誰かのために生きるという生き方
インドでのロックダウン、外出禁止生活が終わった。
正直1ヶ月間のロックダウン、外出禁止生活は死ぬ想いでした。普段外に出ない日はなく、かつトライアスロンしたりジムに行ったりと体を動かし過ぎるぐらい動かしている身としては強制的にそれらを禁止されることはかなり精神的にきました。
当然今も同様の状況にて日々を過ごしている人がおり、その中には数少ない友人もおり、「日本に帰れてよかったー」とハッピーな感じにはなりきれない。
とはいえ窓を開けていても虫が入ってくることがなく、食料に選択肢が豊富で綺麗なホテルに泊まっており、気力はかなり高まってきている。
ということでこの気力を高めつつ何をするかが重要になってくるのだが、まずは関わってきているインドの貧困層への支援。具体的には
・有力者と支援を必要とする人とを繋げ、飢えに苦しむ人を一人でも減らす
・活動している団体かつ信頼できる下記のような団体を周知して彼らの活動を継続的なものにする一助となる
・自身でお金を集めて援助する
とまぁ偉そうに書いているけど、インドでのロックダウン中は正直結構自分の精神状態を保つので手一杯になり、24時間のうち1時間ぐらいしか人のためという考えで動くことができなかった。その事実がまた苦しめたりもした。今は気力も戻り、笑って自分を殴りたい気分。
インドの飢えへと向かう人の多くはもともとが日雇い労働者や農家など生活が安定しておらず、つまりは少額だとしても月収というものが定期的に受けられる訳ではない人たち。
その人たちが、中には親しい友人が暮らす村、かつ私も関わりをもつ村スジャータも同じ状況にあるのだが、仕事を失い、売り場を失い、無い蓄えをすり減らし、生きている。
国・州政府が動き、配給を受けられる人もいるが、実はそうではない人もいる。その資格がないという。
「もともとが最低賃金はもらえており、貧困ライン以下でないためにその資格がなく、今はその最低賃金どころか1ルピーももらえない。よって配給を受けられない。」
この人がどれぐらいの数いるのか?、ではその人より厳しい状況の人はいないのか?などと次から次に疑問が浮かんでくる。
しかし私には全てを知り、解決するほど動かせる金も権力も人もない。というかほとんどの人にそんなものはない。
であればどうするのか。
言い古された言葉ではあるが自分にできることをする。
下記は私が何度か直接コミュニケーションをとり、日々の活動を見ている団体で、私の意見としては信頼できると考えています。
※日本円では寄付できないのでインドルピー無いけど寄付したい方はご相談ください。
この活動についての日本語のまとめと所感はこちら
https://www.facebook.com/kotaro.fukuoka1016/posts/3148244785238551
私個人が基本的には寄付をしない、なぜならそのお金がどう使われるか、誰がそこに関わっているのかがわからない以上、人の稼いだお金、それも社会に対して当然影響を与える企業や個人として働いて稼いだお金を取り敢えず良いことをしている「であろう」から寄付するということを自分では受け入れられないから。
くそ真面目で、考え過ぎなことは百も承知だが、性分なので仕方がない。
なのでよく言われるのですが、私がが誰かのために何かしようと想っているからと言って自分は何もやっていなくてしょうもないなどと感じる必要も論理もなくていいと考えている。そもそも人のために何かすることが善かどうかなんて誰にも決められないのであって、私はただ外部環境によって機会が無く、頑張りたくても頑張れないと諦める人間がいることを想うと腹が立つから人のために何かしたいと常日頃感じてしまう短気な人間なだけですので。
そういえば2017年には会社の活動で寄付をしていたなとしみじみ。