はない。動物も社会の構成員だ。税も払っていないのに、我が物顔で社会インフラを占有している。
空港から約1時間半かけ、私たちはシリグリのホテルに到着した。
現地で通訳やサポートを行ってくれるJohnと合流し、NGOの教育支援活動を開始する。
活動を終えて今振り返ってみると、この時は正直シリグリの実相やインドの教育実態について何も知らず、すっかり観光客気分で浸っていた。
翌日からは、図らずも教育支援という活動を通して、現地の生活や人々の生きる様子についてグッとリアルな姿に迫る。