インドはヤバいのか?いや、ヤバくない #1降り立ち
好奇心あふれる若者ならば、誰しも一度は「インドに行ってみたい」と思い立ち、そして「まあいつか行ってみたいけど、、、」と多くは思い立った記憶を心の押し入れに片づけてしまう。
いつしか「インドってヤバい国なんでしょ」という小学生並みの感想で片付けられてしまう。
そして、バックパッカーはじめ訪問者も、
周囲に期待される「ヤバいインド」を
見ようとし、持ち帰る。
ヤバいインドの再生産だ。
俺はそういった「ヤバい」という言葉に
矮小化されてしまいがちな、
街のひしめき、人々のたくましさ、アウトサイダーの論理、
あるいはゆっくりと流れる大河や夕陽落ちる大地の悠久さ...
を解凍して言葉にし、
「ヤバくないインド」に調理して届けたい。
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俺自身タフな人間ではあるが、海外経験には乏しく、初インドは人生で2回目の海外渡航だった。
俺が初めてインドに訪れたのは2022年6月、JICA草の根事業プロジェクトのスタッフとして、西ベンガル州のシリグリという地域で、貧困層向けの教育支援事業をサポートしに行く、という理由だった。
インドは「呼ばれないと行けない」場所だと三島由紀夫も述べたそうだが、まさにJICAの招へいレターを片手に「ガチで呼ばれた」わけである。
渡航前日に「しばらく食べれなく日本料理を拝んでおこう」と錦糸町の定食屋を訪れたところ、なんと「中身はスタッフも料理もインド系でした!」というトラップに引っかかってしまった。
(なるほど、インドと対峙すると決めた時点で、日本とはお別れを告げねばならぬのか...)
さて、日本から約9時間のフライトを経てデリーのインディラ・ガンディー空港に到着した。
窓から、やけに曇って霞んだ街並みが見えたことを覚えている。「粉吹き芋」という言葉が思い起こされた
機内から脚を踏み出すと、全身にムワッとした熱気と、インド料理屋のスパイスフレグランスがまとってきた。
お出ましのようだが、まだインドを実感するには至らなかった。空港は冷房で驚くほどひんやりとしており、想像していた数十倍清潔だったからだ。
オレンジの文字に黒の背景を基調としたインディラ・ガンディー空港は、なんなら成田空港よりもお洒落なのでは?とすら思えるほど。
程なくして、歓迎という言葉とは無縁そうな無愛想イミグレーション😠に40分ほど並び、ようやくアライバルゲートで預け荷物をピックした。
インドは生水が不衛生という話を聞いていたので、空港のウォーターサーバーでたっぷりの水を飲んだ。
空港の出口を抜けると、外の熱気がムワッと身体を包みこみ、ごった返す出迎え出待ちタクシー(および詐欺師)がギュウギュウになりながら来国者に見えるようボードを掲げている。
俺は同行者とともに人混みの中で出迎えを探し出し、スズキディザイアに乗り込み、シゲタトラベルの管轄する「Cottage Yes Please」というデリー市内の日本人向けホテルへと向かった。
(ちなみにシゲタトラベルの社長である繁田さんは、日本人)
時刻は午後18時
ホテルに到着し、チェックインを済ませる。
ウェルカムドリンクの熱々チャイをチビチビと口に含みながら、まとまった現金をルピーに両替する。隣の個人電機ショップに声をかけ、現地SIMを購入。
それにしても、ホテルといいショップといい、なぜ1人ですむ作業に2〜3人のスタッフが見守ってくるのか。。。🧔♂️🧔♂️🧔♂️3人寄れば文殊の知恵というが、そもそもSIMカードの交換手続きは1人でやるものだし、知恵もいらない。
結局アクティベートに手間取り、外に出た頃には20時前、すっかり空が暗くなっていた。
薄暗い街並みを、歌舞伎町顔負けのネオンが照らし出す、、、ということはなく、心なしかネオンも薄暗い。
翌日も早いし疲れたので、早く寝よう。
その前に、インドらしいメシをちゃっちゃか食ってしまおうか。
中心部のレストランで、ナーンとビリヤニ、カレーを食べてみる。取り皿に取り分けて、手ですくって食べる。
もちろん辛いが、日本にはあまりないヨーグルトのタレをかけて中和する。辛いはずなのに手が止まらなくなってしまう。
もういいや、ビールもいっちゃうか、
近年若者を中心に流行っているというクラフトビールのBIRAで流し込み、今日一日の溜飲を下げる。
すごくフルーティなインドのはじまりだ
気づいたら夜の11時半になってしまっていた。
明日も早いのに、、、
店を後にし、ホテルで泥のように眠った。