エトスとパソスとロゴスとエロス
こんにちは。
すごく久しぶりに投稿します
正確には、下書きを結構、書いてるんですけど、校正が終わってなくて、投稿してませんでした。
せっかく、なんで、これから、しばらく、徒然なるままに毎日、投稿しようと思います。
今日は、音楽の授業がありました。
久しぶりの対面授業です。
お歌の授業なのですが、初めの一時間は、音楽・アートに関する、理論というか、うんちくが語られる。
特に印象に残ったのが、タイトルにも書いた、「黄金律(Golden Rule)」の話だ。
黄金律は、様々な宗教や、人類の歴史の中で、「他人からしてもらって嬉しいことを他人にも為すこと」(「他人からされて嫌なことはしないこと」)を根底とした、倫理的言明である。
そして、その三つの要素が、エトス(Ethics), パソス (Passion), ロゴス(logics)である。
まず、ロジック、つまり、論理的に考えられることは、いつの時代も求められるものだ。最近は、とくに、そんなことを声高に言う、教育関係者や企業も多いのではないか。 たしかに、それは、大きな武器になる。道筋を立てられる力は、人生のあらゆる場面で有効だ。
次に、パッション。これが、もっとも、後に話す、アートの要素に近いものだ。 情熱があること。 これもまた、人生においては大事になるかもしれない。
たとえば、自分の好きなことに熱中するかもしれない、もしくは、仕事に並々ならぬ、情熱を持っている人もいれば、はたまた、恋愛にも、情熱的になる人もいるだろう。 情熱というのは、人間の秘めたパワーであり、人生のエンジンになるものだと、定義づけよう。
そして、最後に、エトス、つまり、日本語で言うところの、倫理である。倫理感も、また、人生において大事だ。特に他人との関係の中で、その意味を発揮するだろう。
日本人は、よく、礼儀正しい国と言われる。倫理観が根付いているように思われがちだし、自分たち自身も思いがちだが、
西洋のある国では、電車に、つえを突いた老人や、妊婦が乗ってきたときは、どんなに、貧しいホームレスだろうと、我先にと、席を譲るそうだ。これは、昔の話ではない。 今の、日本を想像して、比べたときにどうだろうか。
少々、話がそれてしまったが、要するに、倫理観は、他人との関係性、社会動物としての人間の生き方、そういったもの、そのものに関わってくる要素、と定義づけよう。
そういう意味では、黄金律の基本、キリスト教で言う「為す」という精神が、もっとも表れるのが、Ethicsであり、エトスだ。
この、バランスがうまく保ったまま、生きられるのが、とても理想的におもえないだろうか?
だが、残念ながら、地球上に、この黄金律を厳格に「守って」生きている人間など存在しないのではないか、と私は思う。
なぜなら、人間には多様性があるからだ。
ちなみに、先生が、Diversity を Diver City=ダイバーの街=宮古島?と思っていたという小噺を、投げておこう。自分も、中学生の時、初めてダイバーシティーと聞いて、お台場のラウンドワンのことだと、本気で思っていた。
つい気が散りやすく、どうでもいい話をしてしまうのだが、話を戻すと、
多様性が違いを生みます。そして、その違いはどれがいい、悪いではないのです。
だから、自分の黄金律、自分のルールを他人に押し付けても、当然ながら、反発を受けるでしょう。
ここでは、「自分は他人のためを思ってやっていたが、それが、その人に共感を得られるものではなかった」というものを含む。
だから、人間の価値観と言うのは、一つの、黄金律というルールで、測れるものではないのです。
さて、アートの話をしましょう。
アートには、黄金律の中に収まらないものがたくさんあります。
たとえば、オペラの歴史をみてみましょう。
オペラの約90%は、不倫や男女のホレタハレタ、といったテーマを題材にしているとされています。
オペラの高級なイメージとは、ほど遠いですよね。
ドン・ジョヴァンニ(ドン・ファン/ 以下 ドン)というオペラの話を少ししましょう。
ドンはとんでもない好色男でした。
女性にナンパをしまくって、アンナと言う一人の女性に夜這いを仕掛けていました。しかし、ある日、アンナの父親である騎士長にばれ、かれと決闘をします。そして、ドンが勝ってしまうんです。
また、恨みを買ったドンですが、懲りもなく、ナンパを続けます。
ある日、川を眺めていたら、反対岸に、美しい女性がいました。
ドンは、すかさず、ナンパを仕掛けます。(こういう人渋谷とかによくいますよね、最近。)
しかし、なんと、振り返ったその女性は、ドンの奥さんでした。
修羅場。。
しかし、これでは、懲りません、つには、ドンは、他人の結婚式に乱入し、「ちょっと、まったーーー」というべたなセリフで(知らんけど)、相手の女性にナンパをします。ここまでくると尊敬してしまいます。
しかも、質が悪いことに、相手の女性も、説得され、次第にドンとの愛におぼれていきます。
いや、なんでやねん。
(旦那さん、、、かわいそう。)
しかし、ベッドインしたところで、散々裏切られてきた、ドンの奥さんが出てきて、過去のドンの、好色変態男っぶりを暴露します、また、殺された、騎士長も亡霊となり、ドンに呪いをかけます。
と、まあ、倫理観のかけらもないような話ばかりなのです、オペラは。
私も、今日初めて聞いて、オペラへの偏見が少し、とれた気がします。
つまり、アートというのは、黄金律の枠から出た作品が多い。
というか、むしろ、黄金律のなかの要素だけでは、つまらなくなってしまうのです。
表現するというのは、皆が、同じように表現していたら、違いがなくなってしまいます。
(だからと言って、人より何歩も進みすぎると、受け入れられない可能性もありますね。売れるものは、今あるものに新しい価値を少し+したものが多いそうです)
その、人それぞれの個性・表現があるから、こそ、他人の琴線に触れらる可能性が生まれるのではないでしょうか。
だから、音楽には、エロスが必要だそうです。つまり、色気です、
真面目なばかりで、色気がないのは、音楽では、面白みがなくなってしまいます。とても感覚的な話ですが、なんとなく理解できるのではないでしょうか。
たとえば、少し違うかもしれませんが、音楽をしていると、たまに、理論を知らなくてはならない時が出てきます。感覚でできたらよいのですが、私なんかは、そんなに器用ではありませんから、頭で音楽を理解しようとすることがあります。これ自体は、悪いことではないと思います。
しかし、あまりにも、理論に引っ張られると、自分の表現の幅が狭く、画一的になってしまうときがあります。
できることの幅を広げるはずの論理性が、逆のベクトルに働くことがあります。
対して、例えば、歌がうまいひとに、なんで歌がうまいの??きいても、「歌いたいように歌ってるだけ」「なんでだろうね?」と聞き返してくる人ときがありますよね。(別に、お歌がうまい方の努力をディスっているわけではありません)
でも、なんか、そういう人たちには、その人たちなりの「エロス」があって、それが人を「惹きつける」強いて言えば、「モテる」ということに繋がります。
決して、怪しい、ナンパサロンに勧誘しているわけではありません。何番ゲ?(流行ってるらしけど)とか、興味はありませんから。
ただ、そのエロスという、黄金律外の要素も、否定されるべきでない、大切な要素なのです。
もちろん、黄金律を守ることが悪いと言っているわけではありません。
私も、自分を表現するのが苦手というか、自信が無くて、型にはまりがちなので、真面目、かたい人間と思われることが多く、どちらかというと、その黄金律の枠内に留まろうとします。
しかし、そこに固執しすぎると、自由に自分を表現できなくなる気が、私には、するんです。
きっと、一人の人間の中にも、いろんな側面があるはずですし、どれも間違いではないし、どれも、その人の一部です。だから、もっと自分がどういう人間か、知ることとか、それを表現しようとすることって、アートに関係なく、人生で大事なことなのではないか。そして、それが真のダイバーシティーに繋がるのではないか。
ということが、思考の中で、ぐるぐる回っていたので、長々とお伝えしてきました。ありがとうございました。
話したいことが、まだまだあるので、また投稿しようと思います。
スキ待ってます。私の自己肯定感向上にぜひ、一石を投じてください。