りぃ
2020年9月29日。14時入院。 自分だけが使えるトイレが病室内にある個室に入れたことがうれしかった。 病棟内は忙しそうで、「担当の看護師が来るまで待っていてくださいね」と言われ、早30分。母に付き添ってもらい、病室へ入ったが、母はリクライニングソファーで昼寝をしていた。 まぁ、私もスマホをいじったり、持ってきた荷物をタンスにしまったりするが、あっという間に手持無沙汰になる。 テレビカードを買いに行きたいが、部屋から出ている間に看護師さんが来ても困るし、と悩んでいた
私の祖母は、私が中学生のときに、「パーキンソン症候群」と診断された。 特に治療する手立てもなく、年々歩けなくなり、認知症も進んだ。 私が大学生の時、祖母が転んで、大腿骨を骨折。入院することとなった。 東京に住んでいた私は、春休みを利用し、実家に帰省し、病院に泊まり込んでいた母と1日だけ代わって、祖母と病室で寝たことがある。 骨折したことを忘れてしまう祖母は、動く手を器用につかい、足の固定具を外してしまう。 病院にいることを忘れてしまう祖母は、常に「おじいさんはどこか
大人になってから、病院に入院するのは2回目。 2012年、サイパン旅行中に倒れ、そのまま原因不明で2週間検査入院後、違う病院に転院した。 2020年、卵巣腫瘍の腫瘍部分摘出手術。「子宮付属器摘出術」というらしい。漢字にすると怖いな。 8年前は、毎日母親が飲み物や食べ物を差し入れとして持ってきてくれたり、洗濯物を持って帰ってくれたり、新しい前開きのパジャマを用意してくれたり、と甲斐甲斐しく世話をしてくれた。週末になると、父や叔母、当時医大生6年だった弟も顔を出し、この病院
入院中に一番感じたこと。 「みんなすごい!」 ことあるごとに、そう思っていました。 お医者さん、看護師さん、サポートしてくれるスタッフさん等、病室で私と関わってくださる方は、もちろん接したときに「すごい!」と思うのですが。 例えば。 病院の食事を食べて、「調理師さんすごい!」「管理栄養士さん、すごい!」となり。 病室から廊下に出たときには、「手術した翌日から、歩き始めている皆さん、すごい!」となり。 自分が歩く練習をしているときには、卵巣嚢腫だけでも痛いのに、「
『子宮頸部異形成』と診断され、早8年。 3ヶ月~半年置きの細胞診。 綿棒で子宮頸部をこするだけで、ほとんど痛みは無く、あっという間に終わる。 この検査の結果が、クラスⅠ、クラスⅡa、Ⅱbなどという言葉で出てくるのだが、クラスⅡa、bの結果が2回続くと、「次は半年後に検査ね」と言われる。 クラスⅢa、Ⅲbという結果だと、「パンチ検査しようか」と言われる。 クラスⅢaは悪性を疑う細胞があるよ。でも、悪性度は比較的軽いから、細菌感染による強い炎症かもねー。軽度~中度、とも
noteを始めるきっかけになったことが、この卵巣嚢腫の手術だ。 ちょうど10年前、2010年。 いろいろあって、卵巣に腫れがあるね、と言われ。 その腫れがいつしか、「成熟嚢胞性奇形腫」 (皮様嚢腫、デルモイドともいう)となっていた。 20~30代女性には、結構多い病気だそうで。 卵子が勝手に細胞分裂をして、歯や髪の毛や脂肪等、人間の成分を作るのだと聞いた。 人体の不思議。 "女だけどうして..."と私は思うことが多く、この病気も、私の中では、"女だけどうして..
はじめまして。 と誰に向かって挨拶をしているのだろうか。 ニックネーム名もまだ迷っている最中。 とりあえずの自己紹介。 ・猫が好き ・歌が好き ・ドラクエ、FFが好き ・今の仕事がそこそこ好き な、34歳独身女。 どうしてnoteをはじめようかと思ったか。 「入院中で暇だから」 まだ私が20代前半の頃。何人かの文章を書く仕事をしている人に、 「文章書けばいいのに」 と言われたことを、今になって思い出した。 当時は、私なんか、文才もないし、そもそも日