入院生活と高齢化社会
私の祖母は、私が中学生のときに、「パーキンソン症候群」と診断された。
特に治療する手立てもなく、年々歩けなくなり、認知症も進んだ。
私が大学生の時、祖母が転んで、大腿骨を骨折。入院することとなった。
東京に住んでいた私は、春休みを利用し、実家に帰省し、病院に泊まり込んでいた母と1日だけ代わって、祖母と病室で寝たことがある。
骨折したことを忘れてしまう祖母は、動く手を器用につかい、足の固定具を外してしまう。
病院にいることを忘れてしまう祖母は、常に「おじいさんはどこかね」と聞く。
声を出しても、人が来ないと祖母は、ティッシュを丸めて、廊下に向かって投げた。
今から15年も前のことだ。病院にも看護師さん以外にサポートしてくれる人はいたが、基本は、「家族で世話をする」というルールだった。
当時、母は、普段通りの主婦業をこなし、受験生だった弟を気にかけつつ、夜は祖母のいる病院に泊まっていた。
日中、母がいない間に昼寝をしてしまう祖母。そのため、夜はとても元気。
私が代わりに泊まった際も、なかなか寝ない祖母。
足の固定具を外そうとしたり、トイレにいけないのに、1分おきに「トイレ」と言い出す。
私はイラッとして、「もうおばあちゃん、いい加減にしてよ!」と思わず声を上げて怒ってしまった。
その後、祖母が「(本名)ちゃん、ごめんね」と謝られたときに、私は号泣してしまった。
怒っても仕方ない人に怒ってしまった後悔、子どものころから大好きな祖母に怒鳴り、謝らせてしまった罪悪感。
今でも残っている。
というのを、なぜ思い出したか。
産婦人科系の病気で入院しているが、病棟は外科と同じなため、高齢者の患者さんも多いのだ。
「おとーさーん!」と叫んでいるおばあちゃん。
「足が痛えよぉ!」と叫んでいるおじいちゃん。
どうして入院しているか分からず、何度も点滴をひきながらナースステーションにくるおじいちゃん。
「今何時だね?」「(朝の)10時ですよ」「明るいねぇ」「夜じゃないよ」と車いすをひかれながら話しているおばあちゃん。
土日、看護師さんやスタッフさんの人数が少ないときには、ナースステーションに集められ、一斉に食事をとったり、おじいちゃんおばあちゃん同士で話をしたり。
高齢化社会の入院生活。
本当に大変なことだと思う。
コロナ禍で家族にも面会できずに、余計認知症が進んでしまうのではないか、と私は心配してしまう。
「暇だから、私でよければ、話し相手になるのに」と思うが、私も入院患者の一人だった、とふと我に返り、早期退院をして、病院の負担を減らそうと、セルフリハビリに励むのであった。